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第6話 初バイト、ミア採用

翌朝、私は台所で炊き上がった米を睨んでいた。


 湯気の向こうで、白い米粒がツヤツヤと光っている。


「見た目は近い。でも、ちょっと水分が足りないのよね。あなた、本当におにぎりになる気はある?」


「先ほどから、お米へ謝罪を要求しておられませんか?」


 アンナが横から釜を覗き込んだ。


「対話しているの。前世の米と、こちらの米は性格が違うから」


「お米にも性格が?」


「あるわ。水を欲しがる米。蒸らすと甘くなる米。冷めた途端に『もう知りません』ってカチカチになる米」


「最後のものは、どことなくリリアーナ様に似ておりますね」


「私、そんなに拗ねないわよ!」


「昨日、200金貨の見積もりを聞いてから、財布へ3回話しかけておられました」


 見られていた。


 いや、あれは財布との別れを惜しんでいただけである。拗ねてはいない。たぶん。


 前世のコンビニでは、工場から届くおにぎりを棚へ並べる側だった。


 何百個と売った記憶があっても、異世界の米から同じ物を一から作れるとは限らない。


「だから、試すのよ。失敗したら水を変える。炊き方を変える。お米へ土下座は最後の手段ね」


「最初から不要です」


 水の量を変えて炊いた3つの釜から、一番まとまりのよい米を選ぶ。


 掌を水で濡らし、塩を薄く広げた。


「強く握れば崩れない。でも、米粒が潰れてギュウギュウになる。弱すぎれば、口へ運ぶ前にボロッと崩れる」


「人づきあいのようですね」


「朝から深いことを言って、私のおにぎりへ人生を背負わせないで」


 手の中で3度ほど返し、丸みのある三角へ整える。


 まずは白い塩むすび。


 次は、酸味のある梅漬け。


 3つ目には、ほぐした焼き鮭を入れた。


 海苔はまだ安定して手に入らない。形も大きさも、保存できる時間も試作段階だ。


「今日はミアさんにも食べてもらいましょう」


「面談で食事まで出すのですか?」


「商品を好きになってもらえるかは大事でしょう? でも、おいしそうに食べたから即採用、なんてしないわよ」


「そのお言葉、書面へ残しても?」


「そこまで信用がない!?」


 私は少し形の崩れた一個を、アンナの皿へコトリと置いた。


「共同事業者による、最初の品質検査をお願いします」


「口止めの賄賂では?」


「試食よ! おいしかったら、昨日の採用顔について忘れてくれてもいいけど!」


「やはり賄賂では?」


 アンナは澄ました顔で一口かじり、それから黙ってもう一口食べた。


 よし。


 言葉より雄弁な合格である。


◇◇◇


 午前10時。


「おはようございます!」


 扉の外から、家の奥まで届く声がした。


 昨夜ロバートと訪ねてきた少女が、今日は一人で立っている。


 16歳。茶色い髪をきっちり三つ編みにし、両腕で使い込まれた小さな帳面を抱えていた。


「おはよう、ミアさん。昨夜はよく眠れた?」


「はい! ……いえ、全然です。何を聞かれるんだろう、失敗したらどうしようって考えていたら、布団の中で朝になりました!」


「正直ね。私も初めて人を雇うから、同じくらい緊張しているわ」


「リリアーナ様もですか?」


「ええ。外側は元王女の威厳で固めているけれど、お腹の中では『ちゃんと話せるかなぁぁ!』って小さな私が走り回ってる」


 ミアが目を丸くした後、クスッと笑った。


「それなら、少し安心しました」


「私の威厳と引き換えに、緊張が解けたのなら何よりよ」


 居間へ案内し、アンナと3人で机を囲む。


 ロバートからは、条件を聞いたうえで本人が望むなら任せる、という書き置きを預かっていた。


「まず、なぜこの店で働きたいのか聞かせて」


「面白そうだからです!」


 即答だった。


「それだけ?」


「……最初は、それだけでした」


 ミアの指が、帳面の擦れた角をなぞる。


「私は小さい頃から父の畑を手伝っています。畑は好きです。芽が出た日は嬉しいし、育てた野菜を『おいしかった』って言ってもらえると、すごく誇らしい」


 明るい声が、少しだけ小さくなった。


「でも、このままずっと父の手伝いだけをして、いつか畑を継いで、それで一生が決まるのかなって思うと……嫌というより、悔しいんです。私、ほかに何ができるのか、自分で確かめたことがないから」


