13話『鋼鉄の墓標、紅い標的』
幸いにも、B8からB7へと続く階段は崩れていなかった。
ダリストは一段ずつ踏みしめる。
――遅く。 ――深く。
これまでにないほどの警戒を、全身に張り巡らせながら。
紫に染まった左目が、闇の“歪み”を拾う。
空気の流れ。 埃の軌道。 わずかな温度差。
すべてが“情報”として流れ込んでくる。
B7。
扉の先にあったのは――
積み上げられた「死」だった。
ライフル。槍。ナイフ。弾薬箱。
武器庫。
だが整然とした保管庫ではない。
投げ捨てられ、踏み潰され、忘れ去られた残骸。
鉄は赤く腐り、引き金は錆び、刃は鈍い。
「……武器、か」
ダリストの声が低く落ちる。
足元のライフルを拾う。
指先が、一瞬だけ止まる。
――軍。 ――記号。 ――名前を奪われた日々。
そして。
アストン。
魚を捌く手。 安定を求めた選択。
すべてが一瞬だけ脳裏をかすめる。
ダリストは無言で、それを放り捨てた。
もう必要ない。
この身体は、そんなものに頼る構造ではない。
資料の束を踏み越える。
湿った紙が裂け、文字が滲む。
意味を持たない過去。
そのとき。
チッ――
微かな電子音。
同時に。
胸元に、紅い点が灯った。
「……ッ」
視線を落とす。
ブレない。
揺れない。
心臓の位置に、正確に貼り付く照準。
カチリ。
撃鉄。
遅すぎる情報だった。
ダリストは動かない。
いや――動く必要がない。
呼吸を殺す。 筋肉を緩める。
“撃たせるための静止”。
紫の左目が、ゆっくりと上がる。
軌道。 角度。 距離。 死角。
そして――
見えた。
武器の山の陰。
そこに、“いる”。
人影。
だが、生き物ではない。
機械でもない。
そのどちらの定義からも外れた、“完成した殺意”。
「……誰だ」
低く問う。
返答はない。
あるのは、引き金に宿った“意思”だけ。
ダリストの喉奥で、酸が静かに蠢く。
爪が紫に光る。
――狩りだ。
だが今回は違う。
どちらが狩るか、まだ決まっていない。
静寂。
武器庫全体が、“発射前の世界”に変わる。
ドッ――。
撃たれた。
迷いのない一撃。
人間の射撃ではない。
訓練でもない。
“完成した動作”。
弾丸は一直線に心臓へ。
「――ッ!!」
着弾。
胸郭が内側から爆ぜる。
肋骨が砕け、心臓が潰れ、呼吸が一瞬だけ止まる。
だが――
倒れない。
再生が“修復”ではなく、“上書き”として走る。
壊れた部分をなかったことにするように。
「がああああッ!!」
その反動を、ダリストは前進へ変えた。
喉奥の酸を、圧縮したまま解放する。
濃緑の濁流。
ジュワァァァァァッ!!
空間ごと焼き払うはずだった。
だが。
煙の中から現れたのは――
“無傷”だった。
酸が滑り落ちる。
表面にすら、留まらない。
拒絶ではない。
「存在として認識されていない」。
「……ギ、ギギ……」
金属とも生物とも違う音声。
「攻撃手段、確認。効力……皆無」
その瞬間。
胸部装甲の隙間から、何かが落ちた。
乾いた音。
ダリストの左目が、それを捉える。
【 実験体E 】
「……E……?」
喉が、わずかに鳴る。
煙が晴れる。
そこに立っていたのは――
兵器という言葉すら、生ぬるい存在だった。
蜘蛛のような多脚。
だがそれは“動物”ではない。
鋼鉄で構築された、機能そのもの。
上半身は人型。
だが顔はない。
代わりにあるのは――砲口。
頭部そのものが、主砲。
右腕は狙撃銃と融合し、 左腕は回転銃身と一体化している。
肩には沈黙したグレネード。
全身が“殺戮”のためだけに設計されている。
思考はない。 感情もない。 迷いもない。
ただ一つ。
排除。
ダリストの中で理解が落ちる。
酸は効かない。 毒も効かない。 痛みすらない。
“喰う”という行為が成立しない相手。
ほんの一瞬。
足が止まる。
(……通じない)
だが。
「……だからどうした」
低く吐き捨てる。
右目が赤く燃える。 左目が紫に歪む。
「お前も――奪われた側だろうが」
怒りでも、共感でもない。
ただの事実確認。
「なら壊せる」
ダリストは踏み込む。
床が悲鳴を上げる。
「中身ごと喰い散らかせばいい」
翅が爆ぜた。
空気が裂ける。
弾丸より速く。
思考より先に。
ダリストは鋼鉄の異形へ突っ込んだ。
それは突撃ではない。
――選択だ。




