第79話 誰も世界を代表しない
「世界食文化交流会、初代会長。リリアーナ・フィオーレ様」
司会役が読み上げると、十二地域の代表者が一斉に私を見た。
まだ決まっていない役職なのに、席札まで作られている。
しかも金文字。
キラァン、と朝日を弾く私の名前が、ものすごい圧で「さあ座れ」と誘ってくる。
うわあ。困る。
これ、ちょっとだけ座りたい。ほんの一瞬。記念に。椅子の座り心地を確認するだけなら、就任ではないのでは?
脳内の私は、すでに中央席で各国の代表へ華麗に号令していた。
追放王女から世界食文化交流会の初代会長へ!
何この成り上がり。ベタ。ベタすぎる。そして――正直、めちゃくちゃ気持ちいい!
中央の長机。
背もたれの高い椅子。
その後ろには、夜明けの星を囲む十二の小さな紋章。
「立派でございますね」
アンナが言う。
「似合う?」
「とても」
「座っても?」
「規約決定前に着席されれば、『既成事実を作った』と議事録へ残ります」
「座り心地の確認でも?」
「歴史書には、その言い訳まで残るかと」
ぐぬぬ。歴史書、余計なところまで几帳面である。
胸がくすぐったくなった。
追放された王女が、世界中の料理人と商人を結ぶ会の初代会長になる。
物語としては、きれいすぎるほどきれいだ。
「では、席へ」
案内係が椅子を引く。
私が一歩進んだとき、アイーシャが手を挙げた。
「その席に座る前に、規約を決めませんか」
ピタッ。
踏み出した足が止まった。
危ない。今の一歩、危うく“世界を代表する一歩”として絵画にされるところだった。
「ええ。そうしましょう」
外向きには涼しく答えたが、心の中では椅子の背もたれへ手を伸ばしたまま、私の未練がズルズル引きずられている。
六年前でも、六か月前でもない。
異文化メニュー研究所を始めた日と同じように、彼女は私の大きな言葉を、入口で止めてくれた。
◇◇◇
「リリアーナ様が会長では、何が問題なのです」
北方地域の商人が尋ねた。
「知名度があり、出資も多い。夜明けの星には、すでに交流の実績がある」
「問題と決めたわけではありません」
アイーシャは設立案を開いた。
「ただ、この会は誰のものかを、会長名より先に決めたいのです」
「世界の食文化を守り、広める会でしょう」
「世界とは、誰です?」
誰もすぐに答えなかった。
南方、東方、北方、港町、魔族国、獣人自治圏、山岳都市。
今日ここに十二地域がいる。
でも、招待状が届かなかった地域もある。道が遠く、旅費を出せなかった共同体もある。そもそも一つの地域の中に、異なる村、信仰、世代がいる。
「私は南方大陸の交渉人ですが、南方すべてを代表しません」
アイーシャは以前と同じ言葉を、今度は全員へ向けた。
「リリアーナ様も、世界を代表しない。ここにいる誰も、世界を代表しない。その前提から始めるべきです」
「でも、それでは看板が弱い」
北方商人が机へ身を乗り出した。
「人は、顔の見えない会へ金を出しません。リリアーナ様の名前があれば新聞が書く、商会が出資する、客が料理を買う。理想だけで会場代は払えないでしょう!」
もっともだった。
私の名前には、人を呼ぶ力がある。否定すれば謙遜ではなく、ただの嘘になる。
「名前は使っていいわ」
私は金文字の席札を指で押した。
「設立委員として参加したことも、出資した額も、隠さない。でも『リリアーナが世界の料理を認めた』という売り方はさせない。私が食べたことのない料理まで、私の顔で保証するなんて無理よ」
「それで資金が減ったら?」
「減った予算で、できる規模から始める。大きく見せるために、世界を一人分へ縮めないわ」
背の高い椅子が、急に重たく見えた。
「でも、責任者は必要よ」
私は言った。
「ええ。責任者と、象徴は必要です。ただ、一人の名前が組織そのものにならない仕組みも必要です」
◇◇◇
最初の議題は、会員資格だった。
設立案には、『地域または文化を代表する公認団体』とある。
「公認とは、どの国の公認ですか」
獣人自治圏から来た薬草師ナナが尋ねた。
「自治圏には、王の印を持つ料理組合などありません」
「では、長老会の承認を」
役人が提案する。
「長老会に席のない若い料理人は?」
「すべてを入れれば、誰が本物か分からなくなる」
「本物を決める人が、すでに力を持つ者だけになるほうが危険です」
マオ・チェンが白い髭を撫でた。
「ドラゴン諸島では、島ごとに評議方法が違う。一枚の公印を求めれば、大きな島の者しか来られん」
