第11章: iPhoneからの招待状
平井秀平から衝撃の宣戦布告を突きつけられた翌日。
新橋烏森法律事務所の空気は、朝から異様な緊迫感に包まれていた。
「滝先生、大変なことになりました!」
事務所に飛び込んできたのは、ラグビー仕込みの巨体を汗で濡らした大日物産の営業マン、佐藤だった。
「虎ノ門のカールトン法律事務所の情報システム部――つまり秀平くんのいる部署が、大日物産の上層部に『滝サユリ弁護士が我が社の極秘データに不正アクセスしている』って、ログの証拠を提出しやがったんです! 上層部はパニックになって、先生とのセキュリティ顧問契約を白紙にして、警察に通報するって大騒ぎで……!」
秀平の卑劣な罠だった。奴はカールトンの強力なサーバー権限を悪用し、サユリが10年前に神谷町法律事務所で敗訴したITベンチャーの機密データを、大日物産のシステムから「サユリが不正にハッキングして横領した」かのように、精巧な偽装ログを捏造したのだ。
「スマートな顔して、なんて陰湿なバグを仕掛けてくるのよ……っ」
有吉がソフトボール部のファーストよろしく拳を固く握りしめる。松井は「私、法律の書面はいくらでも書けますが、この電子ログの偽装を暴くのは専門外で……」と悔しそうに唇を噛んだ。
その時、事務所のインターホンが鳴り、届けられたのは差出人不明の小さな宅配便の箱だった。
サユリが怪訝に思いながら箱を開けると、中から出てきたのは、電源の入ったままの一台の白いiPhone SEだった。
サユリがそれを手に取った瞬間、画面がふわりと明滅した。起動していたのは、政府や諜報機関も愛用する、最強の超高セキュリティ暗号化通信アプリ『Signal』。それ以外の不要な初期アプリは、設定画面から全て完全に消去されていた。
画面には、小学校の校門の前に佇む長男・ケンタの後ろ姿の写真。傷だらけのランドセルを背負ったケンタのすぐ近くには、マサヒロと思しき男の影が映り込んでいる。そして、不気味なメッセージが浮かび上がっていた。
『ケンタくん、大きくなったね。秀平の組んだプログラムが、もうすぐお前たちの過去も未来もすべて最適化する。このスマホはお前専用だ。俺はいつでも、すぐ近くで見ているぞ』
サユリが息を呑んだ次の瞬間、Signalの『消えるメッセージ機能』が作動し、テキストと写真は跡形もなく画面から消滅した。
拘置所を出た元夫の影が、送りつけられた暗号スマホの向こうから、最愛の息子にまで迫っている。サユリは激しい眩暈を覚えながらも、唇を血が出るほど噛んで踏みとどまった。
「――サユリさん、松井叔母さん。ちょっとこれ食べて、お茶飲んで落ち着いてください。作戦会議をはじめましょう」
そう言って、事務所のローテーブルに大きな紙袋を置いたのは、新メンバーの、山村ヨシオ(二十八歳)だった。
松井先生の姉の長男であり、生粋の『Python』の使い手である彼は、打ち合わせの帰りに新橋駅近くの有名な『羽根付きたい焼き』を行列に並んで買ってきたのだ。
「ヨシオくん、これは……?」
「新橋名物のたい焼きです。外回りの営業マンもみんなこれで力をつけてるって佐藤先輩から聞きました。それと――」
ヨシオは自分のために、コンビニで買ってきた1リットルの紙パックの牛乳を机にドンと置いた。
「僕は糖分を急いで脳に入れないとコードが書けないので、これで行きます」
ヨシオが差し出したたい焼きは、パリッとした香ばしい薄皮の羽根がついており、中には熱々の粒あんが尻尾までぎっしりと詰まっている。
サユリと有吉、松井は湯気の立つお茶をすすり、ヨシオは紙パックの牛乳をゴクゴクとダイレクトに喉に流し込みながら、たい焼きを大きな口で頬張った。あんこの強烈な甘さと、冷たい牛乳のコクが、ヨシオのエンジニア脳を急速に覚醒させていく。
「ふぅ……美味い。よし、完全に頭が回ってきました」
ヨシオは眼鏡の位置を正し、ノートPCを開いて、送りつけられたiPhone SEに有線ケーブルを繋いだ。凄まじい速度でキーボードを叩き始めると、画面の黒いウィンドウには、彼が操るプログラミング言語『Python』のコードが、滝のように流れ落ちていく。
「……なるほど。あいつら、徹底してますね。このiPhone SE、日本の厳格な本人確認法をすり抜けるために、闇サイト(ダークウェブ)の売人から、闇バイト名義で不正契約された『飛ばし』のSIMカードごと、暗号資産で現金購入された中古端末です。端末固有の識別番号もプロキシで完全に偽装されてます。普通なら追跡は不可能です。……だけど」
ヨシオは牛乳をもう一神話読み、ニヤリと不敵に笑ってエンターキーを強く叩いた。
「秀平の奴、僕を舐めすぎだ。あいつは大日物産のログを書き換えるために、カールトンのサーバーからこの『飛ばしスマホ』へ、Signalの暗号化の裏で『制御パケット』を直接飛ばして同期させている。僕が自作したデータ解析のPythonスクリプト(Pandasライブラリ)でその一瞬の通信ログをクロスチェックしたら、データのタイムスタンプにコンマ数秒の不自然な“歪み”を見つけました。闇サイトで完璧に足跡を消そうと、虎ノ門のオフィスから手動でアクセスした『通信の歪み』までは消せなかった。さらに、このパケット解析の結果、カールトンのシステム管理室にある特定のIPアドレスから直接暗号化データを送受信した形跡が残れてます。……これ、逆探知の完璧な証拠になります!」
ProTech ID Checker +1
「ヨシオくん、それ本当!?」
サユリが身を乗り出す。ヨシオは力強く頷いた。
「本当です。秀平がどれだけ高度な暗号アプリや闇サイトの端末を使って完璧に足跡を消そうと、僕のPython環境(Jupyter Notebook)なら、その偽装アルゴリズムを裏から完全に解体できます。平井秀平みたいな、男の心を弄んでシステムを汚す奴に、先生方の未来も、ケンタくんの未来も渡してたまるか!」
松井の甥であるヨシオの、家族としての、および技術者としての熱い言葉が、事務所の全員の心を震わせた。
マサヒロと秀平という冷徹な「電子の愛人」たちに対し、サユリの背後には、ラグビーの佐藤、ソフトボールの有吉、弁護士の松井、 trenchesそして新メンバーであるヨシオのPythonという、血の通った最強のスクラムが組み上がったのだ。
「ヨシオくん、素晴らしいわ。……新橋烏森法律事務所、反撃に出るわよ」
サユリは「法廷の狂犬」としての、および一人の母親としての、容赦のない笑みを浮かべた。
conquest「虎ノ門のカールトンも、マサヒロも、平井秀平も……まとめて新橋のドブに叩き落としてあげるわ。私たちのスクラムで、あのクソシステムを押し潰すわよ!」
大日物産のバックヤードを舞台にした、天才AIプログラマー秀平 vs 新メンバー山村ヨシオの「Pythonサイバー決戦」の火蓋が、ついに切って落とされた。