「村を出たいの?」


「いいえ。村も畑も好きです。ここにいたまま、知らない仕事を覚えたい。旅の人と話したい。父の野菜を、料理にして届ける方法も知りたいんです」


 決められた道から、一歩だけ外へ踏み出したい。


 けれど、今までいた場所を憎みたいわけではない。


 その気持ちは、私にもよく分かった。


「では、店の時間から説明するわ。営業時間は午後8時から午前6時までよ」


「10時間、ですね。私、夜更かしは得意です!」


「そこ、胸を張らない。店の営業時間が10時間なのであって、16歳のあなたを10時間ずっと働かせるつもりはないわ」


 最初は夕方の仕込みと、午後8時から午前0時まで。


 農繁期は日数を減らし、畑仕事の後に無理をさせない。


 深夜の単独勤務は禁止。帰りは必ず私たちか家族が付き添う。


 休憩、賃金、支払日、試用期間を書いた紙を渡すと、ミアの目が賃金の行で止まった。


「こ、こんなにもらえるんですか? 私、初めてなのに」


「夜の仕事を含むもの。時間外に仕込みを頼むなら、その分も払うわ」


「でも、何もできないうちから同じ金額なんて、申し訳ないです」


「初めてだから安くていい、とは思わない。覚えるまで教えるのは雇う側の責任よ。あなたが使う時間には、きちんと対価を払います」


 昨日まで、私は人を雇うことを「働き手の確保」と書いていた。


 けれど、確保するのは便利な駒ではない。


 ミアの時間であり、これから自分で選ぶ人生の一部なのだ。


「怖くなったら、今ここで断ってもいい。条件書を持ち帰って、お父様ともう一度相談してもいいわ」


 ミアは最後の行まで読み、それから顔を上げた。


「試してみたいです。できないことがあったら、悔しくて泣くかもしれません。でも、逃げずに教えてください」


「ええ。私も初めての店主よ。できないことは、お互いに言いましょう」


◇◇◇


「では次に、商品候補の試食です!」


 皿を運ぶと、ミアが身を乗り出した。


「握り飯……ですよね?」


「おにぎり、と呼ぶつもり。片手で持てて、仕事の合間にも食べやすい主力商品候補よ」


「候補なんですか?」


「まだ価格、保存時間、作れる数が決まっていないもの。おいしいだけで主力を名乗ったら、商売の神様に帳簿で頭を叩かれるわ」


「商売の神様、武器が地味ですね」


「帳簿の数字は、剣より深く刺さるのよ……」


 昨日、200金貨に刺されたばかりである。


「全部食べなくてもいいわ。味、持ちやすさ、量。遠慮せず、嫌なところも教えて」


「分かりました。真剣に食べます!」


 最初は白い塩むすび。


 ミアは一口かじり、すぐには何も言わなかった。


 断面を見て、もう一口。


 私は平静を装いながら、膝の上で指をギュッと組む。


 何か言って。


 せめて飲み込んで。


 無言の試食、作った側の心臓には悪すぎる!


