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第55話 民意は夜に集まる


「うわぁ...今夜は本当に冷えるわね」


リリアーナは店の外を見ながら、思わず身震いした。議会での勝利から三日後、王都には今年一番の寒波が襲来していた。通りを歩く人々は皆、厚いコートに身を包み、足早に暖かい場所を求めて移動している。


「気温がいつもより10度は低いです」アンナが外から戻ってきて報告する。「街角で震えている人もたくさん見かけました」


「それは大変ね...」


店内は温かい魔灯と調理の熱で快適だが、外の寒さは容赦ない。特に、屋外で働く人や住む場所に困っている人にとっては、生命に関わる寒さだろう。


「リリアーナ様、いつもより困った顔のお客さんが多いですね」ミアが心配そうに言う。


確かに、今夜は普段と様子が違った。常連客も含めて、みんなどことなく元気がない。寒さが人々から活力を奪っているようだった。


「店長さん、外で震えてる人がいるよ」衛兵のハンスが入ってきて報告する。「路地の向こうで、何人か焚き火を囲んでるけど...とても暖かそうには見えない」


リリアーナは窓の外を覗いてみた。確かに、少し離れた路地で数人の人影が小さな焚き火を囲んでいる。でも、その火では到底暖を取れるような状況ではない。


(前世のコンビニでも、寒い夜には色んな人が暖を求めて来てたっけ。でも、ここは異世界。セーフティネットが少ないから、もっと深刻かも)


「みんな、相談があるの」


リリアーナはスタッフを集めた。


「今夜は特別に、炊き出しをしない?」


「炊き出しですか?」ロウが首をかしげる。


「そう。温かいスープとおにぎりを、困っている人たちに無料で配るの」


「それは素晴らしいアイデアですね!」ミアの目が輝く。


「でも、材料費とか...」アンナが実務的な心配をする。


「それは気にしないで。こういう時こそ、私たちができることをしなくちゃ」


◇◇◇


決断は早かった。リリアーナたちは大鍋を外に運び出し、簡易的な炊き出し場を設営した。


「お疲れ様です。温かいスープはいかがですか?」


ミアの元気な声が夜の街に響く。最初は戸惑っていた人々も、美味しそうな香りに誘われて徐々に集まってきた。


「本当に無料なのか?」


「はい!どうぞ、遠慮しないで」


「ありがたい...こんな寒い夜に」


出汁の効いた温かいスープと、塩加減の絶妙なおにぎり。それだけで、人々の表情が見る見る明るくなっていく。


「生き返った...」


「こんなに美味しいスープは久しぶりだ」


「体の芯から温まる」


炊き出しの輪はどんどん広がっていった。夜勤の労働者、住む場所に困っている人、遅くまで働いている商人、そして通りがかりの普通の市民たち。


「あら、魔族のお客さんも」


ヴォルガーたちも、炊き出しの噂を聞いて駆けつけてくれた。


「私たちにもお手伝いさせてください」


「助かるわ。大鍋の火力調整、お願いできる?」


「任せてください」


人間と魔族が協力して炊き出しを行う光景。それは、きっと王都でも初めての光景だった。


「これが本当の友好関係ってやつだな」常連の冒険者が感心している。


「種族なんて関係ない。困った時はお互い様だ」


◇◇◇


炊き出しが始まって1時間ほど経った時、思いがけない人物が現れた。


「おや...これは何をしているんだ?」


声の主は、なんと保守派のマクシミリアン議員だった。議会で営業停止動議を提出した、まさにその本人である。


リリアーナは一瞬緊張したが、すぐに普段通りの笑顔を浮かべた。


「炊き出しです。寒い夜なので、困っている方に温かいものを」


「炊き出し...」マクシミリアンは困惑したような表情を見せた。「君たちが?」


「はい。どうぞ、マクシミリアン議員も温まってください」


リリアーナは自然に温かいスープを差し出した。


「いや、しかし...私は別に困ってはいないし」


「でも、寒いでしょう?政治家も人間です。暖かいものでホッとしませんか?」


その自然な優しさに、マクシミリアンは面食らったようだった。恐らく、営業停止動議を出した相手から、こんな風に親切にされるとは思っていなかったのだろう。


「...そうだな。確かに寒い」


マクシミリアンはスープを受け取った。


「ありがとう」


一口飲んだ瞬間、彼の表情が変わった。


「これは...美味い」


「ありがとうございます。お代わりもありますので」


「いや、それより...」マクシミリアンは周囲を見回した。「こんなことを、なぜ?」


「困っている人がいるからです」リリアーナが当然のように答える。


「それだけ?」


「それだけです」


マクシミリアンは黙って炊き出しの光景を眺めた。老人がスープで体を温めている姿、子供を抱いた母親が安堵の表情を見せている姿、人間と魔族が自然に並んでいる姿...


