第9章:「カルトの生贄」── パート3
クラカマス郡庁舎の三階にある地方検察局の執務室は、幾重にも重なる紙とインクの匂いに満ちていた。
曇りガラスの窓の外には、オレゴンシティの鉛色の空が広がり、時折、通りを走る大型トラックの排気ブレーキの低い軋みが聞こえてくる。部屋の中央に置かれた重厚なウォールナット材のデスクの上には、マニラ紙の分厚い事件ファイルが、インデックスのアルファベット順に整然と積み上げられていた。
アーサー・バレット副検事は、デスクチェアに深く腰掛け、ゴールドのパイロット万年筆を指先で弄んでいた。彼の前には、泥の乾いたトレンチコートを羽織ったマッケンジー刑事が、立ったまま押し黙っていた。
「座ったらどうだ、マッケンジー」
バレットは視線をファイルから上げずに言った。
「用件なら手短に頼む。二時間後には、郡裁判所で神崎猛の身柄拘束に関する勾留理由開示公判が控えている。大陪審に提出する起訴前要綱の最終確認で手一杯なんだ」
「その起訴状を一度破棄しろ、バレット」
マッケンジーは椅子を引くこともせず、低く濁った声で切り出した。
無精髭に覆われた彼の頬は痩せこけ、目の下の皮膚は黒ずんでいた。
「神崎は犯人じゃない。あのアカデミーに集まった証拠は、あまりにも難なく揃いすぎている。……作為的だ」
バレットの手が止まった。
彼は万年筆を静かにデスクのペン皿に置き、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら、初めてマッケンジーの顔を正面から見据えた。その瞳には、侮蔑でも怒りでもなく、取るに足りない異論に対する事務的な無関心さだけがあった。
「作為的、とはどういう意味だね」
「現場の状況だ」
マッケンジーはデスクに一歩近づき、両手を机の端に置いた。
「考えてみろ。犯人は数ヶ月間にわたり、ポートランドやワシントン州の広域で何人もの女子大生を煙のように消し去ってきたプロだ。現場にはタイヤ痕一つ、指紋一つ残さず、警察を出し抜いてきた。……そんな狡猾なシリアルキラーが、なぜ突然、自分の敷地のすぐ外にある谷底に死体を二体も転がしておく? なぜ、門からすぐの工具小屋の床板に、被害者のイニシャル入りの高価なペンダントを隠すんだ? まるで『ここを探してください』と言わんばかりの配置じゃないか」
マッケンジーは息を荒げ、トレンチコートのポケットから折れた煙草を取り出そうとして、部屋が禁煙であることに気づき手を止めた。
「神崎のアカデミーでトビーという少年が死亡した事故──あいつがそれを隠そうとしていたのは事実だ。だが、今回の連続殺人とは無関係だ。神崎がパニックになって少年の遺体を山奥に隠したそのタイミングを狙って、何者かが外部から二つの死体とペンダントを運び込み、神崎の敷地に『配置』したんだ。……クリス・ベネットだ。あの男以外に、こんな悪魔のような策謀を組み立てられる奴はいない」
部屋の中に、数秒間の完全な沈黙が流れた。
外の事務フロアから、タイピストがキーを叩くリズミカルな金属音だけが、壁越しに小さく届いていた。
バレット検事は、深く、長い溜息をついた。
彼は引き出しから、州警察科学捜査研究所の赤いスタンプが押された一束の鑑定書を取り出し、マッケンジーの目の前に放り出した。
「マッケンジー。君が何を言っているのか、果たして裏付けを踏まえているのかね」
バレットの声は、極めて平坦だった。
「君の言う『何者か』が、嵐の夜にカスケードの林道を通って死体を二体運び込んだとしよう。では、その何者かは、どこで神崎の宿舎に保管されていたのと同じマニラ麻ロープを手に入れたんだね? 科捜研の顕微鏡鑑定を見ろ。被害者の手首の傷口から採取された麻繊維は、神崎のアカデミーで押収されたロープのスプールと、撚りの角度、繊維の太さ、染料の配合まで分子レベルで一致している」
バレットは書類のページを指先でめくった。
