39話『影の揺り籠:搬入路の沈黙』
それは、瞬きよりも短い“事象”だった。
談笑していた護送兵たちの頭上に、漆黒が降りる。
影ではない。
質量を持った「欠損」。
ダリストは落下していない。
重力そのものの向きを一瞬だけ裏返し、天井という概念から空間へと“接続”した。
移動ではない。
侵入でもない。
――空間の所有権の一時的な書き換え。
子供たちの視界が、巨大な蝙蝠翼によって完全に遮断される。
そこにあるのは闇ではない。
「保護された暗部」。
認識そのものを切断された領域。
何も“理解させない”という選択。
外側で、四つの処理が同時に走る。
骨の破砕音は、音になる前に消えた。
頸椎が折れる。
喉が潰れる。
神経の命令が“発火する前”に遮断される。
四人の兵士は抵抗に到達しない。
痛みすら成立しない。
それは虐殺ではない。
戦闘でもない。
――存在の削除。
空間からの不純物除去。
ダリストはゆっくりと翼を畳む。
影が引く。
同時に、死の“痕跡”も消されていく。
床に残るはずだった情報は、そこに到達する前に上書きされていた。
台車の上。
三人の幼児だけが残る。
彼らはまだ理解していない。
だが本能は知っている。
「音が消えた」という事実だけを。
世界から“何かが抜け落ちた”ことだけを。
やがて闇が晴れる。
そこに立っているのは、人ではない。
黒い皮膚。
歪んだ角。
増設された腕。
境界を失った赤い双眸。
救済でもない。
加害でもない。
分類そのものを逸脱した存在。
子供たちは声を出せない。
泣くという機能は、まだ再起動していない。
ダリストは静かに膝を折る。
多足が金属床をわずかに軋ませる。
その音すら、異常なほど小さい。
ここでは“過剰な音”すら敵になることを知っている。
低い声が落ちる。
「……生きたいか」
問いではない。
命令でもない。
観測でもない。
この施設で一度も使われなかった種類の“入力”。
沈黙。
「それとも」
間。
「もう終わったままの方がいいか」
赤い双眸が、三人を順に見た。
そこにあるのは感情ではない。
判断でもない。
ただ、“選別前の空白”を見ている視線。
ダリストは一本の腕を差し出す。
それは鋭利でありながら、異様なほど遅い。
空気の抵抗すら壊さない速度。
触れるか、拒むか。
その選択だけが、この空間に“まだ残っている最後のノイズ”だった。