「外は崩れないのに、中がフワッとしています」


「塩は?」


「最初は薄いと思ったけど、噛むとちょうどいいです。父の握り飯は、絶対に崩れない代わりに、昼には石みたいになるので」


「それは握りすぎね」


「父に言ったら『腹に入れば同じだ』って言いそう。でも、これを食べさせたら悔しがると思います」


「なら、作り方で勝負ね」


 私は少量の米を掌へ取り、ミアにも同じ量を渡した。


「塩を手に広げて、押し潰さずに形をまとめる。ギュッ、ギュッではなく、クルッ、キュッ、クルッくらい」


「音だけだと、急に難しいです!」


「ごめんなさい。手を見て!」


 ミアの一個目は力が入りすぎ、ずっしり重い。


 二個目は優しすぎて、持ち上げた瞬間にボロッと皿へ崩れた。


「うぅ……お米にまで、力加減が極端だって怒られてる気がします」


「大丈夫。私も朝、対話という名の説教をしていたから」


「お米、大変ですね」


「私たちが謝りましょう」


 三個目は、指の跡を残さず形を保った。


「できた!」


 梅入りをかじると、酸っぱさに片目をキュッと閉じる。けれど、すぐに笑った。


「畑で汗をかいた後によさそうです。鮭は旅の人が喜びそう。でも……毎日買える値段になりますか?」


 私は思わずアンナを見る。


「味だけでなく、値段を尋ねましたね」


「畑でも、おいしくても高すぎる物は残るんです。売れ残ると、父が『来年は減らすか』って寂しそうな顔をするから」


 前世の商品知識を持つ私より、村の財布を知るミアに見えることがある。


「鮭は少し高め。塩と梅は普段用。具の量も原価を計算して決めましょう」


「はい!」


 3種類をきれいに食べ終えたミアは、指についた米粒までつまんで口へ運んだ。


「いつもの米なのに、少し工夫すると、誰かへ教えたくなるくらい変わるんですね。私、これを皆へ届ける仕事がしたいです」


「なら、売るだけでなく作る側も覚えてもらうわよ」


「もちろんです。次こそ崩しません!」


◇◇◇


 私は条件書をもう一度、ミアの前へ置いた。


「1週間は試用と研修。その間も賃金は同じ。危険だと思ったら中止する。ミアさんも、合わないと思ったら辞められる」


「はい」


「お父様の同意も書面でもらう。そして何より、あなた自身の意思で働く。それでよければ――正式に採用します」


 ミアが息を止めた。


 次の瞬間、ガタン! と椅子が倒れそうな勢いで立ち上がる。


「ありがとうございます! 私、この村で一番の店員になります!」


「まずは椅子を倒さない店員から始めましょう」


 アンナが片手で椅子を支え、3人で笑った。


 村から初めて迎える、有給の店員。


 王宮では、人が仕えるのは当たり前だった。


 けれど今、ミアは王女の肩書ではなく、まだ名前も看板もない私の店で働きたいと言ってくれた。


 嬉しい。


 同時に、怖い。


 私が判断を誤れば、この子の時間も、賃金も、期待も失わせる。


「ミアさん。楽しいことばかりではないと思う。失敗して悔しい日も、眠くてつらい日もあるわ。それでも、一人で我慢しないで言ってね」


「リリアーナ様も言ってください。店主だからって、一人で我慢したら駄目です」


 思わぬ言葉に、胸がドクンと鳴った。


 雇ってあげるのではない。


 一緒に働く人を迎えるのだ。


「ええ。約束するわ」


◇◇◇


 午後から、最初の研修を始めた。


「お客様が来たら、『いらっしゃいませ。お疲れ様です』。夜に働いている方へは、迎えるだけでなく労をねぎらいたいの」


「いらっしゃいませ! お疲れ様です!」


 ビリッ、と窓が震え、木の枝から鳥がバサバサッと飛び立った。


「元気は満点! でも、夜中にその声量を出したら、お客様より先に村中が起きるわ!」


「す、すみません! これくらいですか……いらっしゃいませ」


「今度は小さすぎて、私にしか聞こえない」


「ちょうど真ん中って、難しいぃぃ……!」


「大丈夫。明るさはそのまま、声を半分。相手の顔まで届けるつもりで」


 3度目。


 耳へ届くが、驚かせない声になった。


「今のがいいわ」


「たった一言なのに、こんなに難しいんですね」


「挨拶は声を出すだけではなく、相手へ届ける仕事だからね」


 次は袋詰め。


 ミアは重い瓶をパンの上へ置き、アンナから無言で袋を返された。


「あっ! パンが潰れます!」


「気づいたなら、次は大丈夫よ。重い物を下、軽い物を上。温かい物と冷たい物は分ける」


「はい。瓶は下。パンは上。お客様の夕食を、私が平たい謎の物体へ変えない!」


「その意気よ」


 釣り銭の計算は速かった。


 ロバートの畑で売上帳をつけ、市場でも客から硬貨を受け取っていたという。


「73銅貨の商品に100銅貨。お返しは?」


「27銅貨です」


「正解。では、2つの商品を包んでいる途中で、次のお客様から質問されたら?」


「全部同時に答えます!」


 実際に演じてもらうと、袋を落とし、釣り銭を2度数え直し、私の質問へ3回答えた。


「無理です! 手が2本しかないのに、どうして口まで足りなくなるんですか!?」


