第26話: 兄たかしの、後悔
「お前たち夫婦は、新橋の街弁護士を連れて何の用だ。
何度も言わせるな、親父の財産はすべて俺への生前贈与で決まったんだ」
火曜日の午後4時
虎ノ門の格式高いホテルのラウンジ。
再びアポイントを取って現れた兄の島田タカシは、勝訴を確信したような傲慢な笑みを浮かべ、ユウマさんとワカナ先生を見下ろしていた。
だが、サユリは、昌子おばあちゃんの手作り米粉ドーナツで脳の糖分を120%チャージした冷徹な瞳で、タカシを一瞥した。
「ええ。あなたが生前贈与だと主張するその紙切れ、私たちは一ミリも争うつもりはないわ」
「ははっ、ようやく諦めたか!」
「争わないと言ったのよ、島田タカシさん」
サユリは極上の皮肉を込めて冷たく言い放つと、カバンから一枚の重厚な書面を取り出し、大理石のテーブルへカツンと叩きつけた。
そこに刻まれていたのは、東京地方裁判所の公印と、黒黒とした
『令和八年第〇〇〇〇号』という無機質な文字列だった。
「な、なんだこれは……?」
兄、タカシの顔から、一瞬で余裕の笑みが消え失せる。
「昨日、午前九時、東京地方裁判所民事部に正式に不法行為差止および**『遺留分侵害額請求訴訟』を提訴いたしました。これがその事件番号よ**」
サユリの声が、ラウンジの静寂を切り裂くように鋭く響き渡った。
「あなたがどんなに親父さんを脅して全財産を囲い込もうが、民法が弟のユウマさんに保障した『遺留分』は絶対に侵害できない。
さらに、我が新橋烏森法律事務所の優秀なパラリーガルが、あなたが病院にいた親父さんのネットバンキングから、自分の口座へ数千万円を勝手に送金した
『有印私文書偽造』および『不当利得』の完璧な通信ログ証拠も、すでに裁判所へ提出済みよ!」
「ば、バカな……! 提訴しただと!? 事前の話し合いもなしに……!」
タカシはガタガタと震える手で事件番号の刻まれた訴状の控えを握りしめ、顔面を真っ青に染めていった。
事前の和解交渉をすっ飛ばし、言い逃れのできない証拠と共に『事件番号』を直接脳裏に刻み込まれる。
サユリの背後では、元ラガーマン佐藤さんが、大好きなオレンジジュースのグラスをドンとテーブルに置き、太い腕を組んで仁王立ちしていた。
ビールでぼったくりバーに引っかかった大反省から、今日の彼の頭脳はオレンジジュースパワーで100%冴え渡っている。
「タカシ兄さん。
今後は、僕たち夫婦への直接の連絡は一切不可、すべて俺たちの滝先生を通せ。
もし一通でも脅しのメッセージを Signal アプリやショートメッセージで送ってみろ、即座に『強要罪』で警察に突き出すからな!」
完璧な法律の構造の前に、兄タカシは完全にチェックメイトされ、ソファに崩れ落ちた。
島田先生夫婦を苦しめていた傲慢な兄のプライドは、新橋の泥臭い法律のスクラムによって、跡形もなく粉砕されたのだ。




