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第60話 王都は眠らない


「こうして見ると、本当に景色が変わったのね」


リリアーナは王都旗艦店の屋上に立ち、夜の王都を見下ろしていた。午後11時、かつてなら真っ暗だった街並みに、今では温かい光が点々と灯っている。


『夜明けの星』のロゴマークが描かれた看板が、王都各地で明るく輝いていた。


「数えてみましょうか」隣に立つアンナが、手帳を取り出す。


「王都内だけで...12店舗ですね」


「12店舗か...最初の1店舗から考えると、夢のような数字ね」


実際、この1年間での拡大スピードは目覚ましかった。王都旗艦店から始まって、貴族街店、商業街店、職人街店、港街店...それぞれの地域の特色に合わせて出店を続けてきた。


「しかも、それぞれが黒字経営です」ゼルドが売上資料を見ながら報告する。


「物流システムの効果ですね」


確かに、夜間集配センターの稼働により、全店舗への効率的な商品供給が実現していた。それが利益率の向上に直結している。


「でも、一番の成果は人の育成よ」


リリアーナの視線の先では、各店舗の明かりが温かく輝いている。あの光の向こうで、研修センターで学んだスタッフたちが、それぞれの個性を活かして働いているのだ。


「エドワードくんの2号店、今月も売上目標を達成したって」ミアが嬉しそうに報告する。


「マリアさんの港街店も、漁師さんたちに大人気ですし」


「ガルスさんの国境準備店舗も、順調に準備が進んでいます」


一人一人の成長が、事業全体の発展を支えている。


◇◇◇


「それにしても、王都の人たちの生活リズムが本当に変わりましたね」


ロウが感慨深そうに呟く。屋上からは、夜道を歩く人々の姿がよく見える。以前なら日没と共に消えていた人影が、今では深夜でも途切れることがない。


「夜勤の人だけじゃなくて、普通の人たちも夜を楽しむようになった」


「夜間経済の活性化ってやつですね」ゼルドが経済用語を使う。


「でも、それだけじゃないと思うの」リリアーナが続ける。


「どういう意味ですか?」


「夜に明かりがあるということは、安心できる場所があるということ。それが人々の心の余裕を生んでいるのよ」


確かに、犯罪発生率の低下は著しい。王都全体の治安が、明らかに改善している。


「数字で見ても、すごい変化ですよ」アンナが統計資料を開く。


「夜間の犯罪件数は、1年前の4分の1に減少」


「夜間事故の死亡率も、40%減少」


「そして、夜間労働者の満足度調査では、95%が『生活の質が向上した』と回答」


「95%って...ほぼ全員じゃない」


「はい。『夜中でも温かい食事が取れる』『困った時に頼れる場所がある』という安心感が、生活の質を大幅に向上させているようです」


その時、街の向こうから祭囃子のような音が聞こえてきた。


「あ、職人街の夜祭りですね」ミアが音の方向を見る。


「夜祭り?」


「はい。最近、各地区で夜のイベントが増えているんです」


確かに、夜に明かりがあることで、夜間のイベントも可能になった。夜祭り、夜市、夜間コンサート...王都の夜は、今や昼間と同じくらい活気に満ちている。


「王都は眠らない街になったのね」


「その通りです」ゼルドが誇らしげに言う。


「しかも、それが自然な形で定着している。誰かに強制されたわけではなく、人々が自分たちの意志で夜の文化を楽しんでいる」


◇◇◇


屋上から降りて、店内に戻ると、いつもの賑やかな光景が広がっていた。


常連客たちが思い思いに食事を楽しみ、初めての客が興味深そうに商品を見回し、魔族の客と人間の客が自然に隣り合って座っている。


「この光景も、すっかり当たり前になりましたね」レオナルドが感慨深そうに言う。


「レオナルドさんから見て、どう変わりました?」


「劇的ですね。1年前なら、こんな光景は想像もできませんでした」


彼は元ヴェルナー商会の支店長として、従来の商業慣習を知り尽くしている。その彼から見ても、変化は革命的だった。


「何が一番変わったと思いますか?」


「お客様の表情です」レオナルドが即答する。


「表情?」


「はい。以前の夜間は、みんな疲れた顔をしていました。『早く家に帰りたい』『明日が憂鬱だ』という表情」


「でも、今は?」


「楽しそうなんです。夜の時間を積極的に楽しんでいる」


確かに、店内の客たちの表情は明るい。夜の時間が、単なる『昼間の疲れを癒やす時間』から、『積極的に楽しむ時間』に変わっているのだ。


「それに」ミアが付け加える。


「お客様同士の交流も増えました」


「どんな交流?」


「常連さん同士が友達になったり、魔族のお客様と人間のお客様が情報交換したり」


「商談が成立することもあります」ロウが続ける。


「夜の時間に、昼間とは違うコミュニケーションが生まれているんです」


店は単なる商業施設を超えて、社交の場、情報交換の場、文化的な交流の場として機能している。


◇◇◇


「ところで」リリアーナが地図を広げる。


「次の展開を考える時期ね」


地図には、王都内の12店舗が小さなマークで示されている。王国全体を見渡すと、まだまだ空白地域が多い。


「国境店舗の準備はどう?」


「順調です」ガルスが報告する。


「建設は来月完了予定。スタッフの研修も最終段階です」


「魔族領との正式な合意も取れました」ヴォルガーが付け加える。


「両国政府から『民間外交の模範事例』として表彰される予定です」


国境店舗は、単なる商業施設ではない。人間国と魔族領の平和的な交流を促進する、象徴的な意味を持つ施設だ。


