ある日のあさごはん
「むー」
環は頭をがしがしと掻いて悩む。
パジャマの上にパーカーをひっかけただけのラフ過ぎる服装で、しかも顔も洗ってないし、髪も梳かしていない。寝起きそのままの姿である。
「ただいまー」
時刻は朝の七時。買ってきたのは長兄の悠だ。休日だというのにおそらく六時前には起きて、鉄子と散歩に行ってきたのだろう。
「おかえりー」
腕組みをしてカウンターを睨みながら環は答える。予想通りチャッチャッチャッというフローリングに爪のあたる音がして、鉄子が現れた。
「鉄子、おかえり。お水飲む?」
腕組みを解いて環は大分白髪の増えた犬に近寄って、目の前でしゃがんだ。手を伸ばして頭を撫でると、立っていた耳がさっと横を向いて耳と耳の間隔が広くなる。撫でられることを知っている仕草に、気持ちが暖かくなった。
「待っててね」
軽く二、三回撫でて立ち上がると、指定席である窓際のクッションの横のウォーターボウルを取りに行く。
「お、ありがとう。鉄子、よかったな」
「悠ちゃん、朝ごはんは?」
ウォーターボウルの水を入れ替えて定位置に持って行きながら環は訊ねる。
「まだ。何か作るところ?」
「うん、さっきようやく決まった。ホットケーキ、ソーセージ入り」
悠はわずかに首を傾げた。食材のストックとか残量とかにホットケーキミックスはなかった気がしたのだ。
「そう、そこで迷ってたんだよ」
鉄子が水を飲みだすのを確認してから立ち上がると、環は言って材料を揃えに回る。
薄力粉、砂糖、ベーキングパウダー、バター、卵、牛乳……
頭の中で必要な材料を思い浮かべながら、秤も取り出してカウンターの上に置く。
「なるほど」
食べたいものは決まっていたのに、簡単には作れなくて困っていたということなのだろう。
「分量、覚えてる?」
苦笑しながら、悠はレシピ集の棚へと向かう。と、環はにっこりと笑った。それを見て、悠は母のレシピ集を抜き出した。
「ありがとー」
卵に砂糖を加えて混ぜて、そこに溶かしバターを熱々のまま加えて混ぜる。さらに牛乳を加え、粉はベーキングパウダーと一緒に別のボウルに入れて泡立て器で丁寧にグルグル混ぜてから最後に入れる。ダマが残らない程度に混ぜて、生地は完成。
フライパンは熱して、熱くなったところで一旦濡れ布巾に載せてジュッっと温度を下げる。今度は弱火にしたコンロに再び載せて、そこに作ったホットケーキの生地をいっきに流し込む。フライパンを熱している間に用意しておいたウィンナーソーセージを六本、放射状に並べてから蓋をする。
「ちょっと着替えてくるー」
洗い物を流しに移動させて、環は一旦自室に戻った。動き易い綿シャツにジーパンが定番だ。まだ少し気温が低いのでパーカーも羽織る。
着替え終わったら髪ゴムで結わえながら手洗い場へ移動。雑に手ですいてポニーテールにする。単に邪魔じゃなければいい、程度の髪型だ。水を流して顔をごしごし洗う。洗顔料は使わない。主義ではなく、単に面倒なだけなのが、ザンネンな美少女と言われるゆえんの一つだ。
タオルでゴシゴシ拭いて台所に戻って蓋をあけると、いい感じで泡が出てきて外側が乾燥し始めていた。
フライ返しをホットケーキとフライパンの間に差し込んでぐるりと剥がすように回す。焦げ付くような火加減にはしていないが、少し安心してから、端を持ち上げて焼き色を確認。気持ち黒いような気がしないでもないが、気にせずにフライ返しでフライパンより一回り大きな皿に移す。それから皿を右手に持ち、フライパンを左手に持って右手の皿の上に被せ、ぎゅっと押さえつけるようにして、せーの、でひっくり返す。
