まさにボロ屋敷でした
屋敷に到着することには、すっかり夜も更けていた。
フェルミアの領主の屋敷は、屋敷というより、古い砦に寝室を無理やり足したような建物だった。
石壁は黒ずみ、窓枠は歪み、玄関脇の魔導灯は片方が消えかけている。
扉の上には、かつては立派だったのだろう紋章が掲げられていたが、風雪に削られて形がぼやけていた。
屋敷の扉が、重たい音を立てて開くと、中から、ほんのりと暖気が漏れてくる。
(外見は全然だけど、もしかしたら、中はちゃんと整備されている、とか?)
俺は少しだけ期待した。
いや、本当に少しだけ。
だが、一歩足を踏み入れた瞬間、その期待は粉々に砕けた。
ーー寒い。
暖炉はある。
火も燃えている。
なのに、凍えるように寒い。
「……リリア」
「はい」
「ここ、本当に屋内か?」
「ええ。ですが、少なくとも、アルト様が快適に眠れる屋内ではありませんね」
ーー最悪である。
リカルド曰く、前の領主が病に伏してからというもの、長い間、管理が行き届いていなかったのだそうだ。
それでも、王都から第五王子がくると言うことで、忙しい中、最低限の掃除だけはしてくれたのだそうだ。
リカルドの申し訳なさそうな顔を見ると、俺は何も言えず、「ありがとうございます」とだけ言った。
広間の暖炉では火が燃えていた。
しかし、石壁が冷えきっている。
床からは冷気が這い上がり、窓枠の隙間から細い風が入り込んでいる。
燃料の無駄。
労力の無駄。
魔石の無駄。
無駄の三重奏である。
「流石にここでは眠れないな……。よし、今日は最低限だけだ」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。
「アルト様、頑張ってください」
リリアが棒読みで言う。
まさに、他人事である。
十八歳の少女らしく、もっと可愛く言えないものだろうかーー。
俺の中のおっさん精神が出てくる。
まず、暖炉の火力を安定させる。
煙突へ逃げすぎている熱の流れを、魔法で部屋の低い位置へも流れるようにする。
次に、窓枠の隙間風を薄い風膜で塞ぐ。
床から上がる冷気を、薄い膜のような結界で遮る。
ーーそれだけ。本当にそれだけ。
広間の空気が、ゆっくりと変わっていく。
足元の冷えが和らぎ、窓際のカーテンが静かに垂れる。
魔導灯が、少しだけ安定して明るくなった。
(ああ、暖かい)
よしーー。
「……」
俺は無言で寝台を見た。
リリアも見た。
「どうしますか?」
「見なかったことにして寝る」
「無理ですよね」
「だよな」
俺は最後の気力を振り絞り、寝台の周囲だけに小さな快眠結界を張った。
「よーし!」
「アルト様、お疲れ様でした」
俺は寝台に沈み込んだ。
硬いはずの寝台は、結界のおかげでどうにか許容範囲になっている。
毛布の中に、じわりと温かさが満ちていく。
ーーああ。これだ。
人間、いや王子に必要なのは、権力なんかじゃない。寝床だ。
俺は、ゆっくり目を閉じた。
今日一日の出来事が、頭の中でぐるぐる回る。
いや、今はもう、何も考えたくない。
「リリア」
「はい」
「明日の予定は?」
「朝食後、リカルド隊長から報告。黒餓石の保管状況確認。タロウから北の森の聞き取り調査。屋敷の修繕についてーー」
「もういい」
「はい」
「明日の俺に任せることにするよ」
「わかりました」
眠る直前、リリアの声が遠くで聞こえた。
「おやすみなさいませ、アルト様」
「ああ……」
俺はほとんど声にならない返事をした。
「明日は……絶対……働かない……」
「それは難しいかと」
その返事を最後に、俺の意識はぷつりと途切れた。




