29.頭ふわふわ女の襲来
『――お前から魔法を取ったら何が残るんだ?』
変な夢のせいで、嫌なことを思い出した。
昨日、マリアとあんな話をしたせいだろう。
昨晩は夕食を済ませたあと、素材採取に行って、帰還後はすぐに寝た。
でも、それだけだと頭は誤魔化せなかったらしい。
(うわぁ……)
ちょっとげんなりしちゃった。
初恋なんて、良いことばかりではない。
あのときの私はまだ少女と呼んで差し支えない年頃で、恋というよりも憧れの方が近かったのかもしれない。
甘酸っぱいどころか苦々しく、そして淡い思い出にすらなってくれない初恋。
もう具体的には思い出せないけど、すごくムカつくことを言われた――という感情の覚えだけは残っている。
起き上がって手櫛で髪を整えながら、高い位置にある窓をちらりと見た。
ここは元々食糧庫として使われていた地下室だから、窓のサイズは採光程度の必要最小限。
今まではそれが気に入っていたけど、今はちょっと気が滅入った。
無理を言ってここを寝室にしているのに、我ながら身勝手なものだ。
ぼふっとベッドに寝転がって天井を見上げた。
アレンがあの男と違うことくらい、私だってわかっている。
魔法使いではないからといって、魔法を利用することしか考えていない人間ではないことくらい理解している。
「わかっては、いるんだけどなぁ」
そうやってしばらくだらけていると、ノックが届いた。
そこからはいつも通りのルーティン。
侍女が来て、体調の確認を終えれば身支度を整えながら軽く世間話、移動して食事をして、食後は軽く散歩をしてから部屋に戻る。
王城にいれば、もしくは普通の王子妃だったなら、もっとやることがあるんだろうけど。
療養中の身として扱われているレティには、公務も社交もない。
いつもなら部屋に戻ったタイミングで読書や研究に入るんだけど、今日はどうにも気が乗らなかった。
天気は良い。
監視だっていない。
アレンはしばらく来ないし、マリアもたぶん来ないし、秘密の外出はできそう。
でも、素材採取の気分にはなれなくて、かといって黙々と作業する気分でもない。
ベッドに飛び込んで沈み続けてしばらく。
何となく、ベッドのサイドテーブルに視線と意識が向いた。
そこに置かれているのは、一見すると何の変哲もない手鏡。
でも、実際はちょっとした魔法がかかっている。
うつ伏せのまま指先で手繰り寄せた手鏡を覗き込み、コンコンと軽くノックした。
そうすれば、鏡面に波紋が広がり、あっという間に別の場所を映し出してくれる。
鏡の中に映ったのは、執務室にいるアレンの姿だ。
相変わらず真剣そうな顔で書類と付き合っている。
もう一度ノックすると、鏡の向こう側から声が聞こえてきた。
当たり前のことではあるけど、仕事についての会話ばかり。
部下だか側近だか分からないけど、相手の男も生真面目そうだ。
ベッド上に転がったまま聞き続けていても特に面白みはない。
しばらくして音を切ろうとしたとき、場違いな高い声がして慌てて顔を上げた。
鏡の向こう側には若い女がいて、アレンに何か耳打ちをしている。
「……え、なに、だれ?」
耳打ちを受けたアレンは、片手を軽く揺らして人払いした。
執務室内には、若い女とアレンのふたりだけ。
ふわふわと波打った豊かな金髪を揺らして笑う若い女。
あんな人、今まで見たことがない。でも、文官らしからぬ格好をしている。
王侯貴族のご令嬢――にしては、ちょっと違う。執務室に来ること自体おかしい。気がする。
『アレンさまぁ、レティさまは今日も離宮ですの?』
アレンにしなだれかかりつつ甘い声を出している。
見た目は10代後半か20歳くらいなのに、まるで子どもみたいな喋り方だ。
『ああ。レティには、あまり負担をかけたくない』
『まぁ、お可哀想なアレンさま。お寂しいのではございません?』
ふわふわ髪、もとい頭ふわふわ女はにこにことアレンを見つめている。
アレンの視線は手元――書類に落ちたままだ。
しかし、頭ふわふわ女はそれを気にする様子もない。
『私なら、アレンさまに寂しい思いなんてさせませんわ』
『ほう?』
アレンの視線が持ち上がる。
頭ふわふわ女は、にーっこりと笑みを深めた。
『何ができるというんだ?』
『アレンさまに尽くしますわ。お仕事はもちろん、お世継ぎについても』
そう言いながら、頭ふわふわ女は自分の腹部に触れた。
あまりの生々しさにぞわりと鳥肌が立つ。
(……何これ。何を見せられてるの)
アレンが返事をするよりも先に、頭ふわふわ女がこちらを見た。
こちらを、見た。
魔法を使って眺めているのに目が合った――気がした瞬間、私は勢いよくベッドから起き上がる。
そして、レティとしての姿を放り出して元の姿に戻りながら、急いで転移魔法を放った。