「よし」
まずは上手く行ったことに満足し、コンロに戻してから、皿をどかすと、ちゃんとフライパンの真ん中に収まってくれていた。
「ふふ」
もう一度蓋をして、今度は洗い物だ。ついでにヤカンを火にかけて、マグカップも用意する。兄二人がいないときには断然インスタント派の環は、新聞を読んでいる悠をちょっとだけ見つめてから流しへ向かう。
「悠ちゃん、インスタントでいいよね?」
「うん。環はカフェオレにする?」
「あ、ありがとー」
汚れものをガンガン洗って濯いで水切りカゴに突っ込んでいき、手を拭いてから、フライパンへ。端を持ち上げ焼き色を確認して、火を止める。移すのはフライ返しだ。フライパンとフライ返しは後で洗うことにしてコンロへ戻し、インスタントコーヒーを取りにいく。中に入れっぱなしのスプーンで、マグカップに一杯ずつ入れると、元の棚へ戻して、包丁を取りに行く。ホットケーキは、ソーセージを挟むように切れ目を入れて約六等分だ。包丁は置きっぱなしにしていると危ないので、ささっと洗って拭いて、流しの下の戸の包丁置き場へすぐ戻す。丁度ヤカンの湯が沸騰したので、まず自分用にカップに半分ほど湯を注ぐ。
「悠ちゃんもカフェオレ?」
「うん」
いつの間にか出されていた牛乳パックに手を伸ばし、カップに注いでできあがり。
田崎家のカフェオレは、ぬるめなのがデフォルトなのだ。
「いただきます」
軽く手を合わせて、一切れ取って齧ると、口の中にホットケーキの甘みとソーセージのしょっぱい肉汁の味が広がる。
(やっぱり作って良かった)
ちょっと幸せな気持ちになりながら、パクパクと一切れ目を食べ切ってしまう。もぐもぐと口を動かしながら、目でケチャップを探す。悠はこれにケチャップを付けて食べるのが好きだから、当然出ている。カフェオレで一旦口の中を洗い流し、ケチャップに手を伸ばす。二切れ目用だ。
三切れ目を食べようか迷っていると、次兄の円が起きて来た。
「おはようー」
眠そうな声だが、ちゃんと服に着替えている。
「おはよう、円ちゃん。朝ごはん、これでいい?」
「うん。ついでにカフェオレもー。同じでいい」
目をこすってカウンターの席に着く。同じでいい、というのはインスタントでいいっていうことだ。環は頷いて用意の為に立ち上がった。
「昨夜遅かったの?」
ヤカンの水の量を確認して火にかけ、ふと見ると、円はカウンターにつっぷしている。
「……本が終わらなかった…」
「なるほど」
悠が頷く。環も心の中で頷いた。
インスタントコーヒーをキモチ多めに入れて、沸いた湯を注いで牛乳を入れて。
「用事でもあるの?」
まだ七時半にもなっていない。遅くまで本を読んでいたというなら、もう少し寝ていてもいいんじゃないかと思ったのだ。
「や、ニオイが…」
「あー、判る判る」
ホットケーキの、というより、ソーセージのニオイが充満するのだ。
「一度いい匂いだなって思うと、胃が動き出して…」
とは言うが、まだ眠いらしい。というより疲れが残っているらしい。円は起き上がらない。
「食べたらまた読んで寝る」
どうやら本日は自堕落な一日を送る予定にしたらしい。
「うん。お昼は?」
休日の昼は当番制ではなく、作りたい者が人数分作ったり、自分の分のみ作ったりする。本日の環は作ろうかなという気分だったので訊いてみた。
「食べる、予定ー」
ダメだわ、これは。そんな思いで悠を見ると、苦笑を返してきた。同じ感想らしい。まあ、何か作っておけば食べるだろう、そう結論付けて、環は自分の分の食器とフライパンとフライ返しを洗い始めたのだった。