「君は...私を恨んでいないのか?」


「恨む?なぜです?」


「私が営業停止動議を出したからだ」


リリアーナは少し考えてから答えた。


「議員さんには議員さんのお考えがあったのでしょう。私は政治家ではないので、よく分からないこともありますが」


「しかし...」


「でも、今はそんなことより、寒い夜に困っている人を助けることの方が大切だと思います」


その言葉に、マクシミリアンは絶句した。


◇◇◇


「議員さん」隣で炊き出しを受けていた老人が声をかけた。「あんたもここの店の世話になったことがあるのかい?」


「いや...実は、反対派だったのだ」


「反対?何に?」


「夜営業に、だ」


老人は驚いた顔をした。


「そりゃあまた、なんで?」


「色々と...理由があった」マクシミリアンが歯切れ悪く答える。


「ふーん」老人はスープをすすりながら続けた。「でも、こんな親切な人たちを反対するなんて、もったいないねぇ」


「どういう意味だ?」


「だって、見てごらんよ」老人が炊き出しの光景を指差す。「困ってる人がいたら、無償で助ける。人間も魔族も関係なく、みんな平等に扱う」


「...」


「政治家の先生方にも、見習ってほしいくらいだよ」


その言葉が、マクシミリアンの胸に深く響いた。


(確かに...私は何を反対していたのだろう?)


