スコーン作り。
「おはようございます…」
まだ少し眠い。目を軽くこすりながら、瑠菜は台所にいる円に挨拶をした。
昨晩は、この田崎家に泊まったのだ。普段から環とつるんで話しているというのに、お泊まりとなると別のスイッチが入るのか、夜中まで話し込んだ。夕飯をごちそうになって、お風呂に入って、お茶とお茶菓子をいただきながら、寝たのは結局二時過ぎだ。それでも、よその家で緊張していたせいか、随分早く目が覚めた。目が覚めた時に、環と自分の布団の間に鉄子が寝ていてびっくりして、いつもは寝起きはしばらくぼうっとしているのに、ばちっと目が覚めた。なかなか新鮮な驚きである。
「おはよう。ってか、早いね。夕べ遅かったでしょう? まだ、眠くない?」 そんなことを訊きながら、円は、新聞を畳みながら立ち上がって動き出した。
「少し眠いです」
正直に答えたところで、背後から環が現れた。
「おはよーう」
環が瑠菜のアパートに泊まりに来た時には、女二人なので、顔も洗わずだらだら過ごしたりするが、今日は環の兄も父もいる家だ。環の部屋で着替えて軽く身支度も整えている。そういえば、先ほど洗面所に行くときに台所を通った際には円はいなかったことを思い出す。
「円ちゃん、何を作るの?」
「ん? スコーン。環はチャイ作る? カフェオレにする?」
「わー!」
環は両手を上げて喜びを露わにした。スコーン、スコーンと節をつけてスキップしながら流しに向かう。
「あ、岬ちゃんはどっちがいい?」
「えっと」
スコーンと言えば紅茶、と連想して、チャイが良いと伝える。
「りょーかい。円ちゃんも飲む?」
「うん。同じものでいいよ」
言いながらも円は作業を止めない。秤にボウルを載せて、小麦をを入れ、ベーキングパウダーを入れ、砂糖を入れる。それを、泡立て器でぐるぐる混ぜるのを見て、瑠菜は声をかけた。
「あの、振るわないですか?」
ケーキを焼く際、粉類はふるいにかけることが多い。粉をサラサラにするためとかで、実は瑠菜がちょっと面倒だと思っている作業の一つだ。とはいえ、お菓子作りなんてやっていたのは、中学生や高校の頃で興味本位に近い。周りがやっているから自分も、といった感じだ。
「ん? こういうのはこの程度で充分。ロールケーキとかスポンジ系の時はちゃんとふるうけどね」
「胡麻クッキーもこんなもんだよ」
環は小鍋に紅茶の茶葉と砂糖を入れると、冷蔵庫の扉を開けて牛乳を取り出す。ついでに生クリームとマーマレードと卵三個を取り出すと、卵を小さなボウルに割り入れ、牛乳を計量カップで量ってそれに加え、円が粉を混ぜていた泡立て器で、混ぜ合わせる。
「ありがと」
「ん」
そのままマグカップで牛乳を量り茶葉を入れた小鍋に注ぐと弱火にかける。
「めん棒、いる?」
「んー、使わない」
くるくる動く環は、引き出しを開けると丸い抜き型を取り出して、円の前に置く。
円は、バターと粉類を混ぜてサラサラにしていた。そこに、卵と牛乳を混ぜたものを入れて、木べらでさっくりと混ぜる。まだ粉が残っているという時点で、彼は混ぜるのを止めた。
「え、そんなものなんですか?」
こういうものは、粉がなくなるまでしっかりと混ぜるのだと思ったいた瑠菜は思わず声を上げる。
「ん? あ、粉が残ってるってこと?」
小麦粉の袋から粉をカウンターテーブルの上に載せ、先程まで混ぜていた生地をその上に。円はそれをおもむろに手の平で二センチくらいに伸ばしはじめた。
「これはね、あんまり捏ねると粘りがでてしまってふんわりしっとり焼きあがらないんだ」
瑠菜は手伝うことを諦めて、椅子に座った。必要な材料も分量も判らないし、見ている限り手伝いは必要なさそうだ。なにより今日はお客様でも問題ないだろうと、勝手に判断した。
見ていて面白い、というのも、諦めた理由の一つだ。いつの間にか環は卵を焼いてサラダの用意をしているし、円はオーブンシートを敷いた天板に抜き型で抜いた生地を載せてオーブンにつっこんでいた。
「焼けるまで、もう少し待ってね」
言いながら、サラダとふわふわのオムレツの載った皿と、チャイの入ったマグカップを差し出される。
「待ってる間に、チャイでも飲んでね。熱いから気を付けて」
「ありがとう」
オーブンに天板をつっこんだ円は、生クリームをホイップしはじめた。気が付けば洗い物もない。
――あ、洗い物が手伝えるな。
瑠菜は卵を焼く準備をしながら汚れ物を洗っていた環を思い出した。今度来た時にはそれをしよう、と思う。
