第8話: 新橋SL広場、泥臭きスクラム
大日物産の臨時株主総会まで、あと三日。
裁判での滝サユリの猛攻によって一度は追い詰められたアキレス・キャピタルだったが、虎ノ門の『カールトン法律事務所』の新藤サキは、やはりただ者ではなかった。
サキは卑劣なメディア戦略に打って出たのだ。『大日物産の営業マンがインサイダー取引に関与』『時代遅れのアナログ営業が会社を滅ぼす』という、国家通信AIが生成した精巧なフェイクニュースがネット上にバラ撒かれ、大口の機関投資家たちは一斉に買収賛成派へと寝返ってしまった。
残された逆転の道はただ一つ。
新橋の地権者や会社のOBといった、この街に生きる『個人株主』たちの委任状を泥臭く集め、総会での議決権をひっくり返すことだけだった。
「――上等じゃねえか。最前線で体を張るのなら、俺の専門分野だ」
新橋駅前、SL広場。
夕方のサラリーマンの群れを前に、大日物産の営業マン・佐藤が、はち切れんばかりのワイシャツの袖をまくり上げた。
佐藤は中学、高校、大学とラグビーに全てを捧げてきた男。ポジションはフロントローの『プロップ』。来年のラグビーワールドカップに向けて世間が盛り上がる中、佐藤のフォワード魂は血が滾るように燃えていた。
「滝先生、有吉さん、松井。……神谷町や虎ノ門のエリート様たちの小綺麗な戦術が『バックスの華麗なパス回し』だとしたら、俺たちの営業は『泥塗れのフォワードのスクラム』です。地味で、泥臭くて、痛えけど、一歩ずつ前に進む。スクラムは、最後に足を踏ん張った方が勝つんだ!」
佐藤の雄叫びに、同僚の営業マンたちも「応!」と地鳴りのような声をあげる。
その佐藤の太い肩を、有吉がバシッと叩いた。
「いいこと言うじゃない、佐藤くん。私もね、学生時代はずっとソフトボール部のファーストをやってたのよ。野球より距離が近い分、ソフトの内野ゴロの送球は弾丸ライナー並みにエグいの。でもね、どれだけ荒れた泥塗れの球が飛んきてようと、ベースから足を踏み外さずに、体全体でガッチリ捕球するのが一塁手のプライド。……夜の街の泥臭い情報も、あなたたちの熱いパスも、この有吉が一個も落とさずにレシーブしてあげるわ!」
「有吉さん……! さすが元ソフト部のファースト、頼もしすぎる!」
スポーツを愛し、最前線で踏ん張ってきた者同士にしか分からない熱い結束が、新橋の駅前でガチリと噛み合った。
新橋烏森法律事務所のメンバーも、ヒールを脱ぎ捨ててスニーカーに履き替えていた。サユリは拡声器を握り、有吉は夜の街のファーストとして人脈のボールを受け止めに走る。松井はタブレットを叩き、個人株主の居場所をリアルタイムでマッピングしていく。
「大日物産を守ってください! 新橋の、日本の現場の実業を、実体のないAIに渡してはならないんです!」
サユリの叫びと同時に、佐藤を筆頭とした営業フォワード陣が、新橋中の路地裏へ突撃していった。昼は定食屋の前で、夜は赤提灯の居酒屋の中で、彼らはかつてスクラムを組んだ時のように、一軒一軒、泥臭いローラー営業で頭を下げ続けた。バインミーやガレットでは絶対に湧いてこない、アジフライと生姜焼きで蓄えたエネルギーのすべてを、その足に込めて。
「ママ! がんばって!」
SL広場の片隅から高い声が響いた。
振り返ると、サユリの実母・昌子が、小学三年生のケンタの手を引いて立っていた。昌子の腕には、風呂敷に包まれた大きな三段重の重箱が抱えられている。
「サユリ、有吉さんも松井くんも、佐藤さんたちもこれ食べなさい! ケンタの大好物と、男たちのガソリンだよ。しっかり食べなきゃ、いいスクラムも組めないし、一塁も守れないでしょ!」
「おばあちゃん、ありがとう!」
重箱の蓋を開けると、酢飯の爽やかな香りと出汁の匂いがふわりと広がった。
一の重には彩り鮮やかなちらし寿司、二の重には香ばしい白ゴマがたっぷりとかかったいなり寿司。そして三の重には、優しく甘いだし巻き卵と、しっかりと味が染み込んだおにしめの煮物がぎっしりと詰まっている。
「うおおお! 最高のガソリンだ!」
佐藤たちは歓声をあげ、いなり寿司を大きな口で放り込んだ。「んめえっ……! 滝先生、おばあちゃん、これでさらにあと百軒、スクラム押せます!」
ケンタが佐藤の太い腕を見上げて「ラグビーのお兄ちゃんも、ソフトボールのお姉ちゃんも、かっこいい!」と目を輝かせている。
夫の裏切りという暗いしこりを抱え、孤独に戦ってきたサユリの胸に、新橋の熱気と家族の温もりが、熱い闘志となって込み上げてきた。
「みんな、ラストスパートよ! カールトンの新藤サキに、現場の底力を見せてやりましょう!」
サユリはだし巻き卵を一口で頬張り、再び拡声器を握った。
株主総会当日。
アキレス・キャピタルの役員たちと新藤サキが、勝利を確信して壇上に立っていた。
「それでは、大日物産の通信インフラ売却議案の採決を行います。機関投資家の賛成多数により、本議案は――」
「――お待ちなさい!」
総会会場の重厚な扉が、凄まじい勢いで蹴り開けられた。
現れたのは、滝サユリ。そして、彼女の背後でガッチリと巨大なスクラムを組んだ、汗だくの佐藤たち営業フォワード陣、自由なファーストの構えで不敵に笑う有吉だった。彼らの腕には、数千人分の新橋の個人株主から集めた『手書きの委任状』が詰まった、巨大な段ボール箱が抱えられている。
「フロントローを舐めないことね、新藤先生」
サユリは壇上のライバルを見上げ、誇り高く言い放った。
「新橋烏森法律事務所、ここからが本当の『逆転のスクラム』よ!」




