26話『観測されるバグ』
重い金属扉をこじ開け、ダリストはふらつきながらB5へ踏み込んだ。
――監視エリア。
壁一面に並ぶモニター。
半数以上は砂嵐を垂れ流し、死んだ魚のように明滅している。
だが、いくつかは“生きている”。
無人の廊下。
引き裂かれた死体。
崩壊した下層。
この施設のすべてが、無機質に“観察”されていた。
視界が揺れる。
内側の声が、脳を掻き毟る。
――だが。
熱が、見える。
モニターの影。
死角。
そこに“いる”。
「……出てこい」
低く、這う声。
電子ノイズの隙間へ沈む。
沈黙。
そして――
「まさか、ここまで来るとはな」
影が動いた。
ゆっくりと光の中へ。
それは“人”の形をしていた。
顔は、かろうじて人間。
知性を残した老いた男。
だが――
額には赤い角。
下半身は無機質な二脚機構。
そして腹部。
そこに臓器はない。
代わりに、裂けた“口”があった。
「私は実験体A」
静かな声。
「この地獄が生んだ、最初の検体だ」
その瞬間。
内側が、弾けた。
『……あああ……あの男だ……!!』
Jの記憶が焼けるように浮かび上がる。
『俺を“失敗”と呼んだ……!!』
憎悪が視界を赤く染める。
『警戒しろ』
セドリックの声。
『単体じゃない……施設と繋がっている』
ダリストは、ゆっくりと顔を上げた。
赤い角が軋む。
蛇の瞳がAを貫く。
「……関係ない」
右肩が唸る。
照準が胸と腹の“口”を捉える。
翅が開く。
黄色の毒が空気を歪める。
「道を空けろ」
一歩。
「さもなければ――」
間。
「お前も、俺の中で生きることになる」
沈黙。
そして。
Aの腹部が、ぬるりと裂けた。
暗黒の奥から、鋼のケーブルが這い出す。
一本。二本。三本。
それらは空間を舐めるように広がり――
ダリストへ絡みついた。
「……」
締め上げ。
逃げ場はない。
次の瞬間。
バチンッ!!
世界が白に弾けた。
「――があああああッ!!」
高圧電流。
数万ボルト。
神経を直接焼く純粋な暴力。
漆黒の装甲の隙間から白煙が噴き出す。
肉と機構の境界が痙攣する。
骨が軋む。
神経が悲鳴を上げる。
思考が焼き切れる。
それでも――
「……だから、どうしたッ!!」
声が落ちた。
折れない。
潰れない。
Aはわずかに目を細める。
「耐性か。いや……異常だな」
感情ではない。
ただの分類。
歩く。
電流を流したまま。
一歩。
また一歩。
痙攣するダリストの前へ。
「弱いな」
見下ろす。
「期待外れだ」
断定。
右腕が変形する。
骨が伸びる。
金属が収束する。
――杭。
逃げる余地すらない速度で、腹部へ突き刺さる。
ズブリ。
肉が裂ける。
骨が砕ける。
脊髄へ到達する。
確実な致命。
だが――
「……?」
止まった。
違和感。
手応えが違う。
ダリストの体内から溢れたのは血ではない。
どす黒い液体。
泡立ち、蠢き、――生きている。
ジュゥゥゥゥッ!!
腐食。
Aの指先が黒く崩れ始める。
「……チッ」
即断。
自らの腕を切断。
ガンッ、と鈍い音。
落ちた腕は煙を上げながら溶けていく。
躊躇なし。
「なるほど」
Aは欠損を見ない。
「内側から腐る構造か」
評価。
それだけ。
ダリストは膝をつく。
だが――
紫の左目が開く。
腹部が蠢く。
肉と骨が互いを引き寄せる。
『殺セ……』
Jの声。
『今スグ……』
「……弱いな」
ダリストは立ち上がる。
ゆっくりと。
確実に。
右肩の銃身が唸る。
回転。加速。臨界。
「なら――」
顔を上げる。
「その“強さ”ごと」
一歩。
床が沈む。
「俺の中で、生きてもらう」
監視モニターが一斉にノイズを吐く。
観測不能。
分類不能。
定義崩壊。
Aは微かに笑う。
「いいだろう」
「喰らい、繋ぎ、肥大したバグ」
視線が交差する。
「君が私を喰うか」
間。
「それとも、この施設が君を消化するか」
沈黙。
そして――
「バグ」
Aは静かに呼ぶ。
「君はまだ“個”だ」
間。
「だから消せる」
モニターが一斉に瞬く。
観測。
解析。
排除。
そのすべてが――
ダリスト一人へ収束した。