会員を三種類に分ける案が出た。
地域団体会員。職能・文化団体会員。そして、小規模共同体枠。
小規模共同体枠は、公印の代わりに、構成員三者の推薦、活動記録、連絡先を提出する。審査は大地域だけで行わず、小規模枠の現会員も一票を持つ。
「偽の団体ができたら?」
「大きな団体でも、名前だけを貸すことはあります」
タン・ウェイが答える。
「規模で信用を決めず、誰に聞き、何を決められる団体かを公開しましょう」
会員名簿には、代表する範囲ではなく、『意見を聞ける範囲』を書くことになった。
◇◇◇
次に、票の数で揉めた。
「会費と出資額に応じた票がなければ、大規模事業者は参加しません」
商業ギルドの代表が言う。
「資金を出す責任も考慮すべきです」
「責任だけではない。金を出す側は、失敗すれば実際に失うんです」
商業ギルドの代表は、声を荒らげた。
「一票しかない小共同体が理想を決め、費用の四割を夜明けの星が払う。赤字になったら、彼らは同じ痛みを負えますか? 金を出した者の発言まで欲深いと切り捨てるのは、公平ではない!」
会場の空気がピンと張る。
私も、一瞬だけ反発しかけた。
でも、四割の請求書を前に「一票ですから黙って払って」は、さすがに乱暴だ。
「切り捨てないわ。払えない計画を止める権利は、出資者にも必要。でも、その権利で料理の名前や文化の説明まで買えないよう、会議を分けるのよ」
「金は出せ。しかし文化へ口は出すな、と?」
「違う。あなたも一会員として口を出せる。ただし金貨一枚につき一票へはしない。財布を預けることと、誰かの文化を預かることは、同じ契約じゃないもの」
「金貨の多い文化が、正しい文化になるの?」
ナナが尾を強く振った。
「そんなことは言っていない」
「でも、十票を持てば、十人の声より大きくなる」
私は夜明けの星の出資予定額を見た。
設立費用の四割。
その数字を理由に票を増やせば、会長席を断っても、別の形で同じ椅子へ座ることになる。
「通常議決は一会員一票にしましょう」
「資金負担は?」
「予算規模の決定だけ、出資者会議で支払可能額を確認する。でも、文化表示や秘伝の扱いを、出資額で決めない」
アンナが二つの会議を図にした。
活動内容を決める総会。
決まった活動へ、誰がいくら出せるかを調整する財務会議。
「金を出せない計画なら、実行できませんよ」
「ええ。だから縮小や延期は財務会議から提案できる。ただし、金を出す代わりに中身を変えることはできない」
面倒な二重構造だった。
「会議が二つになれば、書類も二倍です」
アンナが静かに告げた。
「やっぱり?」
「議事録、翻訳、招集、異議申立て。単純計算では二倍を超えます」
ううっ。椅子は一つ減らしたのに、書類は増える。権力を手放すと机が軽くなる、なんて誰が言ったの。私の机、紙で沈みそうなんだけど!
「それでも、まとめない」
「承知しております。追加の書記予算を財務会議へ出します」
アンナは最初からそのつもりだったらしい。止めるのではなく、覚悟の値札を見せてくれたのだ。
でも、面倒を一つにまとめれば、金貨が声へ化ける。
◇◇◇
会長の任期について、司会役は三年を提案した。
「短すぎれば、方針が安定しません」
「長すぎれば、最初の人のやり方が規則になります」
アイーシャが返す。
「一年では?」
「遠方地域へ回るまで、十二年かかります」
話し合いの末、議長は半年交代になった。
地域団体、職能・文化団体、小規模共同体枠から順番に候補を出す。同じ地域と同じ組織が連続して議長になれない。
議長は議事を進め、対外文書へ署名する。
ただし、組織を代表して文化の正しさを宣言する権限はない。
「半年では、顔を覚えた頃に交代します」
北方商人はまだ不満そうだった。
「覚えられる顔が一つではないと、世界へ知らせられます」
アレクサンドラが言う。
初代議長の候補に、再び私の名が挙がった。
半年だけなら、引き受けてもよいのではないか。
胸の中で、ささやく声がした。
私は手を挙げた。
手が、重かった。
半年だけ。
最初だけ。
軌道へ乗せたら、すぐ次へ渡す。
どれも、もっともらしい。しかも私は本当に働くつもりだ。私なら会議を進められる。資金も集められる。問題が起きても逃げない。
だからこそ危ない。
「私ならうまくできる」は、いつだって中央席へ座る人が一番気持ちよく言える言葉なのだ。
