ブラジル
その日も、サラリーマンの男性は夜間営業のカフェへと足を運んでいた。カフェマスターは男性に挨拶する。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
と、サラリーマンは答える。彼はカウンターの席に座ってメニューを眺めた。ネクタイを緩めながら今日の気分に合うドリンクを見定めている様子である。
マスターはサラリーマンの男性を眺めるでもなく作業しながら視界の端に留めておく。
サラリーマンは注文をした。
「すみません、ブラジルをください」
「かしこまりました」
マスターは答え、ブラジルの豆を電動ミルにかける。
南米ブラジル産のこのコーヒー豆は酸味、苦み、コクのバランスが良い上品な味わいで、ブレンドベースとしてもよく使われる。マスターも店のブレンドのベースにはブラジル豆を使っている。
挽いた豆をペーパーを敷いたドリッパーにあけ、適温のお湯を一度入れる。やや蒸らしたのち、お湯をしっかり入れていった。
できたコーヒーをコーヒーカップに注ぎ、男性の前に置く。
「どうぞ」
「いただきます」
男性が一口飲んだ。それからふうっと息をつく。
「人心地つきました」
「なりよりでございます」
マスターは恭しく言った。サラリーマンの男性がいつものように話す。
「また『もし』の話なのですが、もし自分が恋愛ものの世界の登場人物だったら、どんなキャラとして登場したいですか」
「それはもちろん、こういうカフェで主人公の恋愛相談に乗って甘酸っぱい気持ちを味わいながらアドバイスするマスターになりたいです」
マスターの口からさらっと妄想の話がこぼれた。サラリーマンは困ったような笑顔で言う。
「想像が真に迫ってますね……」
マスターは気恥ずかしくなりメガネを整えるふりをして顔を手で隠した。サラリーマンの男性に聞く。
「お客様はどうですか?」
「自分は読者が『恋敵みたいなキャラかな』と思うようなキャラで、実は主人公カップルを推しているだけのキャラだった、みたいな役をやりたいですね」
サラリーマンの男性は答える。マスターは相槌を打ち、言葉を補った。
「見ている人を一瞬ハラハラさせるタイプのキャラクターですね」
「はい。あと、大抵そういうキャラってイケメンが多いので」
「ああ……なるほど」
瞬時に言語化はできないがやけに共感できる。「恋敵」も「恋敵かと思わせて推しカップルを愛でているだけの人」も何故か顔が良いことが多い。
ブラジルはバランスの良い味わいのコーヒーである。互いの想像が、バランス感覚を崩しているのか、それともそれによって均衡を保つことができているのかカフェマスターには分かりかねた。




