第2章:「断崖の檻」── パート1
オレゴン州カスケード山脈。その人跡未踏に近い原生林のただ中に、神崎猛の領土はあった。
朝の霧は重く、天を突き刺すように聳え立つダグラスファー(米松)の巨木群を濡れたシートのように包み込んでいた。空気は腐った落ち葉と濡れた樹皮、そして山脈特有の刺すような冷気に満ちている。
午前五時。その静寂を、耳障りな金属音が切り裂いた。
吊り下げられた古い線路の切れ端を、鉄パイプで打ち鳴らす暴力的な音だ。
「全員起立! 外へ出ろ!」
隙間風の吹き込む粗末な木造小屋の中で、若者たちが悲鳴に近い声を上げて跳ね起きた。彼らは毛布を剥ぎ取られ、凍えるような寒さの中、泥まみれのスニーカーに足を押し込んで外へと飛び出していく。
泥濘(泥深い中庭)を見下ろす高台に、神崎猛は立っていた。
四十代後半の、頑強な肉体。極寒の遠征用の分厚いウールコートを羽織り、腕を組んで若者たちを冷酷に見下ろしている。その顔は、世界で最も過酷な土地を歩き渡ってきた冒険家としての生々しい履歴書だった。凍傷で先を失った左手の薬指、カラコルム山脈の絶壁で暴風雪に晒されたことで深く刻まれた顔の皺、そしてシベリア高地を徒歩で縦断した際に肌を焦がした極北の紫外線。
彼は自らの両足と不屈の意志だけで地球上のあらゆる極地を制覇してきた、生粋の陸の冒険家だった。
彼にとって、ドラッグやヒッピー文化に溺れ、親の手に負えなくなってこの山奥に放り込まれてきたアメリカの若者たちは、更生すべき「患者」ですらなかった。それは、大自然という巨大な熔炉に放り込み、一度完全に叩き壊した上で、一から鋳直すべき「泥人形」に過ぎなかった。
「整列!」
神崎の野太い声が、森の湿った空気を震わせた。
薄いシャツ一枚で凍える十数人の若者たちが、ぬかるみの中に慌てて一列に並んだ。彼らの身体は寒さと恐怖で激しく震えている。
神崎は彼らの前を、ゆっくりと歩いた。その一歩一歩が、泥を深く踏みしめる。
「顔を上げろ、このゴミ屑どもが」
神崎は、低く、しゃがれた、しかし一言一言がナイフのように鋭い流暢な英語で語りかけた。かつてロンドンやニューヨークで遠征のスポンサーを募るために磨き上げた彼の英語は、異邦人の拙い言葉ではない。それは、他者を圧倒し、屈服させるための完璧な「支配の道具」だった。
「お前たちは、自分の親が金持ちだから、都会のビルの中にいれば安全だと思い込んでいた。だが、このカスケードの山奥では、お前たちの親の金などただの濡れた紙切れだ。この猛烈な寒さは、お前たちの父親が誰であるかなど気に留めない。この容赦のない泥は、お前たちの高尚な感情など踏みにじるだけだ」
神崎は、列の端に立つ、一人の青年の前で足を止めた。青年は恐怖で歯の根が合わず、ガチガチと音を立てていた。
「ここでは生き残るか、野垂れ死ぬか、その二つに一つしかない。お前たちの腐った根性を叩き直すために、この山がある。俺がお前たちを『人間』にしてやる」
神崎は背後のコーチに顎で合図を送った。
中庭の隅に積まれた、水分を吸って鉛のように重くなったダグラスファーの丸太群が目に入る。
「丸太を担げ。山頂までの駆け足だ。一人でも遅れたら、全員で冷たい沢に飛び込んでもらう」
若者たちから、絶望的な呻きが漏れた。
だが、その中で唯一人、一言も愚痴をこぼさず、熱に浮かされたような瞳で神崎を凝視している少年がいた。ビリーだった。
彼の両足は泥にまみれ、身体は冷気に震えていたが、その視線だけは神崎の頑強な背中に釘付けになっていた。彼にとって、この地獄の支配者こそが、自分を暗闇から引っ張り上げてくれる唯一の光に見え始めていた。
「動け!」
神崎の怒号が響く。若者たちは重い丸太に肩を食い込ませ、霧に包まれた急斜面へと這い登り始めた。その姿を、神崎はただ冷ややかに、絶対的な王の目で監視し続けていた。