火傷しないようにそっと啜ったチャイは甘い。甘いが、ほっとする。
「美味しい」
「ほっとするよね」
いつの間にか隣に座った環が両手でマグカップを持って、瑠菜と同じようにチャイを飲んでいた。
「悠ちゃんは出かけたの?」
環がそんな問いを円にする。
「うん。朝から鉄子の散歩もして出かけたよ」
名前が出てきたので、窓際を見ると、黒っぽい犬は実に大人しく眠っている。
チンと音がしてオーブンがスコーンが焼けたことを伝えた。少し前から粉とバターの焼けるニオイが漂っていた。お腹もぐう、と音をたてる。スコーンを取り出している円も、ヤカンを火にかけている環も気づかなかったようで、瑠菜は安心した。
「はい、どうぞ」
円が、直径四センチほどのスコーンを二つ、お皿に載せてくれる。
「足りなかったらまだあるからね」
と、天板に載せたままのスコーンを示す。
「卵が冷めちゃった。ごめんねー」
「ううん、いいよー」
冷めたと言っても、大したことではない。フォークで小さく切って口に入れるとバターの香りが口に広がる。
「美味しー!」
「うん、今日は上手にできた。私、偉い」
「うんうん」
円もうなずく。
熱々のスコーンは、横からパックリ割れている。そこから上と下で半分に割って、マーマレードを塗って口に入れた。ふわっふわのさくっさくだ。バターの味とマーマレードの苦味がとてもよく合う。
「んー!」
ばんばん、とテーブルを叩きたくなる美味さだ。
環もうんうんと頷いていて、円は何やら吟味するような表情をしている。
「美味しい美味しい!」
ごっくんと飲み込んでとにかく言う。伝える。
いろんなお店で何度か食べたことがあるが、ベストワンだと瑠菜は思う。焼き立てのふわっとした食感と、まわりのさくっとした食感が、すごくいい。
「良かった。レシピ持って帰る?」
と言う円と、
「オーブントースターで作れるよ」
コツは教えてあげるよ、という環に、瑠菜はつい頷いてしまった。
その後、美味しくサラダとオムレツも完食し、チャイも飲み終え、何故か食後のコーヒーも出てきていただいて、スコーン作りが始まったのだった。
瑠菜の持ち帰り用に一回分、田崎家の明日の朝食用に一回分をオーブントースターで焼いて、その間、本場での食べかたなどのウンチクも聞いた(でも、気にすることないよ、ここは日本なんだからと言われてすぐに忘れ)。言われたとおりにしたせいか、スコーンはとても美味しそうに焼けた。
「なんか、お菓子ってこんなに簡単に作れるものなんですね…」
瑠菜は思わずしみじみと呟いた。確かに、環も「これは簡単」などと言いながらいろいろ作ったものを持ってきてくれる。でも、本当にこんなに簡単だとは思ってもいなかったのだ。少なくとも、中学・高校時代には、やたらと苦労した割には大して美味しくはなかった記憶しかない。
「うん。コツが判ればね、意外と」
円は可愛らしい袋に瑠菜用のスコーンを入れていく。これも入れとくねと、ホイップした生クリームを小さなカップに入れて用意してくれる。まだスコーンが暖かいので、生クリームは冷蔵庫行きだ。
「そのコツが判るまでが難しいんだよね」
しみじみと、環が言う。お菓子作りのことだ。言われて気付く。円も環も、そのコツを自分でつかんだから、美味しいお菓子が作れるのだ、と。
「……そうか、やっぱりちゃんと難しいんだね」
瑠菜が言うと、環が苦笑しながら首を横に振る。
「ちゃんと簡単なのもあるの。私も円ちゃんも、基本的なことはお母さんから教わったから、それほど苦労してないんだけどね、お母さんは苦労したみたいでね」
「そう。何度力説されたか。混ぜるだけでも美味しくできるものと、そうじゃないものの違いを」
円は思い出し笑いだ。
「スコーンは、何度も失敗したらしくてね、しばらく作らなかったらしいんだ。で、他の物をいろいろ作って、いろんなもののコツが判るようになってから、改めてレシピを探して作ったら、美味しくできたらしいんだよね。そのレシピがこれ」
「それを、作る度に言うんだよねえ」
耳にタコできちゃうよね、と二人して笑う。
「ま、興味があったらいろいろ聞いて。岬ちゃんにやる気があるならいくらでも教えるから」
円が言うので、瑠菜は素直に頭を下げた。もし一人でスコーンを焼いてみて、上手くいかなかったら聞いてみようと心に誓う。それくらい、円の作ってくれたスコーンは美味しいと思ったのだった。