「他の地域からの出店要請は?」


「毎日のように来ています」アンナが分厚いファイルを示す。


「地方都市、農村部、港町...全国各地から『うちにも店を』という要請が」


「中には、他国からの要請もあります」ゼルドが興味深い情報を教える。


「他国?」


「はい。隣国の商人が『我が国でも夜営業を展開したい』と正式に申し入れてきました」


これは予想以上の展開だった。国内での成功が、国際的な注目も集めているのだ。


「でも、急激な拡大は危険よ」リリアーナが慎重な判断を示す。


「どうして?」


「品質が保てなくなる。私たちの理念『便利は正義』を、全ての店舗で実践するには、しっかりとした準備が必要」


「なるほど」


「それに、地域に根ざした店作りには時間がかかる。急いで店を増やしても、地域の人に愛されなければ意味がない」


この慎重さが、これまでの成功の秘訣でもあった。


「じゃあ、来年の目標は?」ミアが尋ねる。


「王国内の主要都市に、まず1店舗ずつ。国境店舗の成功を確認してから、国際展開を本格化」


「地道な拡大ですね」


「でも、確実な拡大よ」


◇◇◇


その時、店の扉が開いて、見覚えのある顔が現れた。マクシミリアン議員だった。かつて営業停止動議を出した保守派の重鎮が、今では完全に店の支持者になっている。


「こんばんは、リリアーナ殿」


「マクシミリアン議員、いらっしゃいませ」


「今夜もいつものスープを」


「承知いたします」


彼が席に着くと、近くにいた客たちが気軽に話しかける。


「議員さん、お疲れ様です」


「最近の政治はどうですか?」


「君たちのおかげで、夜の仕事が楽しくなったよ」


政治家と市民が、フランクに交流している光景。これも、1年前には考えられなかった変化だ。


「あの頃を思い出すと、隔世の感がありますね」マクシミリアンがスープを飲みながら呟く。


「あの頃?」


「私が反対していた頃です。今思えば、愚かでした」


「でも、炊き出しで心を変えてくださった」


「あの夜が転機でした。政治家である前に人間だということを、改めて思い出させてもらった」


彼の変化も、この1年間の象徴的な出来事の一つだ。


「今では、私も夜営業の熱心な支持者です」


「ありがとうございます」


「それより、リリアーナ殿」マクシミリアンが真剣な表情になる。


「国際展開の件ですが、政府としても全面的に支援する用意があります」


「政府の支援?」


「はい。君たちの事業は、もはや単なる商業活動ではありません。国の威信をかけた文化輸出事業です」


これは大きな変化だった。政府が公式に支援を表明するということは、事業の社会的意義が完全に認められたということだ。


「でも、政治的な利用はお断りします」リリアーナがはっきりと言う。


「もちろんです。君たちの独立性は尊重します」


「それなら、ありがたく支援をお受けします」


◇◇◇


深夜2時、最後の客が帰った後、スタッフ全員で振り返りの時間を持った。


「この1年を振り返って、どう思う?」リリアーナが尋ねる。


「夢みたいです」ミアが最初に答える。


「最初は小さな村の1店舗だったのに、今では王都全体を変える事業になっている」


「僕も最初は、ただお客さんに喜んでもらえればいいと思ってました」ロウが続ける。


「でも、今では社会全体に影響を与える仕事になっている」


「責任の重さも感じますね」レオナルドが真面目な表情で言う。


「でも、それ以上にやりがいを感じます」


「私は」アンナが言う。


「数字で見る成長も嬉しいですが、一番嬉しいのは人々の笑顔が増えたことです」


確かに、王都の夜には明らかに笑顔が増えている。


「ゼルドは?」


「技術者として、システムが社会を変える力を実感しました」


「でも、技術だけじゃダメなんですよね。それを使う人の心が一番大切だということも学びました」


みんな、それぞれの視点から成長を実感している。


「私は」リリアーナが最後に言う。


「この1年で、便利の本当の意味を理解できたと思う」


「便利の本当の意味?」


「便利は、単に楽になることじゃない。人々が幸せになることよ」


「夜中に温かい食事が食べられる便利さ。困った時に頼れる場所がある安心感。種族を超えて友達になれる喜び」


「それらすべてが『便利』なのね」


全員が深く頷いた。


「でも」リリアーナが地図を見つめる。


「これは始まりに過ぎないわ」


「始まり?」


「王都は眠らない街になった。でも、まだまだ眠っている街がたくさんある」


地図上の空白地域を指差しながら、リリアーナは続ける。


「あそこにも、ここにも、夜中に困っている人がいる。疲れて温かい食事を求めている人がいる」


「その人たちにも、便利と安心を届けたい」


「それが、私たちの次の目標よ」


窓の外を見ると、王都の夜景が美しく輝いている。点々と灯る『夜明けの星』の看板が、街全体を温かく照らしていた。


「王都は眠らない街になった。今度は、王国全体を眠らない国にしましょう」


「はい!」


全員の元気な返事が、夜の静寂に響いた。


一つの大きな試みが終わり、新しい試みが始まろうとしている。


『夜明けの星』は、王都から王国全体へ、そして世界へと、その光を広げていく。


便利は正義。その信念を胸に、新たな挑戦が始まる。


夜は明けない。でも、星は永遠に輝き続ける。


人々の幸せのために、今夜もまた温かい光を灯し続けるのだ。

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