22話『名前を喰らう者へ』
ダリストは、止まらなかった。
幻覚が三つに割れようが、十に増えようが関係ない。
もう視界は信用していない。
翅が震える。
空気の歪み。
熱の揺らぎ。
血の匂い。
“そこにいるもの”だけを拾い上げる感覚へと切り替わっている。
「……見えている」
呟いた瞬間。
ダリストは跳んだ。
一直線。
幻影ではない“重さ”へ。
――ズンッ!!
拳が沈む。
確かな手応え。
「ギッ……!?」
本体。
蛇の胴が大きく歪む。
「……いたな」
低く吐き捨てる。
次の瞬間。
爪が腹部へ深く突き刺さった。
ズブリ、と肉を割る音。
抵抗はある。
だが、それすら“押し潰す側”へ変換される。
「や、め――」
腹の顔が叫ぶ。
だが止まらない。
ダリストはそのまま“開く”。
ベキ、ベキ、と骨が砕ける。
臓物が溢れ、異臭が弾ける。
その中心。
「……いた」
リナ。
――もう、動かない。
潰れた胸。
崩れた四肢。
薄く開いた瞳。
ダリストの動きが、一瞬だけ止まる。
「……リナ」
呼ぶ。
返事はない。
もう、戻らない。
その事実が、静かに沈む。
だが――
「ギギギギッ!!」
蛇が暴れる。
胴が締まり、全身を潰そうと巻き付く。
翅が裂ける。
骨が軋む。
それでも。
「……邪魔だ」
ダリストはリナを片腕で抱えたまま、もう片方の手を蛇の顔へ突き刺した。
眼球を掴む。
そのまま――引き千切る。
ブチッ。
「ギャアアアアアッ!!」
絶叫。
だが、まだ止めない。
顎。
喉。
声帯。
構造そのものを剥がしていく。
“喰った名前”を吐かせるように。
「吐け」
低い声。
「全部……吐き出せ」
だが、何も出てこない。
名前は、そこにはもうない。
最初から。
その事実が、静かに降りた。
ダリストの表情が消える。
「……そうか」
ただの確認。
感情ではない。
「なら――」
次の瞬間。
ダリストは口を開いた。
蛇の胴へ噛みつく。
ガブリ。
肉が裂ける。
骨が砕ける。
臓物が引きずり出される。
暴れる巨体。
だが離さない。
腕で絡め取り、押さえ込み、喰う。
喰う。
喰う。
喰い続ける。
悲鳴はやがて潰れる。
肉が減り、骨が崩れ、存在が薄くなる。
そして。
残骸。
ダリストはその場に膝をついた。
腕の中には、軽すぎる身体。
「……リナ」
もう一度呼ぶ。
当然、返事はない。
分かっている。
それでも。
「……忘れない」
静かな声。
ダリストは、ゆっくりと彼女を抱え直した。
そして――
迷いなく牙を立てる。
優しく。
壊さないように。
喰う。
肉を。
骨を。
血を。
それは捕食ではない。
儀式だった。
「……これでいい」
呟く。
「これで、お前は消えない」
喉を通るたびに、記憶が流れ込む。
恐怖。
空腹。
逃げる足音。
そして――
名前。
「……リナ」
今度は、確かに呼べた。
内側に沈むように。
消えない場所へ刻まれるように。
ダリストは立ち上がる。
漆黒の怪物。
その中には、また一つ“名前”が増えていた。
もう戻れない。
それでも。
「……行くぞ、リナ」
静かに。
だが確かに。
次の階層へ。
その背には、数えきれない“命の重み”が、確かに息づいていた。




