20話『怒りの理由』
B5へ向かうため、ダリストは階段へ足をかけた。
瓦礫が積み重なる、崩落寸前の通路。
その前に――
いた。
「……あ」
リナ。
逃げたはずの少女。
戻ってきていた。
震える膝で、それでも立っている。
「この先……は……危ない……」
声が途切れる。
息が続かない。
それでも、言葉だけは残そうとしている。
ダリストは止まらない。
一瞥だけ。
(……なぜ戻る)
助けていない。
守っていない。
関係もない。
それでも、その姿は――
あまりにも“人間”だった。
一段、上がる。
その瞬間。
「あっ……!」
音。
消えた。
リナが。
視界から。
ダリストの首が動くより早く――
天井が“開いた”。
そこにいた。
落ちてきたのではない。
最初から、そこに“いた”。
巨大な胴体。
蛇のような質量。
腐敗した蛾の翅。
そして腹部。
人の顔。
無数の“名前の残骸”。
その中心の腕が、少女を掴んでいる。
「や……ッ!!」
抵抗は、遅い。
細い腕が折れ、押し潰される。
口が開く。
顎ではない。
“開口部”だ。
飲み込むための構造。
ぐちゃり。
音がした。
リナの身体が、途中から消えていく。
「……あ」
その目が、ダリストを見る。
助けを求めている。
だが声は出ない。
喉が潰れている。
間に合わない。
届かない。
飲み込まれる。
ゴクリ。
その瞬間。
“名前”が消えた。
この空間から。
確かに、ひとつ。
「ギ……ギギ……美味……」
腹の顔が笑う。
「名……前……うまい……」
その声は。
リナの声に似ていた。
――似てしまっていた。
その瞬間。
ダリストの中で、何かが切れた。
音ではない。
境界だ。
(まただ)
守れなかった。
また。
また。
また。
胸の奥が“空白”になる。
怒りではない。
悲しみでもない。
欠落。
右肩の銃身が暴走する。
給弾音。
止まらない。
止められない。
視界が赤に沈む。
紫の左目が、対象を固定する。
「……吐け」
声が低い。
だが震えている。
「その“名前”を……」
一歩。
床が悲鳴を上げる。
「今すぐ吐き出せッ!!」
咆哮。
翅が爆ぜる。
空気が裂ける。
その瞬間。
ダリストは消えた。
残像すら残らない。
次の瞬間――
衝撃。
それは、怒りではない。
正義でもない。
ただひとつ。
「失われた“名前”を取り戻すための衝動」だった。