「それに」別の市民が加わった。「この店のおかげで、夜の治安も良くなったしな」


「冬の夜勤も楽になった」衛兵のハンスも証言する。


「子供が迷子になった時も、ここで保護してもらった」母親が感謝を述べる。


次々と語られる体験談。それらは全て、リリアーナたちの店がどれだけ地域に根ざし、愛されているかを物語っていた。


「私は...間違っていたかもしれない」


マクシミリアンがぽつりと呟いた。


「え?」


「この店を止めようとしたことを、だ」


リリアーナが振り向く。


「政治家である前に、私も一人の人間だった。それを忘れていた」


彼の目には、深い反省の色が浮かんでいた。


「こんな心遣いを...こんな無償の奉仕を見ていると、私の判断がいかに狭量だったかが分かる」


◇◇◇


その後、マクシミリアンは炊き出しの手伝いを申し出た。


「私にも何かできることはないか?」


「え?でも、議員さんが炊き出しの手伝いなんて...」


「構わない。今夜は、政治家ではなく一人の市民として参加させてもらいたい」


こうして、営業停止動議を出した保守派議員が、炊き出しのボランティアとして働くという、前代未聞の光景が生まれた。


「議員さん、そのおにぎりの握り方、もう少し優しく」ミアが指導する。


「こうか?」


「そうそう!上手です!」


マクシミリアンが不器用におにぎりを握る姿に、周囲の人々が温かい笑顔を向ける。


「議員さんも、案外庶民的じゃないか」


「親しみやすい人だな」


「政治家も人間なんだな」


人々の議員に対する見方も、徐々に変わっていった。


「リリアーナ」マクシミリアンが小声で話しかけてくる。「君たちのしていることは、政治を超越している」


「そんな大したことじゃありません」


「いや、大したことだ」彼は真剣な表情で続けた。「政治家は理論や理念で動くが、君たちは純粋な人間愛で動いている」


「人間愛なんて...ただ、困っている人を放っておけないだけです」


「それが人間愛だよ」


マクシミリアンは立ち止まって、リリアーナを見つめた。


「私は今夜、大切なことを学んだ。政治の目的は、結局のところ、人々の幸せなんだ」


「そうかもしれませんね」


「そして、君たちは政治家よりも、その目的を実現している」


◇◇◇


炊き出しは深夜まで続いた。最後の一人が温かいスープを飲み終えるまで、誰も片付けを始めなかった。


「今夜は、本当にありがとうございました」


「体が温まりました」


「心も温まりました」


「また明日も頑張れそうです」


感謝の言葉が次々と寄せられる。その中に、マクシミリアンの姿もあった。


「リリアーナ」最後に彼が近づいてきた。


「はい」


「明日の議会で、私は公式に謝罪する」


「謝罪?」


「営業停止動議を撤回し、むしろ夜営業事業の支援を提案するつもりだ」


リリアーナは驚いた。


「でも、そんなこと...議員さんの立場もあるでしょうし」


「立場より大切なものがある」マクシミリアンがきっぱりと言う。「真実と、正義だ」


「議員さん...」


「今夜、私は本当の政治を見た。理論ではなく、実践で人々を幸せにする政治を」


彼は深々と頭を下げた。


「君たちから学ばせてもらった。ありがとう」


◇◇◇


翌日の議会は、予想外の展開を見せた。


マクシミリアン議員が立ち上がり、昨夜の体験を熱く語ったのだ。


「私は間違っていました」


議場がざわめく。


「夜営業事業に反対していた私が、昨夜その現場を目の当たりにして、考えを改めました」


「何があったのですか?」他の議員が尋ねる。


「炊き出しです。寒い夜に、困っている市民に無償で温かい食事を提供していた」


マクシミリアンは昨夜の感動を、そのまま議場で再現した。


「政治家である前に人間であること。理論より実践であること。そして、真の政治とは人々の幸せを実現することであること」


「これらの基本を、彼らから教わりました」


議場は静まり返った。


「したがって、私は営業停止動議を正式に撤回します」


さらに議場がざわめく。


「そして、夜営業事業への公的支援を提案します」


「賛成!」


「私も賛成!」


次々と賛成の声が上がった。昨日まで反対派だった議員たちも、マクシミリアンの体験談に心を動かされたのだ。


「それでは採決を行います」議長が宣言する。


結果は、全会一致での可決だった。


◇◇◇


その夜、店には祝賀ムードが漂っていた。議会での全会一致可決の知らせに、常連客たちも大喜びだった。


「マクシミリアン議員、見直したよ」


「素直に間違いを認めるなんて、立派だ」


「政治家も捨てたもんじゃないな」


一方、当のマクシミリアン議員も、約束通り客として来店していた。


「昨夜はありがとう」リリアーナが挨拶する。


「こちらこそ。君たちに出会えて、人生が変わった」


彼は温かいスープを飲みながら、しみじみと言った。


「政治とは何か、改めて考えさせられた」


「でも、議員さんも素晴らしい決断をされました」


「君たちの影響だよ。真心は、どんな理論よりも人を動かす」


その時、ヴォルガーが話しかけてきた。


「議員さん、魔族との交流についてはどうお考えですか?」


「正直に言うと、最初は不安だった」マクシミリアンが答える。「でも、昨夜一緒に炊き出しをして分かった」


「何がですか?」


「君たちも私たちも、同じ人間...いや、同じ心を持った存在だということを」


ヴォルガーの目に涙が浮かんだ。


「ありがとうございます」


「こちらこそ、偏見を持っていて申し訳なかった」


その光景を見て、リリアーナは改めて実感した。


(真心は、本当に人を変える力がある)


政治的な対立も、種族の違いも、温かい心があれば乗り越えられる。昨夜の炊き出しが証明してくれた。


「今度は、魔族領での炊き出しも計画してみませんか?」ヴォルガーが提案する。


「それは素晴らしいアイデアですね」マクシミリアンが即座に賛成する。


「私も、政治家として協力したい」


こうして、さらに大きな国際協力プロジェクトの芽が生まれようとしていた。


「みんな、今日もお疲れ様」


リリアーナは店内を見回した。人間も魔族も、政治家も市民も、みんなが同じ空間で温かい食事を楽しんでいる。


これこそが、自分の目指していた理想の姿だった。


(真心で政治を動かした...まさか、こんなことが可能だなんて)


外では、雪が降り始めていた。でも、店内は心も体も温かい、最高の夜だった。


民意は夜に集まり、そして真心で世界を変えていく。


『夜明けの星』は、今夜もまた新しい奇跡を生み出していた。

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