お泊りお食事会
やっぱり、山も落ちも意味もありません。はい。
「あ、トマトはそのままでいいからね」
環は、トマトに十字の切り込みを入れようとしていた瑠菜に声をかける。
「え? 湯むき、しないの?」
「うん。面倒だし、もったいないし」
答えながらも、環の手は止まらない。タマネギをスライスして、キャベツを一口大に切って、小鍋に放り込む。ジャガイモは皮がついたまま水で洗って、耐熱容器に入れてラップをかけて電子レンジへ。レンコンは皮を剥いて、二~三ミリの厚さにスライスしていく。ちなみに、ご飯は炊飯器にお任せ中だ。
「な、なるほど…」
瑠菜は、くるくると機敏に動く環に目を丸くしているが、環自身はそれにまったく気付いていなかった。さらに言えば、瑠菜が『環ちゃんて、本当に、残念な美少女よねえ』と思っていることも知らないし、気付いていない。
「あ!」
思い出したように声をあげる環に、瑠菜がトマトを切ろうとした手を止める。
「え、何…?」
「ごめん、なんか四人分用意しちゃってた…」
しかも、男三人+女一人の四人分…つまるところ、環の家族用の量ということだ。
密かに多いなと感じていた瑠菜は、半分納得し、半分驚きながら、微笑んだ。
「いいよいいよ、余ったら次の日とかにでも食べるし」
「ううう。ごめんね?」
謝る環に、瑠菜は、大丈夫、と笑って見せた。
「うん。でも、それなら別の品も作ろう。うん」
ホント、ゴメンね?と言ったあと、環は唐突にそう言いだした。
「ジャガイモは明らかに多いから、半分はポテトサラダにしちゃおう。明日の朝のキュウリを一本拝借して。レンコンは、きんぴらに。ブロッコリーも半分はポテトサラダ用にしちゃおう」
そう勝手に決めて、環はそれまでよりもさらにテキパキと動きはじめたのだった。
今二人が何をしているかと言うと、環が瑠菜のアパートに泊まりに来ることになり、一宿一飯の恩義、とか言いだして、晩ご飯を作っているのだ。もちろん、食材持参の上で、だ。
小学校に入学した頃から家事手伝いをしていた(させられていた)環には、料理をすることは何の苦もないことだった。刺身など、多少苦手な作業もあるが、魚をおろすことも少しはできる。だがそれは、料理上手なお嬢さんといった感じではなく、大衆食堂の料理人のおばちゃん的な雰囲気で、小・中・高の調理実習で、まわりがポカンとしたのは一度や二度ではない。そして、瑠菜も会ったこともない環の同級生たちとほとんど同じような顔をして、彼女の作業を見ていたのだった。
瑠菜について部屋に入るなり、とにかく食事の用意をしてしまおう!と言い出した環は、まずエプロンをつけて手を洗った。食器類と鍋や菜箸、米などの位置を確認して、冷蔵庫の中身もチェック。とにかく米を炊く準備まで済ませてから、おかずの準備にとりかかり、瑠菜に指示を飛ばした。
なんとなく、きゃあきゃあ言いながら楽しくクッキング、という想像をしていた瑠菜が、その予想が大間違いだったことに気付くのは、開始後五分くらいたった頃だった。二口あるガスコンロを順番に使い、電子レンジも活用し、手際よく同時にいくつもの料理を進行している。実際、何種類の料理を作っていたか瑠菜が知るのは、テーブルに料理がセットされた時だった。向かい合って座って手を合わせて「いただきます」と言いながら、思わず数えてしまったほどだ。
「環ちゃん、時間と勝負してるみたいだったね…」
食べ始める前に、瑠菜は思わず言ってしまったのだった。
すると環はきょとんと目を少し見開いて首を傾げた。
「え? だってそういうものでしょ?」
瑠菜は、「え、まあ、そうだよね…」と返事をし、あとは食事に専念することにしたのだった。
食卓に並んでいたのは、トマトのオムレツ、ジャガイモとソーセージとレンコンとブロッコリーのソテー、キャベツとタマネギのスープと、レタスのサラダだ。そのほかに明日以降のおかずとしてレンコンのきんぴらとポテトサラダもあるが、それは冷蔵庫へ格納済みである。
瑠菜は、おそるおそるトマトのオムレツに箸をつけた。他のものは味の想像ができるが、これだけは未知の体験だったからだ。
その様子を、スープを飲みながらうかがっている環。過去、田崎家でご飯を食べた友達たちは、大抵このトマトのオムレツを不思議そうに見たものだ。そして大抵、
「あ、美味しい」
と言うのだ。トマトが嫌いでない限り。
「なんだろう? トマトの酸味と塩コショウが絶妙?」
塩は、ひとつまみ程度だが、バターを使っているので、その風味もある。なにより、卵のうま味とトマトのうま味の愛称が良いのだと、環は思っている。
「良かった。気にいってもらえて」
にっこり笑って、自分はレンコンに箸を伸ばす。茹でたジャガイモは二ミリくらいの厚さで切り、オリーブオイルで、その他レンコン、ソーセージ、ブロッコリーと一緒にフライパンで焼く。味付けは塩胡椒のみ。炒めるのではなく、焼く。焦げ目が少しついているのが美味しそうに見えるコツだ。焦げ目がつくとジャガイモの表面がカリっとするのも美味しさのうちでもある。そして、レンコンのザクザクという歯触りがいい。
「レンコンも美味しいね!」
