レシピ完成まぎわのとある風景
環は、テーブルの上にあるものを見てあからさまに顔をしかめた。
サツマイモのパウンドケーキ。それがここ最近の円のブームなのだ。
「おかえり。…ま、悪いとは思ってるんだよ」
申し訳なさそうに言うのは長兄のほうだ。
「余ったおからをどうにかしたい、って話だっけ」
発端は、おからを使い切る方法の相談をしたことだった。
おからは、安くて食物繊維が豊富で、そしてそこそこの量で売られていて、足の早い食材だ。一回に使い切るには多くて余らせてしまう。かといって、冷蔵庫で生のまま保存できる食材ではない。冷凍したり、炒って乾燥させたり、保存方法がないわけではない。実際そうやって保存してあるものもある。だが、使い切れれば、そのほうがいい、と考えたのだった。
相談したのは去年の秋のことだった。ちょうどサツマイモのパウンドケーキを作っていた円は、そのレシピをアレンジしてはどうかと考えたらしい。
「バターを使わずにってのがこだわりみたいだよね」
環は思わず遠い目をする。おからを使うからって、バターをやめてサラダ油にする必要はないのだ。環の感覚では。
「あんまり複雑な手順じゃないものを求めてたんだけどね」
悠は苦笑する。残ったおからをなにか簡単なケーキで使い切るのが早いと思ったのだが、このままでは、テクニックの必要なお菓子になりそうだ。
「えっと、今は何にこだわってるの?」
環は諦めて、切って食べることにする。包丁を取って、オーブンシートをはずして二センチの厚さで切る。
「悠ちゃんは?」
「食べるよ。多少は責任をとらないと」
言いながらすでにお茶の準備をしている。バターを使わないこのケーキは、コーヒーに合う。円のコーヒーには負けるけど、と悠は言うが、それでも下手なレストランのコーヒーよりは随分と美味しい。
断面は、下から側面にかけて白い生地で、真ん中から上にかけて濃い茶色の生地にサイコロ状のサツマイモが入っている。そして全体に散っているのは黒ゴマだ。
「あ、見た目は今までで一番いいかも」
「なんか、分量はほぼ決定で、あとは手順と仕上がりだって言ってたけどね」
悠がお湯を注いで蒸らし始めるとコーヒーの香りが漂ってくる。
「この間は失敗したって言ってたよね」
コーヒーが入るのを律儀に待つ。しっとり感がいまいち足りないこのケーキは、飲み物は必須なのだ。
「オイルの量を間違えたって言ってたよ」
「びっくりだよねー」
お菓子作りにはこだわりのある次兄のことを思う。だいたいのレシピは頭の中に入っているらしい彼が分量を間違えることに驚いたものだ。
「ほい」
目の前にカップが置かれる。そこでようやく、ケーキに手を出した。
自分用は一番端っこだ。その角をかじる。カラメルの逃がさが口の中に広がった。
「…うん」
コロコロのサツマイモの食感と、時折感じる黒ゴマの硬さ。それは今までの試作品とそう差はない。けれど、食べた時のバランスがいいと感じられた。
「いいね」
悠が言う。
「円がここのところ作り続けてたのが判るね」
「だね」
去年の試作品第一号から始まって、忘れた頃に作っては唸っていた円は、何故かこのところ毎週のように作っていた。完成形が見えていてあとは形にするだけになっていたのだろうと、納得した。そして、安堵した。オヤツがサツマイモパウンドでなくなる日は、きっと近い。
「母さんもこんなだったけど」
悠は笑う。
「こういうところ、円もそっくりだよね」
「だねー」
環も笑う。母もよくこうやってケーキを焼いていた。何が違うのか判らないこだわりでしばらく同じものが続くのだ。
「ま、そうやって円も作っていくんだろうな」
「うん」
「でも、これ作れるのかな…」
悠は食べかけのケーキをしみじみと見る。確かに、見た目からしてちょっと凝っている。
「マーブルと同じだよね?」
「……パウンドケーキ、嫌い」
「あはは」
お菓子作りよりも食事のほうに興味が向いている悠はごく簡単なものしか作らない。ごく簡単といってもお菓子作りに興味がない人にはなかなか通じないが、要するに混ぜるだけで出来るものが好きなのだ。気分はホットケーキミックスを使うのとそう変わらない。ちなみに環も似たり寄ったりだ。
「意外と、テクニック要るもんね」
パウンドケーキは、粉を混ぜ過ぎると実に簡単に膨らまなくなる。何も入れないプレーンならばまだましだが、何かを入れるとそのたびに混ぜねばならず、その加減が難しいのだ。
「これ、きっと円ちゃんが思いついちゃったんだろうね」
きっとたまたま、閃いてしまったのだろう。サツマイモとおからとサラダ油を使ったレシピを。閃いたら作ってみたくなったのだろう。そしてきっと、悠の相談は、相談ではなくなってしまってるのだろう。
「……やっぱりそう思う?」
「うん。何かレシピを教えてくれ、じゃなくて、何か使ってくれ、になったんだと思うよ」
環は笑う。
そして、円が帰ってきたら訊いてみようと思う。教えて欲しいと伝えたら、きっと何かを教えてくれるだろう。
もう一切れ食べようかどうしようか、一瞬悩み、やめることにした。明日学校に持って行って皆にも分けようと心に決める。おからは食物繊維が豊富でヘルシー食材と言われているが、意外とカロリーが高いのだ。しかも、このパウンドケーキは、ヘルシーさを狙ったものではない。美味しさのために、しっかりと砂糖も使われているのだ。
環は、よし、と心に決めて、コーヒーを飲み干したのだった。
帰ってきた円に感想を言うと、ふむふむと頷くばかり。何やらまだ改良の余地があるらしい。まだしばらく続きそうな気配に内心ため息をつきながら、環は話題を変えた。
「ところで、おからを使って簡単に作れるお菓子って何かあるの?」
「んー? どんなのがいいの?」
「どんなのが食べたいっていうより、がーって混ぜて出来上がり的なのがいい」
正直に言うと、円はかすかに笑って、それならスコーンがいいかな、と言い、作ってみる?と訊いてくるので、素直に頷く。
薄力粉、ベーキングパウダーをふるい、おからに砂糖と塩をひとつまみ、オイルと牛乳を混ぜ、粉類を加えて混ぜて、丸型で抜いて焼く。実に簡単だ。
焼きあがったそれは、意外とカリっとした食感で、そこもいい。
「これ、いい」
普通のスコーンのような弾力はないが、おからを使っているとは思えない食感が、とても良い。
「これだと、粉にココアを混ぜるとか、砂糖の代わりにマーマレード入れるとか工夫もし易いよ」
「なるほどー!」
環は、普段買ってくるおからの量と、料理に使う量、今回のスコーンで使う量を計算をする。それでも余るが、お弁当の卵焼きに入れるとか、ひき肉を使う時に入れるとかで消費できそうだ。
「円ちゃんありがとね」
あとで悠にもレシピを横流ししてあげよう、と心に誓ったのだった。




