15話『捕食者の誤算、猛毒の聖餐』
実験体Eは、勝利を確信していた。
無機質な駆動音とともに、右腕のライフルと左腕のマシンガンが内部へ格納される。 代わりに展開されるのは、鈍い光を帯びた厚い振動ブレード。
――解体のための刃。
Eは多脚を蠢かせ、壁に半ば埋もれたダリストの肉体を覆い隠した。 逃げ場はない。視界も、呼吸も、未来も。
「……栄養素、回収……再利用プロセスへ移行……」
鋼鉄の腹部が開く。
そこにあったのは、捕食のためだけに作られた巨大な口腔だった。 幾重にも並ぶ牙が、ゆっくりと噛み合わせを調整するように回転している。
ダリストの意識は、すでに薄い。
だがその底で――異様なほど静かだった。
(……喰うんだろう)
沈む思考。
(……なら、持っていけ)
ほんの一瞬。 ほんの一瞬だけ、躊躇が浮かぶ。
(……これをやれば) (俺は、もう――)
翅の感覚。 酸の熱。 そして、確かに残る“声”。
――『俺を喰え』
――『まだ、生きていたい』
ダリストは、かすかに笑った。
「……上等だ」
「まとめて背負ってやる」
肉体が、変質する。
細胞の一つひとつに異物が叩き込まれ、 アストンの酸が巡り、 バイオレットの毒が血流のように満ちる。
骨の内側まで侵されていく感覚。 それでも、崩壊ではない。
書き換えだ。
「来いよ、鉄クズ……」
「喰ってみろ」
ズブリ、と。
振動ブレードが腹を裂き、 巨大な口腔が内臓ごと肉を噛み砕く。
骨が折れる音が、やけに近い。 世界が裏返るような感覚。
すべてが、飲み込まれていく。
「ギギ……摂取、完了……解析――」
その瞬間だった。
ダリストの紫の左目が、静かに開く。
「――遅い」
内部から、崩壊が始まる。
酸が金属を溶かし、 毒が制御系を侵し、 回路が悲鳴を上げながら焼き切れていく。
「――ッ!? ガ、ア……ギギギギギッ!!」
Eの多脚が暴走する。 床を叩き割り、壁を引き裂き、無意味な破壊を繰り返す。
制御はすでにない。 あるのは“壊れていく音”だけだ。
「エラー……致命的汚染……排除不能……ッ!!」
最強兵器。 完成体。
そのすべてが、内側から腐っていく。
やがて。
音が、止まった。
武器庫の中心で、鋼鉄の巨体が崩れ落ちる。
静寂。
その残骸の中で、ボロ布のような肉塊がわずかに動いた。
ダリストは、右目をゆっくりと開く。
紫の左目が、その光景を最後まで見届ける。
「……これが、“喰う”ってことだ」
誰に向けるでもない言葉。
勝利ではない。 理解でもない。
ただ、捕食という事実だけがそこに残った。
――だが。
視界は、すでにほとんど死んでいる。
右目は焼け落ち、 紫の左目も明滅を繰り返しながら、限界を告げていた。
それでもダリストは動く。
崩れた身体を、引きずるように進める。
血と酸が混じった粘液が、床に線を描く。
ただ一つの方向へ。
まだ“喰えるもの”がある場所へ。
鉄の匂い。 焼けた油。 そして、かつて人間だった残骸。
そこに、実験体Eの核心があった。
ダリストは迷わず手を突っ込む。
引きずり出す。
回路。 肉。 かつて“何か”だったもの。
そして――喰う。
瞬間。
神経が焼き切れた。
「……あああああッ!!」
意識の底で、何かが“流れ込む”。
断片的な記憶が、抵抗もなく侵入してくる。
――『セドリック、昇進おめでとう』
陽光。 勲章。 誰かの笑顔。
引き金を引く指。 風を読む目。 守るために撃つという誇り。
それは確かに、“正しい人間”の記憶だった。
だが同時に――
――『なぜだ……なぜ、俺の家族を殺した!!』
炎。 崩れる家。 軍靴の音。
――『お前が適合者でありながら拒否したからだ』
選ばれた者。 選ばなかった者。 奪われた日常。
ダリストは理解してしまう。
セドリックもまた、“選ばされた側”だった。
自分と同じように。
違うのはただ一つ。
従ったか、拒んだか。
「……ッ、は……」
血とも油ともつかない液体を吐きながら、 ダリストは現実へと戻る。
そこにあるのは鉄屑の残骸。
セドリックだったもの。
敵ではない。 同じ“末路”だ。
それでも。
ダリストは喰らう。
理解したまま。 なお、喰らう。
「……取り込む」
拒絶ではない。
選択だ。
肉体が再び変質する。
砕けた右肩から金属光沢の外殻が芽吹き、 光回路が血管のように全身を走る。
アストンの翅。 バイオレットの毒。 セドリックの鉄。
異なる命が、矛盾したまま同時に脈動する。
ダリストは、わからなくなる。
自分が何者か。
どこまでが“自分”なのか。
それでも。
ひとつだけ、残る。
怒りでもない。 飢えでもない。
意志だ。
「……壊す」
小さく、だが確かに。
「全部……壊してやる」
それは復讐ではない。
個人の感情ですらない。
奪い、喰い、重ねた命すべてが導き出した、 ただひとつの結論だった。
ダリストはゆっくりと立ち上がる。
その手には、 Eの頭部だった大砲の残骸。
もはや武器ではない。 墓標でもない。
――継承の証だ。




