第7話: 法廷の狂犬 vs エリートの欺瞞
東京地方裁判所民事第11部、第一回口頭弁論。
天井の高い法廷には、冷徹な静寂と、張り詰めた緊張感が満ちていた。
「大日物産が保有する地方通信網の解約、およびアキレス・システムへの移行は、株主利益の最大化を目的とした正当な経営判断です。原告側の主張する『陰謀』など、全くの破綻した被害妄想に過ぎません」
原告席の正面――被告であるアキレス・キャピタルの代理人席で、凛とした、しかし冷ややかな声を響かせたのは、洗練された白のパンツスーツを隙なく着こなした女だった。
虎ノ門の超エリートファーム『カールトン法律事務所』のシニアパートナー、新藤サキ。サユリの学生時代からのライバルであり、常に司法試験の成績を競い合ってきた宿敵である。
サキは、サユリがかつて自ら三行半を突きつけて神谷町の国際法律事務所を辞めたことも、夫の逮捕による離婚のしこりもすべて調べ尽くしていた。サキは美しい唇の端を吊り上げ、原告席のサユリを挑発するように見下ろす。
「犯罪者の妻という立場を嫌って離婚し、“滝”の姓に戻って再起を図った着眼点は評価するわ、サユリ。でも、新橋の小汚い雑居ビルで『新橋烏森法律事務所』なんて急造の事務所を立ち上げ、ラグビー上がりの汗臭い営業マンたちと徒党を組んで上場企業の経営に口を挟むなんて、落ちぶれたものね。これは売名行為と言わざるを得ないわ」
法廷の傍聴席の最前列で、大日物産の営業マン・佐藤が、はち切れんばかりのワイシャツの胸元を震わせ、拳を握りしめた。
佐藤は中学、高校、大学とラグビーの最前線で体を張り続けてきた男だ。ポジションは『プロップ』。来年のラグビーワールドカップに向けて世間が盛り上がる中、彼は「俺のワールドカップは、この新橋の現場だ」と周囲に公言していた。スクラムの一番きつい場所で、数トンの重圧に首をへし折られそうになりながらも、味方のために泥をすすって足を踏ん張る――それがプロップの誇りだ。
「……ふざけんな。滝先生は、俺たちのために戦ってくれてるんだぞ……!」
隣の席の有吉が、佐藤の太い腕をそっと制した。「抑えて、佐藤くん。サユリを信じなさい」
サユリは動じなかった。
彼女はゆっくりと立ち上がり、机の上の書類を手に取った。その目は、かつて神谷町で「法廷の狂犬」と恐れられた時代の、獰猛な獣の輝きを取り戻していた。
「――お言葉ですが、新藤先生。冷房の効いた虎ノ門のオフィスで、バインミーやガレット、パクチー入りのフォーといった、見栄えばかりで腹にもたまらない空虚な“映えランチ”を食べて数字をいじり回しているあなたには、新橋の地を這う現場の『現実』がまるで見えていないようですね」
サユリの声が、法廷の壁に鋭く反響した。
「原告席の後ろにいる佐藤さんは、ラグビーのプロップだった男です。スクラムの最前線で、ただ愚直に、命がけで足を踏ん張ってきた。大日物産の営業マンたちも同じです。『とんかつ三島』のアジフライ定食や日替わりの山盛り生姜焼き定食をガッツリ胃袋に詰め込んで、泥にまみれて地方の取引先との信頼を守ってきた。ここに、彼らが足と汗で集めた、過去三ヶ月分の『通信障害報告書』および『苦情受付書原本』があります!」
サユリが掲げたのは、居酒屋のテーブルで佐藤たちが差し出してくれた、泥と油のついた書類の束だった。
「アキレス・システムが導入された地域では、不自然な回線の重延が頻発している。これのどこが『株主利益の最大化』ですか? 現場のフォワード陣がどれだけ体を張って顧客の信用を死守しても、あなた方の粗悪なシステムがバックスの華麗なパス回しを気取って、すべてをドブに落としているのよ!」
「フン、現場のアナログなトラブルなど、全体の合理化の前には誤差に過ぎん」
サキが不快そうに目を細める。しかし、サユリの隣で松井が、不敵にキーボードを叩いた。法廷のプロジェクターに、巨大なデータ解析図が映し出される。
「それが『誤差』ではない証拠を、今お見せします」
サユリが書類を裁判官へ突きつけた。
「松井弁護士がこの通信障害のログコードを解析した結果、大日物産の地方回線が解約された瞬間、その帯域が丸ごと、アキレス・キャピタルのダミー会社へとリダイレクトされていることが判明しました。目的は、膨大な暗号資産のマイニング。――つまり、あなた方が裏で進めている『国家通信AIシステム』の、莫大な裏資金のロンダリング(資金洗浄)です!」
法廷内が、一瞬で蜂の巣をつついたような騒然とした空気に包まれた。裁判官たちが身を乗り出し、映し出されたログを凝視する。
「なっ……バカな、そんな電子ゴミのような証拠が……!」
初めてサキの完璧なポーカーフェイスが崩れ、驚愕と狼狽が走った。
「これらはすべて、あなた方が『時代遅れ』だと切り捨てようとした、新橋の泥臭いプロップたちが、一歩も引かずに踏ん張って守り抜いた生きた証拠です」
サユリはサキを真っ直ぐに指差し、リバウンドを許さない確信に満ちた声で言い放った。
「滝サユリは、新橋烏森法律事務所は、あなた方の思い通りにはさせない。スマートな嘘で塗り固められたそのシステム、私たちの泥臭い法律のスクラムで、白日の下に引きずり出してあげるわ!」
傍聴席で、佐藤が「よっしゃあ!」と、ノーサイドのホイッスルを聞いた時のように、太い腕を法廷の天井へと突き上げていた。
滝サユリとしての、そして『新橋烏森法律事務所』としての、完璧な反撃のスクラムが力強く押し込まれた瞬間だった。




