10話『継承、あるいは異形の産声』
「――があああああッ!!」
喰らい尽くした、その瞬間。
ダリストの肉体が、内側から弾けた。
骨が砕ける。
肉が裂ける。
神経が焼き切れる。
それは捕食ではない。
侵略だ。
異物が、友の“存在”が、
自分という器を乗っ取ろうとしている。
「ぐ……あ、あああッ!!」
背中が裂ける。
蝙蝠の翼が、内側から押し潰される。
ベリ、ベリ、と音を立てて剥がれ落ちる。
その奥から――
透明な翅が、生まれた。
薄く。
脆く見えて。
だが、確かにそこにある。
アストンの翅。
「……ッ……!」
その瞬間。
脳の奥に、何かが流れ込む。
魚の匂い。
包丁の重さ。
朝の市場。
「……朝、仕込みが早くてさ……」
声がする。
――アストン。
一瞬だけ。
確かに、そこにいた。
だが――
次の瞬間。
「――ハァ、ハァ……」
喉が焼ける。
耐えきれず、吐き出す。
ジュッ――。
床が溶ける。
濃緑の酸。
「……は……」
理解する。
自分の中に、“あいつ”がいる。
残っている。
力として。
記憶として。
そして――
「……うまい……」
言葉が、漏れた。
自分でも気づかないまま。
その一言で。
何かが、完全に壊れた。
沈黙。
もう、戻れない。
人間には。
“食う側”の存在に。
ダリストは、ゆっくりと手を伸ばす。
血の中に転がる、仮面。
無機質な、鉄の顔。
それを拾い上げる。
「……行くぞ」
静かに、押し当てる。
「アストン」
冷たい感触。
だが。
今は、それでいい。
背中の翅が、わずかに震える。
まるで、応えるように。
ダリストは立ち上がる。
左目は潰れ。
右目は、紅く燃える。
口の奥では、酸が静かに滴る。
もう迷わない。
上へ。
喰って。
奪って。
進む。
それが――
“継承”だ。
ダリストは、階段の手前で足を止めた。
B8へ続くはずの鉄階段は、無惨に崩れ落ちていた。
まるで、上へ行くことそのものを拒絶するかのように。
「……拒絶、か」
低く呟く。
だが――
構わない。
視線を横へ流す。
明滅する廊下の先。
鈍く光る鋼鉄の箱。
エレベーター。
扉が開く。
沈黙したまま。
滑り込む。
即座に【B1】を押す。
反応は――ない。
沈黙。
B2。
B3。
B7。
すべて、死んでいる。
ただ一つ。
【B8】だけが、弱々しく光った。
「……は」
喉の奥で、笑いが滲む。
「いいじゃないか」
低く。
「一段ずつ、喰わせろってことか」
ガタン。
箱が動き出す。
軋むワイヤー音。
閉ざされた空間。
壁に映る自分。
潰れた左目。
紅く燃える右目。
背で脈打つ透明な翅。
そして、無機質な仮面。
「……」
唾液が溜まる。
飲み込む。
焼ける。
だが――
嫌じゃない。
腹が疼く。
奥から、衝動が顔を出す。
「……まだ、足りない」
魚の匂い。
包丁の重さ。
「……朝は忙しくてさ……」
声。
一瞬だけ。
確かに、そこにいる。
「……見てろよ」
小さく呟く。
「アストン」
「俺は――止まらない」
チーン。
電子音。
扉が開く。
流れ込んでくる空気。
違う。
明らかに、違う。
腐臭でも、廃棄物でもない。
もっと“整理された悪意”。
もっと“完成された地獄”。
ダリストは、一歩踏み出す。
静かに牙を剥いた。
「――喰ってやる」




