キリマンジャロ
その日、サラリーマンの男性は夜間営業のカフェに来た。どことなく疲れた様子でメニュー表を眺めている。彼はメニュー表を眺めながらネクタイを緩めた。すぐに何を頼むか決めたようである。男性はカフェマスターに言う。
「キリマンジャロの深煎り、お願いします」
「承知いたしました」
マスターはにこやかに了承した。
キリマンジャロは東アフリカタンザニアのアラビカ種コーヒー豆である。深いコクと豊かな酸味が特徴で、酸味と苦みのバランスが取れていると言われる。浅煎りから中煎りは上品な酸味で深煎りはキャラメルのようなコクが出るという。
マスターはキリマンジャロの豆を電動ミルにかける。夜間のカフェに電動ミルの音が響いた。粉にしたそれをペーパーを敷いたドリッパーに入れる。ケトルに入った適温のお湯を入れ、コーヒーを蒸らしていく。しばらく経ったらお湯をまた注ぎ、コーヒーの粉を膨らませる。
カフェマスターは淹れたコーヒーをコーヒーカップに注ぎ、男性の前のカウンターテーブルに置いた。
「キリマンジャロ、深煎りです。どうぞ」
「ありがとうございます。いただきます」
男性はそう言うとコーヒーカップを手に持ち、一口味わうように飲む。一旦カウンターテーブルにコーヒーを置き、マスターの顔を見た。
「マスターは、ギャグマンガならどのポジションにいたいですか?」
男性の顔はくたびれて見えた。しかし、いつも通りの「もし」の話ではある。マスターはメガネのブリッジを指で押し上げながら考えた。うーん、と息だけで思案する。
「まぁ……ツッコミは嫌ですよね」
と、サラリーマンとマスターはほぼ同時に言葉にした。マスターはお互いが同じ感覚であることに親しみを覚える。
「疲れそうですよね。そもそもツッコミが一人なのが逆にうまみみたいなところがありませんか? あれだとツッコミ側がハードワークになりますよね」
カフェマスターの言葉にサラリーマンは頷いた。
「わかります」
「つまり我々がなるべきはボケでは?」
「ですよね」
サラリーマンもカフェマスターも話が合うことに喜びを隠せない。サラリーマンの男性がさらに言った。
「謎の権力を持っていそうなボケ、好きです」
「普通の高校生のはずなのに学校に隠し部屋作っているタイプの人とかですね? いいですね」
カフェマスターが補足しつつ共感する。そして続けて言葉にした。
「私は時々メインのボケの人に加勢するだけの普段は常識人っぽい人がいいです」
「しゃべくり形式じゃなくてコント形式になった時に駆り出される人ですね」
共感、共感しかない。サラリーマンの男性がキリマンジャロを飲み干す。その後も二人はしばらく談笑を続けた。
それは深いコクのあるキリマンジャロのような、互いが分かることでさらに話の深みを目指せるような、そんな対話であった。




