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第53話 国境の補給線


「おや、これは珍しい光景ですね」


ミアが窓の外を見ながら呟いた。店の前に、見たことのない大型の馬車が数台停まっている。普通の商人の馬車とは明らかに違う、頑丈で実用的な造りだった。


「あれは...キャラバンね」リリアーナが確認する。「しかも、かなり大規模な」


午後9時、開店準備を始めたばかりの時間帯に、こんな大型商隊が現れるのは珍しい。普通なら、商人たちはもっと早い時間に宿に到着して休息を取るものだ。


「リリアーナ様、お客様がいらっしゃいました」アンナが店内に声をかける。


扉が開くと、見慣れた魔族の顔が現れた。ヴォルガーだった。しかし、普段の気楽な服装とは違い、しっかりとした商人の正装に身を包んでいる。


「こんばんは、リリアーナさん」


「ヴォルガーさん!今日はずいぶん本格的な装いですね」


「実は、大切な話があります」ヴォルガーの表情は、いつもより真剣だった。「紹介したい人たちがいるんです」


彼の後から、数人の魔族が続いて入店した。みな商人らしい風格を持ち、中には明らかに地位の高そうな者もいる。


「こちらは、魔族領商業連合の重鎮、ガルバード様です」


最後に入ってきた魔族は、他の者とは一線を画す威厳を持っていた。角は大きく立派で、深い緑色の瞳には知性の光が宿っている。年齢は中年といったところだろうか。


「はじめまして、リリアーナ・フィオーレ殿」ガルバードの声は深く、威厳に満ちていた。「ヴォルガーから、あなたの店について詳しく聞かせていただきました」


「こちらこそ、はじめまして。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」


リリアーナは丁寧に挨拶したが、内心では驚いていた。


(魔族領商業連合の重鎮って...これは相当偉い人よね?わざわざこんな小さな店に何の用なのかしら)


◇◇◇


「まずは、あなたの名物料理を味わわせていただきたい」ガルバードが着席しながら言った。


「承知いたしました。激辛スープのレベル4と、肉まんはいかがでしょう?」


「レベル4...なるほど、ヴォルガーが絶賛していた品ですね」


ガルバードが激辛スープを一口飲む。その瞬間、表情が変わった。


「...これは、素晴らしい」


驚きと感動が混じった声だった。


「ヴォルガーの報告を聞いた時は、多少の誇張もあるかと思っていましたが...これほどとは」


肉まんも一口食べて、さらに感嘆の声を漏らす。


「人間の料理技術が、ここまで進歩しているとは。我々の認識を改める必要がありますね」


(あれ?なんだか話が大きくなってる?単なる食事じゃなくて、外交的な意味もあるのかしら?)


「ところで」ガルバードが本題に入った。「実は、あなたにお願いがあります」


「どのようなお願いでしょうか?」


「我々魔族領の商隊は、人間領との交易のため、月に数回この街道を通ります」


「はい」


「しかし、問題があります。国境付近には適切な補給地点がないのです」


ガルバードは地図を取り出した。人間国と魔族領の境界線が詳細に描かれている。


「ここです」彼が指し示したのは、王都から東に2日、魔族領から西に2日の地点だった。「この辺りには、まともな宿も店もありません」


「確かに、僻地ですね」


「商隊にとって、この場所での補給は深刻な問題です。食料や水はもちろん、馬の世話、商品の点検...様々な作業が必要なのに、設備が何もない」


リリアーナは話の方向性を察し始めていた。


「それで、私に何を?」


「あなたの店のような施設を、国境沿いに作っていただけないでしょうか」


やはり、そういう話だった。


「夜間営業で、様々な補給ニーズに対応できる店舗。商隊にとって、まさに理想的な中継点です」


ヴォルガーが補足する。


「ガルバード様の商隊は、魔族領でも最大級です。年間の取引額は王国の国家予算に匹敵するほど」


(えっ?それって、国家レベルの話じゃない?)


