瓶詰事情
環が帰宅すると、悠が台所で何かを煮ているところだった。
「ブルーベリー?」
くんくんと鼻をうごめかし、さらに鍋の中身を遠目に覗き、聞いてみる。
「そう。ジャムを作ってるところ」
既に瓶も煮沸消毒して準備済みだ。
「貰ったの? 悠ちゃんもマメだねえ」
環はしみじみと言う。
年明けには柚子ジャム、冬の終わりにマーマレード、春はイチゴ、梅雨時には梅、そして夏に入ったところであんず、ブルーベリー。さらにはその時々に貰ったものをジャムにして、瓶詰にして保存する。
例外は、レモンパイ用のレモンのマーマレード(円は砂糖煮と呼ぶ)くらいだ。こればかりは、なにやらこだわりがあるらしい。
「あ、龍のところから。小母さんがブルーベリー狩りに行ったらしいよ」
「あー、そんなこと言ってた。お礼言っておくね」
「ジャムが出来たら瓶を一つ持って行って。……ってか、小母さんに約束させられたから」
悠は苦笑しながら言う。環は吹き出した。
龍の母は、亡くなった母・園子が生きている頃から家族ぐるみの付き合いで、その頃から、なにかと果物を持ってきては、見返りの瓶詰めを要求してきた。彼女曰く、園子の作ったものも、悠の作ったものも、お店で売られているものより美味しいらしい。貰ったフルーツ類はたいてい保存用にするから、他のものを要求されるより簡単だし、他のものを考えるよりも気楽で良い、と母も悠も喜んでその要求に応えていた。
「いちいち言わなくても、お返しは決まってるのにね」
「うん、でも、わざわざ言ってくれるのも優しさだよ」
悠はくすくす笑いながら、煮詰めている最中のブルーベリーのとろみを見ている。
「あ、そうそう、そっちのケーキもね」
言われてカウンターテーブルの上を見ると、パウンドケーキが二つ置いてある。
「これ、円ちゃん?」
見た目は、プレーンよりは少し茶色いか。くんくんと臭ってみてもぴんと来ない。
「そ。そっちも、去年小母さんから貰った栗で作った渋皮煮のパウンドだって。もう片方は食べていいらしいよ。ジャム作るのに瓶が足りないって呟いたら、二瓶ほど空けてくれたんだ」
「やった!」
去年の秋、お裾分けと言って、大量の栗を貰った。渋皮煮を作ったのは円だ。その時もお裾分けをしたのだから、本当はパウンドケーキを渡す必要などない。が、要するに悠も円も小母さんにお裾分けをするのが好きなのだ。
「コーヒー? 紅茶?」
どちらがケーキに合うのか、確認をする。円から伝言はなかったのだろうか。
「食べて判断しろ、って言ってたよ。お試しレシピらしいから」
「え、じゃあ小母さんに感想よろしくって言っておかないと」
「そういうこと」
家族以外で忌憚のない意見をくれる貴重な人物でもあるのだった。
「じゃあ、とりあえず、ほうじ茶で」
うん、と頷いて、急須とマグカップを用意する。お客様にお出しするならともかく、いちいち湯呑を用意することはほとんどない。普段使い用の湯呑が無いのがその理由だ。
やかん、やかんと適当な歌を歌いながら、水道から水を入れ、火にかける。
「悠ちゃんは食べてる余裕は?」
「どうかな…」
火からおろしたら、瓶に詰めて蓋をしてひっくり返すまでは、ノンストップで作業をする。ジャムを砂糖の割合と熱による殺菌で、長期保存するためだ。熱いうちに瓶にたっぷり入れて蓋をしてさかさまにすると、滅菌しやすいらしい。また、糖度が高いと、雑菌の増殖を抑える。なので、甘いのは嫌だからと砂糖を減らすことはまずない。甘いのなら、少しいただけば良いと思っているからだ。
「うん。後にする。でもお茶は入れておいて」
「了解」
急須に茶葉を入れ、包丁でケーキを二切れほど切り分け、小皿に移す。小母さんに持って行く分は、ペーパータオルを敷いてからビニール袋へ入れて、口はゴムで閉じておいた。
悠の様子を見ながら、ヤカンの湯気の出方と音を確認し、邪魔にならないように、急須を移動させ、鍋敷きも用意する。動きの邪魔になるようなことは、いろいろと危険なことをよく知っているからだ。
悠も鍋の様子を見ながら、瓶を並べ直し、鍋敷きとお玉杓子を用意する。
「今回はどれくらい?」
「量ったら一二〇〇グラムあったからね、多分、瓶に四つか五つ」
そのうちのひと瓶が龍の家へ。残りは、適当にローテーションで、朝食のヨーグルトのお供になったり、パンに塗って食べたり、円が何かに使ったりする。
今までで印象に残っているのは、ブドウのジャムだ。貰ったはいいが食べきれず、悠が試しにと作ったのだ。皮を剥いて種を取り出してから煮るという作業は思いのほか大変そうだったのを覚えている。が、それよりも、食べた時の、シャリという析出した糖分の食感が面白かった。他のフルーツでは無い食感だ。その他、サクランボ、リンゴ、イチジクなどあるが、悠的には、そのフルーツの風味が消えてしまうのはあまり好きではないらしい。変なところに拘るのは、田崎家の家系なのかもしれない。