「夜明けの星は、設立準備と会場を担当しました。最初の議長まで取れば、交代制が形だけに見える。私は候補を辞退します」
ワッ、と小さなどよめきが起きた。
「本当に辞退するのですか?」
「本当に。……誰か、今すぐ席札を裏返して。見ていると惜しくなるから!」
笑いが広がり、案内係が慌てて金文字を伏せた。
その瞬間だけは、元会長候補ではなく、未練たっぷりの一委員だった。
言った瞬間、惜しいと思った。
その気持ちも、なかったことにはしなかった。
◇◇◇
昼食には、十二地域の料理が並ばなかった。
三つだけだった。
準備期間に原材料と調理環境を確認できた、港町の魚粥、東方の豆包、北方の根菜煮込み。
「世界交流会なのに、寂しくありませんか」
記者が尋ねる。
「確認できていない料理を、看板のために並べるほうが寂しいわ」
東方の料理人は豆包の作り方を説明したが、生地の発酵種については話さなかった。
「そこが一番知りたい」
研究者が食い下がる。
「家の者にしか教えないと決めています」
「それでは交流にならないでしょう!」
研究者は悔しそうに声を上げた。
「私たちは技術を学ぶため、三日もかけて来たんです。肝心な部分を隠されて、試食だけして帰れと?」
「試食だけ、とは何ですか」
東方の料理人の声が低くなる。
「家族が守ってきた種で生地を作り、夜明け前から蒸しました。食べてもらうことは“だけ”ではありません。私たちにとっては、それも十分に大きく扉を開けたことです」
研究者が口を閉じた。
知りたい気持ちは悪くない。
でも、知りたい側の熱意が、教える側の扉を蹴破る許可にはならない。
「交流のために、公開しては?」
「交流は、秘密を差し出す入場料ではありません」
アイーシャの声が鋭くなった。
規約へ、『秘伝非公開権』を加えた。
材料、製法、儀礼、呼称について、提供者は理由を説明せず非公開にできる。
公開した情報も、許可した目的以外へ使わない。商品化、研究発表、他地域への転載は、その都度同意を取る。
「公開しなければ、安全確認ができない場合は?」
「その料理を共同販売しない」
私は答えた。
「秘密を暴くか、安全を諦めるかではない。教えたくないものは教えなくていい。その代わり、確認できない表示は付けない」
◇◇◇
秘伝を守る条文ができると、今度は名前の問題が出た。
「作り方を聞かず、似た味を自分たちで作った場合は?」
港町の加工職人が尋ねる。
「それまで禁止すれば、料理を閉じ込めることになります」
タン・ウェイが答えた。
「けれど、似ているからと、特定の村や家の名を勝手に使うのは違う」
卓上に、一枚の商品札が置かれた。
『南方守護獣族の祝い焼き』
実際には、南方の市場で一度食べた商人が、記憶を頼りに作った菓子だった。守護獣族へ確認はなく、祝いの日に食べる物でもないという。
「味が悪いわけではありません」
アイーシャが言う。
「問題は、この名前によって、買う人が誰の料理だと思うかです」
「では、『南方風焼き菓子』なら?」
「南方は広すぎます。香辛料焼き菓子、と材料や作り方で名づけることはできます」
規約へ、文化名・地域名・共同体名の使用確認を加えた。
名前を使う場合、誰へ確認したか、どの範囲で認められたか、いつ見直すかを書く。
売上の分配や監修料は、会が一律に決めない。提供者と事業者が契約し、無償でよいと言われても、その同意を記録する。
「お金を払えば、本物と名乗れますか」
ミアが尋ねた。
「いいえ。支払いは許可を買うだけではありません」
アイーシャが首を振る。
「教える時間、確認する仕事、名前を貸す責任に対する対価です」
料理を真似る自由と、誰かの名を借りる権利。
それを同じ皿へ混ぜないことも、交流会の仕事になった。
その線引きは、料理の味を決めるより難しかった。
◇◇◇
午後、表示事故の共有方法を決めた。
これまで各店で、魚の図形が供物の印と誤解されたこと、角の絵が『不使用』と逆に受け取られたこと、翻訳魔法が席の明るさを種族の距離へ変えたことがある。
「失敗一覧を公開すれば、店の信用を落とします」
ある事業者が言った。
「店名を伏せては?」
「原因を調べるには、使った設備や地域が必要です」
ミアが首を振る。
「では、罰則目的に使われます」
私は返品制度の匿名問い合わせ番号を思い出した。
「二段階に分けましょう」
会員向けには、店舗名、地域、商品、表示、対応、再発防止を共有する。ただし、共有から三十日間は、故意や隠蔽がない限り、会内の制裁点に使わない。
