↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/41

第22話: はるみ先生の悩みごと


 新橋ガード下の、サンクチュアリを守り抜いてから数週間。


 あの息詰まる状況が嘘のように、今日の中央区立小学校のグラウンドは、赤白の帽子を被った子どもたちの歓声と、ブラスバンドの賑やかな演奏に包まれていた。


「ママー! おばあちゃん! こっちこっち!」

 今日は運動会、サユリの息子、タイチが、赤組の帽子を振りながらグラウンドの特等席から身を乗り出して叫んでいる。


「タイチ、走ったら危ないわよ!」


 滝サユリは、いつものシビアなスーツを脱ぎ捨て、爽やかな白のブラウスにスニーカーという動きやすい服装で、最愛の息子の元気な姿に目を細めていた。


 サユリの横には、新橋烏森法律事務所の頼もしい「自慢のメンバー」が勢揃いしていた。


 元ソフトボール部ファーストの有吉は望遠レンズ付きのカメラを構えて早くも臨戦態勢、松井先生も応援のミニ旗を持っている。


そして、デスクから引きずり出されたエンジニアの山村ヨシオは、1リットルの紙パック牛乳を片手に、すでに脳内プログラミングでタイチくんの徒競走の勝率を計算していた。


「よっしゃあ! タイチ、男なら最前線のプロップ魂を見せてやれ! 突撃だァ!」


 一番大きな声を張り上げて応援しているのは、大日物産の熱血営業マン、元ラグビー部の佐藤さんだった。


 はるみさんとの事実婚のスクラムで幸せ絶頂の佐藤さんは、タイチくんにとって最高に格好良くて面白い「大きなお兄ちゃん」であり、今日も事務所の仲間代表として全力でスクラムを組むように応援に駆けつけてくれたのだ。


 お昼のチャイムが鳴ると、グラウンドの芝生の上に大きなレジャーシートが広げられた。


「さあ、みんなでお昼にしましょう。タイチの大好物ばかり、たくさん作ってきたからね」


 実母の昌子おばあちゃんが、クーラーバックから、大きなプラスチック製の三段重の重箱を取り出した。


蓋を開けた瞬間、

五目酢飯の爽やかな香りと、

揚げたての香ばしい匂いが広がり、

全員から「うわあぁ!」と歓声が上がる。


 重箱の中身は、まさに昌子おばちゃんの愛情の結晶だった。

 きび砂糖を隠し味に、牛乳、ガラムマサラ、塩、胡椒を使った、冷めてもジューシーな秘伝の鶏の唐揚げ。


 少しだけ、カラシをまぜた、ポテトの旨味を引き出した、ハム多めのポテトサラダ。


 ふっくらと結ばれたおにぎりに、彩り鮮やかな海苔巻き。


 香ばしい白ゴマがたっぷりかかったいなり寿司。


 タマゴが、たっぷり入った、タマゴサンドには、ハムも、入っていた!


 そして、お出汁がジュワッと溢れる黄金色のだし巻き卵。


 極めつけのデザートには、ゼリー容器に、爽やかな特製のみかんゼリーまで並んでいた。


「うおおお! これっすよ、これ! 昌子さん、

の唐揚げ、やっぱり最高っす!」

 元ラグビー部の佐藤さんが、大喜びで唐揚げといなり寿司を交互に大きな口へ放り込み、オレンジジュースで豪快に流し込んでいる。


 ヨシオも「このポテサラの炭水化物は、午後の応援に必要なエネルギーに一瞬で変換されますね」と、口の周りをマヨネーズだらけにしながら、驚異的な速度でだし巻き卵を平らげていた。


「おい佐藤! お前ばっかり唐揚げ食うなよ! 主役のタイチの分を残しとけ!」


「有吉さんこそ、海苔巻きもう三個目じゃないっすか!」


 ワイワイとはしゃぐサユリたちの楽しそうなピクニックの周りに、いつの間にか、タイチくんの同級生たちが自然と集まってきた。


「タイチ、お前の家のお弁当、めちゃくちゃ美味そう!」

「唐揚げおっきい! いいなぁ、タイチの家のご飯!」

 子どもたちの羨ましそうな視線に、タイチくんは誇らしげに胸を張って言った。


「だろ! 僕のママはすごいんだよ!

このラグビーのお兄ちゃんも、ソフトボールのお姉ちゃんも、みんな僕の自慢のチームメイトなんだ!」


 その賑やかな声を聞きつけて、タイチくんの担任の先生までが、笑顔で近づいてきた。


「滝さん、お騒がせしてすみません。


…まあ、なんて素晴らしいお弁当! 職員室まで良い匂いが届いて、つい私も様子を見に来てしまいました」


「はるみ先生もどうぞ! 昌子おばあちゃんの料理、食べれば元気120%になりますから!」


 佐藤が、

 オレンジジュースを片手に、先生にまでいなり寿司を勧めようとして、はるみさんに「こら、佐藤くん。はるみ先生を困らせちゃダメでしょ」と笑って窘められていた。


 秋晴れの爽やかな風が、レジャーシートの上を吹き抜けていく。


 夫の裏切りや離婚のしこりを乗り越え、この新橋の『街弁』として生きることを選んだサユリ。


 格式高い虎ノ門の最上階にはない、この血の通った温かい日常こそが、自分たちが法律の力で全力で守るべき「聖域」なのだと、サユリは心から実感していた。


 だが、はるみ先生が笑顔でお弁当を一切れ口に運んだ、その直後だった。


 サユリのポケットの中で、普段使っているスマートフォンが、静かに、しかし冷たく振動した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。