瑠菜が、自分の料理を気に入ってくれたようなので、ほっと安心する。料理の上手い下手とは別に、どうしたって味付けの好みはあるのだ。心配していたことが解消されて、ようやく環の肩から力が抜けた。
「スゴイなー」
「ん? 長年やってるから、慣れてるだけだよ」
事実なので、自慢のしようのない部分なのだ。それに、母の教育方針の一つでもあるので、環にとっては至極アタリマエのことでもある。
「長年ってところもスゴイよね。ずっと家事を手伝ってたんでしょ?」
「うーん」
環はどうこたえようか迷う。手伝っていたというより、躾の一種だったのだと思うのだ。
「うちのお母さんって、勉強ができることより、ご飯を作れるほうが大切って思ってたみたいなんだよね」
「?」
「料理ができたら、生きていける、って」
なんともおおざっぱな考えだが、環的には正解だと思っている。
「だから、悠ちゃんも、円ちゃんも普通に作れるんだよ」
今や、どこにだってコンビニはあるし、小さなスーパーでもお惣菜は置いてある。料理なんてできなくても、お金を出せば食べていける。食材の保存を考えたら、一人分なら、下手をすると、買ったほうが安くなるかもしれないほどだ。だが、お金た足りない時には、自炊のほうが役に立つ。料理ができるだけでなく、食材の保存方法なども知っていたら、そこには格段の差が生まれる。
環は、母の考えを聞かせる。瑠菜は、まあ確かにね、と頷いている。理屈は判るが、といったところだろう。初めての反応ではないので、適当に流して、瑠菜を見つめる。
「小学校時代は、学校から帰るとまず宿題をするの。たいてい友達も一緒にうちの家に来てとっとと終わらせる。おやつを食べたら、週に二回、食事当番だったの。もちろん、友達も駆り出される。包丁の使い方、いろんな調理器具の使い方、火の扱い方、いろんなことを教わりながら、作ったの」
いまどきガスの火を使っていることは、友達のお母さんがたに何度か言われたことだ。また、包丁でジャガイモの皮むきをして指を切りかけたことも、一度や二度じゃない。最初はつきっきり。だんだんと作業種が増え、気が付いたら、一人で普通にいろんなものが作れるようになっていた。
「す、すごいね…」
瑠菜は少し呆れたように言った。それをみて、環は苦笑する。
「うちでは普通だったからね」
環も、悠も円も、普通だと思って育っていたから、中学・高校と新しい友達が増えるに従って知らない常識を知るたびに驚いたものだ。
一度母にそれを言ったことがある。その時母が言った言葉が今でも心に残っている。
――それを変わってるとか変だとか言う人がいるのなら、そんな人はほうっておけばいいわ。これがうちの教育方針で、とやかく言われる筋合いはないもの。他人に迷惑をかけてるわけでも、教育上よろしくないことでもないし。……ただね、特別スゴイことでもないことを、環も覚えておいてね。環と同い年で今はできなくても、必要になったらできるようになる人は、ちゃんといるの。あなたは、人よりちょっと早く覚えただけなんだからね?
その時は、なんとなくそんなものかと思っていた。だが、高校を卒業したあたりから、意外と普通に料理をする人が多いことに気付いたのだ。そして、そういった人は、環よりも格段に上手で、向上心もある。田崎家でいうなら、悠である。
――このことだったのか、と環は思ったものだ。
「それが普通だったのが、スゴイんだよ。だって、夕飯の支度時ってすごく忙しいじゃない? その忙しい時に、子供が包丁を持つっていったら、絶対に目が離せないじゃない。やろうと思ったって、なかなかできないよ」
環は目を見開いて瑠菜を見つめた。彼女は、スープに夢中でそのことに気付かない。
母に言われたからだけではなく、なんとなく他者からの反応が気持ち悪くて、環自身、家事を手伝っていることは口外しないようになっていた。もともと大声で言いふらしていたのではなく、遊びに誘われて普通に理由を言って知られていた程度だったのと、小学校時代の友人や、中学校で環の事情を知った友人などが口にすることがあった程度だったので、そのことにより、気持ちの悪い思いをすることは格段と減った。
とはいえ、やはりトラウマではあったのだ。
教育方針がそうだっただけでまったく大したことではないのに奇異の目で見られることは、納得いかないもではあったけれど、思わず口を噤んでしまう程度には、口外したくないようなことだったのだ。
だが、瑠菜は今までの反応とは違う反応をして、環自身にも気づかせてくれた。
――大変だったのは、母だということを。
考えてみれば、包丁を持ったこともないような子供たちが、環だけでなく何人もいる状況で、よく料理を教えられたものだ。環の友達だけではない。長兄の悠、次兄の円の友人たちにも同じように接しているのだ。しかも兄二人の友人たちは、当然男の子が多い。何かあればふざけて遊ぶのが当たり前のような年齢の子供たちなのだ。
「岬ちゃんって、すごいね」
今まで誰ひとりとして、母の苦労に気付いて言葉にしてくれた人はいなかった。
「えー、すごくないよー。って、何が?」
「うん。内緒ー」
そんなことを言いながら、いつか聞いてもらおうと環は思うのだった。