一般向けには、購入者が自分の商品を確認できる情報と、事故の原因、返金・相談先をすぐ公開する。
「猶予期間は、隠す時間ではありません」
ミアが付け加えた。
「客へ知らせるのは即日。会員同士が、正直な報告を罰へ直結させない期間です」
故意に隠した場合、猶予はない。
同じ事故が繰り返された場合も、改善計画を監査する。
失敗を共有することと、失敗してもよいことは違う。
◇◇◇
少数地域枠では、席の数だけでは足りないと分かった。
「総会へ来る旅費が払えません」
山岳の小共同体から来た青年が言う。
「伝令石も、冬は峠の向こうへ届かない」
「席があると聞いて、村で皆が喜びました」
青年は膝の上で帽子を握りしめた。
「でも旅費を計算したら、薬草を売った三か月分でした。村長は『声を聞くと言いながら、来られる金持ちだけの会だ』って笑いました。私、悔しくて。借金してでも来ると言ったら、今度は家族に泣かれました」
「今回は、どうやって?」
「片道ぶんは村で出し、帰りは荷馬車の護衛をします。だから次も来いと言われたら……正直、無理です」
空席を用意するだけでは、そこへ人は座れない。
「旅費補助を作りましょう」
「大地域の会費から?」
「共同基金から。誰が誰を招いたかで、発言の借りを作らないために」
会場へ来られない場合は、書面、録音石、地域の連絡人を使えるようにする。
重要議題は四十日前に送る。
翻訳が届かない地域には、回答期限を延ばす。
「遅いですね」
商業ギルドの代表が言う。
「待っている間に、商機を失う」
「返事を待てない商品は、その文化の名を使わず売ることもできます」
タン・ウェイが答えた。
「料理そのものを禁じるのではありません。確認していないのに、『伝統』『公認』『本場』と名乗らないという話です」
私は前世のコンビニを思い出した。
新商品は速さが命だった。
でも、誰かの名前を借りるなら、その人の返事を待つ時間まで原価に入れなければならない。
◇◇◇
初代議長には、小規模共同体枠からナナが選ばれた。
「私ですか?」
本人がいちばん驚いていた。
「票を数え直します?」
私が尋ねる。
「いえ。数は読めます。ただ、私は世界を知りません」
「その言葉を言える人だから、選ばれたのだと思います」
アイーシャが笑う。
ナナは、最初の議長声明を三行で書いた。
『私たちは世界を代表しない。』
『自分が聞いた声の範囲を明らかにする。』
『聞けなかった声のために、席を空けておく。』
背の高い会長椅子は片づけた。
すべて同じ高さの椅子を円形に並べ、欠席地域の資料を置く空席を二つ作った。
「リリアーナ様のお席はこちらです」
案内されたのは、入口から三番目の普通の椅子だった。
席札には、『夜明けの星・一委員』。
少し寂しくて、かなり誇らしかった。
◇◇◇
設立会見で、記者は私へ質問を集中させた。
「実質的には、リリアーナ様が創設者では?」
「設立案を送ったのは十二地域です」
「最大出資者ですよね」
「通常議決は一票です」
「会長を断ったのは、将来の政治的地位を狙うためですか」
「いいえ」
短く答えたあと、私はナナを紹介した。
「組織の規約は、初代議長から説明します」
記者の半分は、まだ私を見ている。
ナナは少し震えながら、三行の声明を読んだ。
その声が終わるまで、私は口を挟まなかった。
会見後、アンナが尋ねる。
「本当に、よろしかったのですか」
「まだ惜しいわ」
「正直でございますね」
「あの椅子に座れば、世界を良くできる気がしたもの」
「座らなくても、できることはございます」
「ええ。それに、私がいなくても決められる会のほうが、長く続く」
私は一委員の席札を鞄へ入れた。
その下には、三者通商試験の九十日目報告書がある。
通過時間は短くなった。
重大事故はない。
けれど、小商人から届いた異議票の束が、成功の表より厚かった。
世界を代表しないと決めた次の日、私は、その小さな声を聞く会議へ向かうことになった。
鞄の口が閉まらない。
ギュッ。グググ……バインッ!
「世界代表の席札は薄かったのに、異議票はどうしてこんなに分厚いのかしら!」
「聞かれなかった声の重さでございます」
アンナの一言で、私は鞄を押さえる手を止めた。
「……一枚も置いていかないわ。もう一つ鞄をお願い」
椅子は軽くなった。
その代わり、会議へ持っていく荷物は重くなった。