「さらに、被害者の背中の挫傷だ。皮膚組織に食い込んでいた樹皮の破片は、神崎の敷地内に積まれていたダグラスファーの丸太と完全に同一のものだ。そして極めつけは、工具小屋の床下から出た十四金のペンダントだ。紛れもなく被害者サラ・ジェンキンスの遺留品であり、神崎の敷地という排他的支配が及ぶ空間から押収された。……証拠物件の保管連続性に何一つ瑕疵はない」
「それは奴が工作したからだ!」
マッケンジーが声を荒らげた。
「ベネットはハリス議員のボランティアとして地域を熟知している。ホットラインを通じて神崎のアカデミーの噂も掴んでいたはずだ。奴なら、事前に神崎の敷地に忍び込んでロープや木片を手に入れ、手口を模倣することなど──」
「証拠はあるのか」
バレットが短く遮った。
その痛烈な一言が、マッケンジーの言葉を喉の奥で詰まらせた。
「ベネットが神崎の敷地に侵入したという物証はあるのかね。足跡は? 指紋は? 第三者の目撃証言は? あるいは、ベネットが事件当夜にカスケード山脈にいたという移動経路の記録はあるのか」
「……あいつはシンシアという女の車を使っている可能性がある。確認中だ」
「可能性、か」
バレットは冷ややかに口角を歪めた。
「マッケンジー、君自身の非公式な捜査報告書を読ませてもらったよ。事件当夜、君はベネットのアパートの前に車を停め、朝まで張り込んでいたそうだな。そして、君自身のメモにはこう書いてある──『午前零時から午前六時に至るまで、被疑者ベネットの車両は駐車場から一歩も動かず、室内の明かりも消灯したままであった』と」
マッケンジーの身体が硬直した。
「君自身が、彼に完璧なアリバイを与えているんだよ、刑事」
バレットはデスクの上に両肘をつき、指を組んだ。
「君が提出できるのは、一人の老練な刑事が抱く直感と無実の罪だけだ。対して、私の手元にあるのは、科捜研の鑑定結果、郡保安官事務所の捜索差押調書、そして被害者の遺留品という、合衆国憲法と証拠法に照らして一分の隙もない物質的証拠の連鎖だ。大陪審の陪審員たちがどちらを信じるか、認識できないとでも言うのかね?」
「バレット、お前は騙されている」
マッケンジーは拳を握りしめ、掠れた声で絞り出した。
「神崎を有罪にして死刑台に送れば、真犯人のベネットはのうのうと野放しになる。奴は誰か適当な奴に濡れ衣を着せる手口を学びながら、次の獲物を探すぞ。お前は、あいつの書いた筋書き通りに踊らされているだけだ」
バレットは静かに立ち上がり、デスクの上のファイルをブリーフケースに滑り込ませた。
その仕草には、これ以上の議論を即座に打ち切るという明確な意志が込められていた。
「私の職務は、客観的証拠に基づいて公訴を提起し、有罪判決を勝ち取ることだ。神崎猛のケースは、近年稀に見る強固な第一級殺人事件だよ。動機、凶器、機会、遺留品。すべてが手落ちなく揃っている。君の個人的な懸念に付き合って、このまたとない起訴をドブに捨てる気はない」
バレットはブリーフケースの金具をパチンと鳴らして閉め、マッケンジーに嫌気が差したような視線を向けた。
「ポートランドの分署長にはすでに連絡を入れてある。……これ以上、証拠もないまま市民に不当な尾行を続け、本件の公判維持を妨害するような真似をするなら、私は君を司法妨害罪で告発せざるを得ない。下がってくれ、マッケンジー。二度と私のオフィスにその話を持ち込むな」
バレットは一度もマッケンジーを見送ることなく、ドアを開けて法廷へと向かっていった。
取り残されたマッケンジーは、静まり返った執務室の中で、無情な雨の打ちつける窓ガラスをただ見つめていた。
デスクの縁には、バレットが残していった科学捜査研究所の鑑定書の写しが置かれたままだった。
麻繊維の顕微鏡写真、丸太の断面寸法、そして被害者のイニシャルが記された証拠目録。朱色の受付印が押されたそれら一枚一枚の公文書が、公判記録の綴り紐で機械的に束ねられ、クリス・ベネットという名前を捜査の余白から少しも残さず削ぎ落としていた。マッケンジーはポケットの中で握り締めていた折れ煙草を無意識に指先で揉み潰し、乾いた茶色い葉の屑が、磨かれたウォールナットのデスクの端に静かにこぼれ落ちていった。




