第21話: 新橋のジャンヌ・ダルク
虎ノ門の超高層ビルの最上階。
大理石が敷き詰められた『カールトン法律事務所』の受付カウンターに、滝サユリは再び、新橋の泥臭き誇りを胸に立っていた。
「失礼ですが、滝先生。本日のご予約は――」
「今すぐ、新藤サキ先生とメガ・グローバル社のプロジェクトリーダー、およびインハウスロイヤーのアポイントを取ってください」
サユリは受付嬢の言葉を冷徹に遮り、大理石のカウンターに名刺をカツンと響かせた。
「これは、新藤先生の弁護士キャリアの、文字通りの『致命傷』になる案件です。……拒絶すれば、このまま警視庁へ直行しますと、そうお伝えなさい」
その有無を言わせぬ狂犬のオーラに、受付嬢は顔を青くして内線を取った。数分後、サユリは佐藤さんを引き連れ、シニアパートナー室の重厚な扉を蹴り開けた。
「何の用かしら、サユリ。原本を失った街弁が、まだ何かつきまとうわけ?」
デスクの後ろで、新藤サキが偽物の契約書を盾に冷酷に笑う。
傍らの秋元常務とプロジェクトリーダーも勝ち誇った顔をしていた。
だが、サユリは表情をかえずに、テーブルの上に一台のタブレットを滑らせた。画面に映し出されたのは、昨夜、サユリの事務所の金庫から偽の契約書を盗み出した泥棒のGPSログ、そして、それを手にしてホテルで密約を交わしていた二人のハッキング映像と、完全にテキスト化された口唇術の音声ログだった。
「なっ……! これは、どういうことだ……!?」
サキと、インハウスロイヤーが真っ青になって立ち上がる。彼らはプロの法律家だ。
サユリの事務所にあったのが『偽物』であり、自社が闇ルートでそれを盗み出し、さらにその音声ログが完璧に抑えられている意味を、脳内のリーガルチェックが一瞬で理解した。
不倫、不正データ改ざん、そして『窃盗教唆および威力業務妨害』。言い逃れのできないトリプル役満の犯罪事実。
「あなたたちがスマートに着飾って仕掛けた空き巣の罠、
うちの山村ヨシオと長門マモルのPythonのスクラムの前に、すべて筒抜けだったのよ、新藤先生」
サユリはカバンから、二枚の書面を突きつけた。
「選択肢は二つよ、さあ、弁護士先生。
このまま警察の捜査を受け、すべてを公判に持ち込んでカールトンの名と共に社会的に破滅するか。
それとも、本日この場で、源さんに対する立ち退き要求を全面撤回し、
不当な威力業務妨害への賠償責任として、3,000万円の支払いを約束する『示談書兼秘密保持契約書』に今すぐサインするか。
……どちらにするか、選びなさい」
「くっ……、そ、そんな、3,000万など……!」
プロジェクトリーダーが激昂するが、インハウスロイヤーは青い顔で彼の肩を掴み、首を横に振った。
「……勝てない。公判になれば株価も会社も終わりだ。サインするしか……ない」
弁護士は屈辱に唇を噛み締めながら、サユリの突きつけた3,000万円の示談書に、震える手でサインを入れた。
サキの部屋のドアの前では、佐藤さんがラグビーのプロップよろしく仁王立ちしてカールトンのガードマンたちを完全にブロックしていた。
新橋の泥臭い法律のスクラムが、虎ノ門の巨大な巨悪を完膚なきまでにへし折った瞬間だった。
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――そして、その夜。
新橋烏森法律事務所の面々が祝勝会の場に選んだのは、やはりカクテル光線に照らされた『明治神宮野球場』のライトスタンドだった。
東京音頭のミニビニール傘を掲げ、佐藤さんも有吉も大はしゃぎしている。
「滝先生! 有吉さん、松井先生! そして山村のヨシオくん! 乾杯だァ!」
佐藤さんの音頭で、冷え切った生ビールのプラスチックコップが豪快にぶつかり合った。佐藤さんの手には、もちろん大好きな100%オレンジジュースのグラスが握られている。
「ビールでぼったくりバーに引っかかった大反省があるからな!」と笑う佐藤さんを、新しく妻となるはるみさんが「本当に大きな子どもなんだから」と愛おしそうに見つめていた。
「むぐ……もぐ……! この神宮のヘルメットチャーハン、長門マモルにも食べさせてあげたかったっすね」
ベンチに陣取ったヨシオは、右手には『ソフトクリーム』を握って脳の糖分を急速チャージしている。
「本当ね! 次は長門くんも、昌子おばあちゃんのあの体に優しい手作りマフィンやドーナツに、招待しなきゃね!」
有吉が爆笑し、スタンドは温かい爆笑に包まれた。
源さんから贈られた3,000万円の賠償金と、守り抜いた普通借地権の暖簾。
破格のヘッドハンターのスカウトを断り、この新橋の路地裏で『街弁』として生きることを選んだ自分。
格式や実体のない国家システムに縛られるよりも、こうして、昌子のお菓子を貪るヨシオや、オレンジジュースを飲む佐藤さん、事実婚のスクラムを組むはるみさんたちのような「目の前の困っている人」に気軽に寄り添える今の状況こそが、自分にとって何よりも尊く、一番幸せな生き方なのだと、サユリは神宮の爽やかな夜風を浴びながら心の底から確信していた。
夜空に吸い込まれていくヤクルトの快音と、東京音頭の歓声。
滝サユリと、新橋烏森法律事務所の泥臭くも熱い戦いは、この愛おしい新橋の街と共に、これからも一歩一歩、力強く進んでいくのだ。