「けっこうできるね。ブルーベリーなら、チーズケーキにも合いそう」
「それは円に」
返事をしながら、瓶に詰めていく作業の手は止めない。
環も、邪魔にならないようにヤカンを持ち、移動して避難する。
「うん。今度言ってみるー。あ、ロールケーキにはどうかな。ブルーベリージャムとレアチーズをプレーンの生地で巻くの」
言ってから想像をして、環は却下した。プレーンのスポンジでは、完全に負けてしまう。もっとしっかりした生地でないと、当たり障りのないお菓子になるだろう。
「やっぱり却下」
「早いね」
「うん。想像したらイマイチだった」
急須の蓋を少しあけ、中味を確認して、マグカップに注ぐ。と、ほんわりした良い香りが漂った。
「では、いただきます」
手を合わせてから、パウンドケーキに手を伸ばす。
端のほうから一口齧ると、ほろりと口の中でほどけるような食感がし、優しい甘さとラム酒の香りが口の中に広がった。
「……これは、コーヒーだな」
「なるほど」
悠は手早く蓋をして瓶をひっくり返しながら、相槌をうってくる。
「うん。とりあえず、日本茶でもいいみたい。和素材だからかなー」
まだ熱いほうじ茶に手を伸ばす。両手で抱えるように持って、そっと口にもっていく。環は猫舌なのだ。
「なるほど」
小皿に載せられたもうひときれを口にした悠は、再び同じようにうなずいた。
「なかなかいい出来だね。サツマイモのパウンドの渋皮煮バージョンって言ってたけど、このままでもいい気がするなぁ」
「あ、あれか!」
円がよく作るもののなかに、サツマイモがたっぷりの、バターの効いたパウンドケーキがある。そのサツマイモを渋皮煮に替えただけらしい。
「え、じゃあ円ちゃんはまだ味見してないの?」
円がサツマイモパウンドを作る時は、十八センチの型で二つ焼く。テーブルの上にあったのも二つ。
「冷めてから味見したかったみたいだよ。理由は不明」
「まあ、なんか理由があるんだろうねえ」
そのままパクパクと食べて、もう一切れ食べようかどうしようかを悩んだところで、鉄子がやってきた。フローリングの床に爪の音を響かせて、寝ぼけ眼がひたすら可愛い。
「おはよう、鉄子。よく寝てたね」
年寄り犬の鉄子は、一日のほとんどを寝て過ごす。以前は誰かが帰ると寝ていても目を覚まして勇んで迎えに出ていたのに、今はそれもほとんどない。気がつけば挨拶に行く程度だ。
そっと撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めてはいるが、環が手を離したところでぶるんと体を震わせて、悠の方へ移動する。
その瞬間、つれない…と思うのだが、そんなものかと思ったりもする。鉄子は鉄子なりの哲学で生きているのだろうと、納得させることにしている。
それでも少し寂しくて、環はもう一切れ食べることにした。
口の中に広がるラム酒と栗の味が、慰めてくれているようだった。
「んー」
帰宅した円は一口食べてから唸っていた。
「どしたの?」
コーヒーがいい!と騒いで入れて貰って、三切れ目を口に入れていた環はその様子に首を傾げる。
「コーヒーもいいけど、コーヒーを混ぜたいよね」
どうやら、コーヒーが合うという意見は一致しても、どう使うかで意見が分かれているらしい。
「えー? そうかな。これと、コーヒーをいただくのがいいんじゃないのかな」
円に入れてもらったコーヒーは、実にパウンドケーキに合った。これで充分じゃないか、と思う。
「だってこれじゃ、味があっさりしすぎてるよ」
言われて考える。確かにサツマイモの時は、イモ加減とバター加減が絶妙にマッチしていて、「あとをひく」味だった。それと比べれば、確かにこのケーキは実に大人しい。
「もっと栗が前面に出てくると思ってたんだけど、そうじゃないし」
「コーヒーなんか使ったら、コーヒーに負けるんじゃない?」
「そこなんだよねえ」
栗の旨さというのは、実はそれほど主張がない。どこでその風味を出すかが問題だ。
「ココアか、コーヒーか。とにかくどっちかで試してみよう」
環の意見に同意はしても、試してみたいらしい。この味で満足している彼女としては、イマイチ納得がいかない。
「円ちゃんの好みって変だよね」
だからつい、そんなことを言ってしまう。
が、円はくすりと笑って「お母さんもこうだったよね」と返した。
確かにそうだった。
母のレシピのお菓子はいくつかあるが、常に試行錯誤の連続で、味が定まるのにはほんとうに時間を要したものだ。それまで何度似たような違う味のものを試食させられたか。いい加減にしろと思ったのは一度や二度ではない。
「円ちゃんまで同じことをする必要はないと思う」
ぷう、と膨れてそう言うと、円は肩をすくめた。
「俺も昔はそう思ってたけど、今は母さんの気持ちがよく判るんだ」
そう答える兄は、どこか嬉しそうだった。




