12.何にでも名前を付けるのは良くありません(※特に魔物)
「……タ、タロ…タロウ?」
「そ、タロウ。覚えやすいだろ?」
その瞬間、小鬼の身体が、淡く光った。
「は……?」
俺の口から、間抜けな声が漏れる。
小鬼の傷口が、ゆっくり塞がっていく。
老魔法使いが、今度こそ杖を取り落としかける。
「こ、これは!!まさか……名付け……!」
リカルドも、兵たちも固まっていた。
リリアが額に手を当てる。
「アルト様……」
「……待て待て、違う!俺はただ呼びやすい名前をつけただけでーー」
「……殿下、魔物への名付けは、魔力を分け与える契約行為です。低位の魔物であっても、普通の魔法使いなら数日寝込むほどの魔力を持っていかれる。下手をすれば魔力枯渇で命を落とします……」
「……え」
思わず、声が漏れた。
そんな危ない行為だったのか。
老魔法使いが震える声で言った。
「……それも、今の光は……低位魔物が変質するほどの……」
おっと……なんだ、これはとっても嫌な予感がするぞ?
その時、リリアが一歩前に出た。
「皆さま、アルト様は長旅の直後に魔物襲撃へ巻き込まれ、さらに黒餓石の影響も受けておられます。これ以上の詮索は、お身体に障ります」
助かったーー。
いや、助かったのか?
詮索を止めただけで、疑惑は止まっていない。
老魔法使いはなおも何か言いたげだった。
「……しかし、侍女殿。これは王都へ報告すべきほどのーー」
ーー王都。
その単語に、俺の心臓が嫌な音を立てた。
王都へ報告。
つまり、父上の耳に入る。
宮廷魔法師たちの耳に入る。
そんなの、最悪だ。
これまでの努力が水の泡になってしまう。
俺は一度、深く息を吸った。
こういう時ほど、慌ててはいけない。
焦って「報告しないでください!」などと言えば、かえって怪しまれる。
周囲が納得する、公的な理由だ。
「……報告は、まだ待ってください」
俺はなるべく落ち着いた声で言った。
全員の視線が、俺へ集まる。
今度は逃げられない。
俺は一度、黒餓石へ視線を向けた。
「今ここで王都へ報告すれば、おそらく調査団が派遣されます。宮廷魔法師、場合によっては貴族院の使者も来るでしょう。黒餓石の存在が王都へ広まれば、フェルミアそのものが“暴食の王に汚染された土地”と見なされる恐れがあります」
リカルドの表情がわずかに動いた。
その可能性を理解したのだろう。
俺は続けた。
「そうなれば、商人は来なくなる。物資の輸送も今よりもっと、滞ります。魔石や薬、食糧の仕入れにも影響が出るでしょう」
「それは……」
老魔法使いが言葉を詰まらせる。
「暴食の王の名が関わっているかもしれない以上、情報が広がれば混乱が起きる。王都の貴族や商会が勝手に動けば、フェルミアの現場判断は遅れる。最悪、黒餓石を利用しようとする者が出るかもしれません」
これは、口にしながら自分でも思った。
ーーなかなか、それっぽい。
もちろん本音は、俺の力を知られたくないだけだ。
だが、言っていること自体は間違っていない。
黒餓石は危険だ。
暴食の王についても、まだ何もわかっていない。
そこへ王都の面倒な連中が押し寄せてくれば、現場は間違いなく混乱する。
「ですから、まずはフェルミア内で事実確認をします。黒餓石の保管と、タロウからの聞き取り調査。それから、北の森の状況確認をしましょう。それらをまとめた上で、王都へ報告するのです。それまでは、この場の情報を外へ漏らさないでください。これは、決して隠蔽などではなく、混乱を防ぐための情報管理です」
(よし、言い切った!!)
やがて、リカルドは深く頭を下げた。
「……承知しました。黒餓石および魔物の名付けに関する件は、当面、王都への報告は控えましょう」
老魔法使いも、少し遅れて頭を垂れた。
「……私も、口外いたしません。確かに、今この情報が広がれば、ただでさえ大変な時なのに、大きな混乱を招きましょう」
兵たちも互いに顔を見合わせたあと、ぎこちなく姿勢を正す。
「聞いたな?この場の出来事は、軽々しく口にするな」
「はっ!」
兵たちが一斉に応じる。
ーーなんか、報告を止めた代わりに、俺が責任者みたいな立場になっている気がする。
まあ、今は仕方ないか。王都中に知られるよりはマシだ。
それから、俺はなるべく落ち着いた声で言った。
「魔物への名付けを行った者は、過去にもいたのでしょうか?」
老魔法使いは疲れた顔で頷いた。
「記録上はございます。ただし、人間ではほとんど例がありません」
「……ほとんど……ですか?」
「……はい。古代の大魔法使い様や、膨大な魔力を持つ人間、そしてーー原罪の七王。そうした、極一部の限られた存在だけが成し得るのです。通常は、魔族が下位の存在に対して行う行為ですので……」
「……つまり、普通はやらないってことですか?」
「……ええ、やろうと思っても、常人にはできないのです。誰でもできるのであれば、魔物を従えることができるのですが……」
俺は黙り込んで、考えた。
俺は名付けをしても、何も感じなかったからだ。
魔力が減ったとも思わなかった。
それが、どれだけ異常なことなのかーー今さらながら、理解した。
逃げ場がないな。
俺は心の中で、静かに頭を抱えた。
「……僕は……王族なので、魔力が人より多いのかもしれませんね!!」
ーー苦しい。
あまりにも苦しい言い訳だった。
リリアが横で目を伏せた。
たぶん笑いを堪えている。
皆顔を見合わせて不思議そうにしているが、これ以上、追求するものはいなかった。
(ーーよし。なんとか誤魔化せた、か?)
いや、かなり危ういが、少なくとも今すぐ王都へ早馬が飛ぶ事態は避けられたはずだ。
タロウは自分の手を見つめ、それから俺を見上げた。
そこには、妙にまっすぐな光が宿っていた。
「おマエ、名前、クレた!」
「……」
「オレ、おマエ二、従う!」
「待て待て待てーー」
俺は反射的に立ち上がった。
兵たちのざわめきが広がる。
リカルドは、完全に何かを察した顔になっている。
老魔法使いに至っては、半分拝みそうな顔で俺を見ている。
ーー最悪だ。
魔物の群れを押し返したと思ったら、小鬼を名付けてしまった。
情報源を確保するつもりが、なぜか配下が増えた。
「……リリア」
「はい」
「俺、今すぐあったかい布団の中で寝たい」
「無理ですね」
即答だった。
すると、足元のタロウが、ぱっと顔を上げた。
「おマエ、ネムたい?」
「……ああ、すごくな」
「オレ、寝床、ツクレる。穴、ホれる。ケガわ、集める。オレ、手、キヨウ!」
俺はぴたりと止まった。
「……何?」
タロウは必死に続ける。
「オレたち、小さい。デモ、穴、ホれる。石、ハコべる。夜、目、イイ。森、ミチ、よく知っテル。仲間、マだ、タクさんイル。みンな、呼ブ?」
ーーつまり。
人手不足のフェルミアに、労働力が増える可能性がある。
俺が働かなくて済む可能性がある。
「……リリア」
「はい」
「こいつ、保護しようか」
俺は真顔で言った。
「大変よろしい判断かと」
こうして、俺のフェルミア到着初日から、なぜか、魔物まで巻き込んだ辺境再建が、始まりかけていた。




