17話『名を喰うもの』
階段は瓦礫に埋もれ、エレベーターも沈黙していた。
何度叩いても、鉄の扉は応じない。
ダリストは、指先で扉をなぞる。
冷たい。
「……姑息な真似を」
腰の奥で、アストンの仮面が揺れる。
だが、それは顔には付けない。
被れば――
“あいつの死”が、ただの模造品になる気がした。
ダリストは視線を上げた。
天井。
右肩の銃身が、低く唸る。
「壊せ」
その一言でいい。
骨が軋み、内側で何かが結晶化する。
酸と神経が混ざり、弾丸になる。
ドドドドドドドドドッ!!
紫の閃光。
コンクリートが悲鳴を上げる。
天井が、裂けた。
穴。
風。
上へ。
「……行ける」
翅が広がる。
毒々しい黄色。
警告色の羽ばたきが空気を裂く。
一瞬で、上へ。
B6。
かつて食料庫だった場所。
だが今は――
腐敗の墓場だった。
膨張して破裂した缶詰。
黒く濁った穀物。
床に染み出す腐汁。
「……ハ、はは……」
乾いた笑いが漏れる。
踏み出すたび、何かが潰れる。
その音すら、もうどうでもいい。
だが――
止まる。
紫と紅の両目が同時に捉えた。
“いる”。
棚の影。
腐敗の奥。
何かが、呼吸している。
ヒュウ……ヒュウ……
壊れた肺音。
人間の音。
「……ぁ……」
影が這い出す。
四つん這い。
折れた脚。露出した骨。
それでも、進む。
「……来るな」
かすれた声。
「来るな来るな来るな来るな来るな……ッ!!」
叫び。
牙。
落ちた唾液が床を焼く。
(……酸)
ダリストの喉が鳴る。
似ている。
アストンと。
自分と。
だが――違う。
これは“壊れた結果”だ。
理性が、抜け落ちた後の姿。
影が跳ぶ。
「ああああああああああああッ!!」
理屈のない突進。
飢えだけの動き。
ダリストは、動かない。
見ている。
(……これが)
(喰い続けた先か)
その瞬間。
ドンッ!!
紫の閃光。
弾丸が胸を撃ち抜く。
影は、崩れ落ちた。
ヒュウ……ヒュウ……
弱い呼吸。
まだ、生きている。
ダリストは近づく。
「……なまえ」
かすれた声が漏れる。
「おれ……の……なまえ……」
足が止まる。
影は、空を見ている。
何も見えていない。
「……思い出せ……ない……」
その言葉で、終わった。
沈黙。
ダリストは、しばらく動かなかった。
(名前)
アストン。
バイオレット。
セドリック。
そして――自分。
その順番を、なぞる。
だが、その中に“違和”が混ざる。
一瞬。
「……ダリス……」
誰かが呼んだ気がした。
いや、違う。
呼ばれたのは――自分ではない。
(誰だ)
一瞬だけ、思考が濁る。
視界の輪郭が揺れる。
だが、すぐに戻る。
「……そうか」
ダリストは小さく息を吐いた。
「だから俺は、喰い続ける」
視線を落とす。
影の残骸。
名を失ったもの。
「忘れないために」
銃口が上がる。
撃つ。
紫の閃光。
静かに、終わる。
ダリストは立ち上がる。
もう振り返らない。
腐敗の奥へ。
B5へ。
その歩みはもはや――人間のものではなかった。
だが同時に。
まだ“何か”を手放してはいなかった。