「全部同時にやろうとしたからよ。速さより、間違えないこと。『少々お待ちください』も立派な接客なの」


「少々お待ちください……この言葉、神様みたいに頼もしいです」


「待たせすぎると、神様から苦情になるけどね」


 失敗するたび、ミアは帳面へ理由を書いた。


 笑顔だけで何でもこなす天才ではない。


 それでも、分からないことを分からないと言い、次に直そうとする。


 その姿勢こそ、一緒に働くうえで何より頼もしかった。


◇◇◇


 最後は、私が客役になった。


「おにぎりとお茶をください」


「ありがとうございます。おにぎりは温めますか?」


 教えていない言葉に、私は瞬きをした。


「どうして、そう思ったの?」


「朝のおにぎりが温かくて、おいしかったからです。でも、梅は冷たい方が好きな人もいるかもしれないから、聞いた方がいいかなって」


「いい考えね。ただし、温めてよい商品と包み方は、これから決める。勝手に温める前に必ず確認すること」


「はい。袋は、お茶と分けますか?」


「一緒で大丈夫よ」


 ミアは品を入れ、代金を告げ、受け取った硬貨を声に出して確認した。


 釣り銭を私の掌へ置き、ほっとしたように笑う。


「ありがとうございました。またお越しください」


「最初の研修としては、合格よ」


「本当ですか!」


「ええ。でも明日からも覚えることは山ほどあるわ」


「山なら慣れています。畑の向こうにありますから!」


「その山とは、少し違うのよねぇ」


 意味は違うが、その勢いは買いたい。


◇◇◇


 翌朝、私たちは改装前の店へ向かった。


 オルフ親方は材料を手配し、床下の確認を始めるところだった。


 工事の邪魔にならない範囲で、ミアにも働く側から図面を見てもらう。


「ここが会計台。後ろが温かい商品の受け渡し口。飲み物の冷却箱は右側よ」


 ミアは入口から客のつもりで歩き、次に会計台の内側へ入った。


「リリアーナ様。ここからだと、奥の棚の下が見えません」


「背の低い子供がいたら、姿ごと隠れるわね」


 棚を少し斜めにし、端の高さを下げる案を図面へ加える。


「それと、倉庫から重い野菜を運ぶなら、この角へ腰をぶつけそうです。私、畑の納屋で何度もやりました。ものすっごく痛いです」


「経験に裏打ちされた、切実な意見ね。通路を半尺広げましょう」


 オルフが後ろから図面を覗いた。


「昨日のうちに言ってくれて助かった。木を切った後なら追加料金だぞ」


「危なかった! 私の財布が、また葬儀会場を予約するところだったわ!」


「何の話だ?」


「こちらの話です!」


 前世の完成された店を覚えているからこそ、私は正解を知っているつもりになりやすい。


 けれど、この店で毎日動くのは、記憶の中の店員ではなく私たちだ。


 午後には、商品について意見を聞いた。


「夜に欲しくなる物って、何だと思う?」


「温かい物のほかに、甘い物です。畑仕事の後、甘い豆を食べると元気が出ます」


「甘い豆を、柔らかい餅で包んだらどうかしら。大福みたいに」


「おいしそう! 片手で食べられて、手も汚れにくそうです!」


「冒険者には?」


「日持ちする保存食です。歩きながら食べられて、袋を開けた後も少しずつ使える物がいいと思います」


 大福。乾燥させた携帯食。小分けの木の実。塩気のある物と甘い物。


 帳面には、私一人では思いつかなかった商品候補が増えていった。


 まだどれも試作前で、価格も保存時間も未定。


 それでも、空っぽだった店へ少しずつ未来が並び始めている。


 夕方、ミアを家まで送り、ロバートへ研修の様子と勤務条件を説明した。


 父親の署名をもらっても、最後にもう一度ミア本人へ尋ねる。


「明日も来る?」


「はい。今日より一つ、できることを増やします」


 何でもできます、ではなく、一つ。


 その答えが気に入った。


「最初の店員が決まりましたね」


 帰り道、アンナが私の隣で言う。


「ええ。村から初めて来てくれた、有給の店員よ」


「私は店員に数えないのですか?」


「アンナは創業時からの共同事業者でしょう。番号をつけたら、私より先輩になってしまうわ」


「事実では?」


「そこは共同事業者で手を打って!」


 私たちは笑いながら、まだ暗い店へ戻った。


 建物には棚も灯りもない。


 けれど、誰が声を出し、誰が商品を渡し、失敗した誰を支えるのか。その姿は、もう見え始めている。


「では明日は、挨拶と会計の練習ですね!」


 ミアが拳を握る。


「私、100回でも練習します!」


「100回は喉を傷めるわ。まず10回にしましょう」


「はい! いらっしゃいませ!」


「今から始めるの!?」


「1回目です!」


 元気な声に驚いた茶白の猫が、屋根裏をドタタタッと走った。


 アンナが2回目を数え、私は3回目の声量を半分にするよう頼む。


 棚も灯りもない店へ、開店前の「いらっしゃいませ」が何度も響く。


 暗かった廃屋は、人の声から先に店へ変わり始めていた。

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