消えゆく泡沫の如く
二巻発売記念
『幼女な私の行ってらっしゃい』辺りのアース視点のお話です。
――深い深い水の底。
契約を通じて聞こえた呼び掛けに、微睡んでいた意識が浮上する。
どうやら主が呼んでいるようだ。
軽く気配を探ってみると、湖まで来ているのがわかったが……見知らぬ誰かが傍にいるらしい。
巡り合わせによって我が主となった青年とは違い、随分と弱い魔力をしていて、躊躇いその場に留まる自分へ再び呼び掛けが届く。
構わず出てこいって事じゃろうけど、ホントに出て大丈夫なやつ?
そやつ、魔力に対してそれほど耐性が無さそうなんじゃけど。ワシが近付いて倒れても知らぬよ?
僅かばかりの心配はあるものの、呼ばれたのなら応えてやらねばならない。
たまには外の空気も吸いたいしのー。ついでに菓子の一つや二つ強請るとするか。
じっとしていて少々固まった体を軽く伸ばしつつ、水面へ向かって浮上する。
そして水飛沫を舞い散らしながら湖を飛び出れば、湖岸にクラヴィスと小柄な男がいた。
「急に呼び立ててすまない」
【構わん構わん。
で、そこにおるのは誰じゃ? 新しい部下か?】
「ひぃっ!!」
フワフワと近付きながら男の方へと視線を向ければ、何とも情けない悲鳴が響く。
シドと違ってクラヴィスと契約も何もしておらんようじゃし、強い魔流が流れるノゲイラ特有の魔力の気配も感じんし……外部から来た人間かのぉ?
じぃっと見つめたのがいけなかったのか、更に怯えてしまったらしい。
顔を真っ青にしてクラヴィスの後ろへと下がって行ってしまう。
そんな男の様子に、クラヴィスは呆れを露わに溜息を吐いていた。
「王都から来た使者だ。アースの姿を見たいとのことで連れてきた」
【ほぉほぉ、なるほどのー】
ワシを見に来たのに、ワシを見て腰を抜かしとるのってどうなんじゃろうか。
クラヴィスの態度から察するに、あまり好ましい客ではないのだろう。
なら、ちょいと嫌がらせでもしてやるか。ほれ、お主が見たかった魔物じゃよー。正確には魔物ではないがのー。
青い顔をしている使者の男へ、ずいずいと顔を近付けて口を開けてやったところ、食われるとでも思ったのか。
再び悲鳴を上げた使者の男は「良くわかりました! 良くわかりましたからぁ!!」と叫んで走り去ってしまう。
しかし、慌て過ぎてまともに走れないらしい。
どたどたと半ば転びながら林の方に消えていった男を何となく眺めていたら、クラヴィスがコホンと咳払いをした。
「それで本題だが」
【なんじゃ、あれはついでか】
「まぁな……私はこれから王都へ行くことになった」
【そういえば何か言っておったのぉ】
言われて思い出したが、少し前にクラヴィスがそんな事を話していたような気がするような、しないような。
確か、一時ノゲイラを離れて王都に行かねばならぬ用事があるとかなんとか言っておったっけ?
つまり、その時が来たという事か。
クラヴィスがわざわざここへ来た理由に察しがつき、黒曜の瞳へ向けて頷いてみせた。
【わかった。トウカの事は任せておれ】
「……話が早くて助かる」
【そうかの? 考えればわかる事じゃろ】
いくら契約を交わし、自由に動いて良いと言われていても、この身に宿る魔力が強すぎるのは重々承知している。
渡りの疲労もあってこの湖で大人しくしていたが、あの子の事となれば話は別である。
何かあればすぐに動けるようにしておかねばのぉ。暫し微睡むのも止めて、常に気配を探っておくとしよう。
などと状況を鑑みて軽く答えただけだというのに、何やら思うところがあるらしい。
妙な顔をしているクラヴィスに首を傾げていると、クラヴィスはどこか疲れた様子で呟いた。
「……そうだろうな」
この様子じゃと、さっきの男が何も考えずになんか言っとったんじゃろうなぁ。
人離れした魔力を持っているというのにそんな事に頭を使うとは、権力関係というのは相変わらず厄介そうだ。
あれじゃろ? 雑に扱うと後で交渉が不利になるとか、そういうやつじゃろ? ワシもあったわそういうの。
要らぬ苦労をしていそうな主の様子に、遠い昔の記憶が思い出されたが、それは今関係のない事。
それより考えなければならないのは、トウカを守る術をどうするか、だ。
トウカの事は任せておけとは言ったが、この体ではできる事が限られている。
そもそもの大きさもそうだが、何よりこの身に宿る膨大な魔力が問題だ。
守ることだけを考えるのなら常にトウカの傍に居るのが一番じゃけど、そんなことをするとワシの魔力に当てられた周りの者が死にかねんからのぉ……。
あの子を守る事はできるが、あの子の暮らす場所を壊してしまうなんて、本末転倒も良い所である。何よりそんな事になったらトウカが気を病んでしまうわい。
ワシか、ワシ以外の他の渡る者が巻き込んでしまったろう、紛れ者。
魔力を持たず、幼い姿が故に己だけでは身を守ることができないあの子だけは、ワシが責任をもって守ってやらねばならない。
今回はシドが傍に居てくれるようだが、権力争いがややこしいのはワシも知っている事。
これからも必ず誰かが傍に居られる状況にあるとは限らない。
もしもの時のためにも、トウカを守る手段を用意しておきたいものだが、どうしたものか。
何か良い魔法は在っただろうか。
身を守れる魔法か、傍に居られるようになる魔法か、何か在っただろうか。
――そういえば、以前渡りの途中で会った友が、人と傍に居るため別の体を作ったと言っていたような。
そう、あれは確か、白狼となった友だった。
渡りの際に巻き込んでしまった人間の手助けをするために、別の肉体を作り、契約を交わしてその人間の最期まで傍に在ったと言っていた。
数多の世界を渡る自分達にとって、仲間との邂逅は滅多にない事。
故にその時は会えなかった日々を埋めるように沢山話して、沢山情報を共有した。
だからその方法も聞いていた。ワシらが失ったあの世界の魔法を用いる故、ワシらの誰もができる魔法だった。
あの者の話の通りならば、きっとその魔法はあの子を守る術となるだろう。
【クラヴィスよ、一つ頼まれてはくれぬか?】
「何だ?」
【魔石を一つ、ワシの元へ持ってきて欲しい。
できればお主の魔力が馴染んだ、質の良い魔石が良いのぉ】
「魔石か……一体何をするつもりだ?」
【なに、トウカを守るのに良さそうな魔法を思い出しての。
その魔法には核となる物が必要なんじゃよ】
「そうか」
ワシのような存在に魔石など必要無いだろうと思っているのか。
少々怪訝そうな顔を向けられたが、トウカを守るためと言えばすぐに理解を示される。
話が早くて助かるがのぉ……魔石ってお主らにとってはそれなりに貴重な物じゃと思うんじゃが。そんなほいほい了承して良いのか?
予想はしておったが、やはりこやつ、トウカに対して過保護じゃなぁ。
ま、ワシも人のことは言えんじゃろうけど。ワシらって似た者主従じゃったのか。
【では頼んだぞー】
「こちらこそ、留守は頼む」
ノゲイラから王都とやらはそれなりに距離があるだろうし、移動するにも人には準備などが必要だろう。
だから早めに別れを切り出し距離を取り始めれば、引き留められることなく緩く手を振られる。
なのでこちらも緩く手を振り返し、風に揺れる水面へと飛び込んだ。
――深く深く、水の底へと潜っていく。
光も届かない、深い深い湖の底へと潜っていく。
沈みゆく我が身から浮かびゆく泡沫が揺れて、消えて。
幾年月、幾度となく眺めてきた光景に瞼を閉じる。
渡る者となったあの日から、一体どれほどの時を経たか。
あまりにも長い時を生きた弊害だろう。
過ぎ去った日々も、流れた時の長さも、とうの昔に朧気になったものだ。
今日のように思い出せる日々があれば、もう思い出せない日々もある。
仕方のない事だとはわかっている。
悠久の時を生きる身となったが故、忘れることも必要だとわかっている。
けれど、いつかこの日々も朧気になってしまうのだろうか。
久しく得た寄り辺も、久しく得た守る者も、何かと騒がしい日々も、あの甘い菓子の味も、何もかも時と共に流れ去ってしまうのだろうか。
――それはなんというか、寂しいものじゃなぁ。
なんて、己にしては珍しい感傷を抱きながら、湖の底へと潜っていったのだった。