◇◇◇


「しかし」リリアーナは慎重に言葉を選んだ。「国境沿いの出店となると、様々な問題がありますよね」


「おっしゃる通りです」ガルバードが頷く。「まず、両国の許可が必要です」


「それに、安全性の問題も」


「商隊が定期的に通る場所ですから、治安はそれほど悪くありません。むしろ、店ができることで、さらに安全になるでしょう」


確かに、明かりがあり、人がいる場所は治安向上に貢献する。これまでの経験からも、それは実証済みだった。


「物流の問題はどうでしょう?」


「それについては、我々も協力します」ヴォルガーが答える。「定期的に通る商隊が、補給品の運搬も兼ねることができます」


「なるほど...」


リリアーナは前世の記憶を思い出していた。コンビニのフランチャイズ展開や、物流拠点の設置。国境沿いの店舗は、確かに戦略的価値が高い。


「でも、外交的な調整が必要ですよね」


「その通りです」ガルバードの表情が真剣になった。「実は、それについても目途が立っています」


「と言いますと?」


「人間国の外交官と、すでに非公式な協議を行いました」


リリアーナは驚いた。この話、思っているより大きなプロジェクトらしい。


「結果は?」


「前向きな反応をいただいています。特に、民間レベルでの国際交流として評価していただきました」


(民間外交...確かに、政府間の正式な交渉より、民間の商業活動の方が敷居は低いかも)


◇◇◇


その時、店の扉が開いて、見知った顔が現れた。王都から来た外交官、エドワード・ランバートだった。


「お邸魔します」彼が店内を見回すと、魔族の一行に気づいて表情を変えた。「おや、ガルバード殿もいらっしゃるのですね」


「これはエドワード殿。お約束の時間より早いですね」


(え?約束?まさか、この出会いって偶然じゃないの?)


「実は、リリアーナ殿にもお話を聞いていただこうと思いまして」エドワードが丁寧に挨拶する。「突然の来訪、申し訳ありません」


「いえいえ、どうぞお座りください」


リリアーナは状況を整理しようとした。魔族の商業連合の重鎮と、人間国の外交官が、自分の店で会合を開いている。しかも、国境沿いの出店について。


「実は」エドワードが説明を始めた。「国境沿いの商業施設について、両国で協議を進めておりまして」


「平和的な商業交流の促進が目的です」ガルバードが補足する。


「そこで、リリアーナ殿の事業モデルが注目されたのです」


(私の事業モデル?)


「夜間営業、多様な客層への対応、治安改善効果...これらの実績は、国境地域にこそ必要なものです」


エドワードの説明で、話の全貌が見えてきた。これは単なる出店要請ではない。両国が推進する民間外交プロジェクトなのだ。


「つまり、私の店が実験的な取り組みとして期待されている、ということですか?」


「その通りです」両者が同時に頷いた。


◇◇◇


「しかし」リリアーナは慎重に考えを述べた。「国境地域での営業は、通常の店舗運営とは全く違います」


「どのような懸念がおありですか?」エドワードが尋ねる。


「まず、スタッフの安全性。それから、両国の法律や商慣習の違い。物流の確保、言語の問題...」


「それらの問題について、両国で協力して解決策を検討します」ガルバードが答える。


「具体的には?」


「スタッフについては、両国の市民を雇用する。法律問題は特別経済区域として設定する。物流は商隊との連携で解決」


「言語については」エドワードが続ける。「共通語での接客を基本とし、必要に応じて通訳を配置します」


かなり具体的な検討がされているらしい。


「それに」ヴォルガーが付け加える。「リリアーナさんの店は、すでに魔族と人間の交流拠点として機能しています。その実績こそが、我々が信頼する理由です」


確かに、この店では日常的に人間と魔族が交流している。それが当たり前の光景になっている。


「商業的なメリットもあります」ガルバードが続ける。「国境地域の店舗は、両国の商人にとって重要な中継点となります」


「物流の効率化、情報交換の場、緊急時の避難所...様々な機能を果たすでしょう」


エドワードの説明に、リリアーナは前世の知識を重ね合わせていた。高速道路のサービスエリアや、国際空港の免税店。戦略的な立地の商業施設は、確かに高い収益性を持つ。


(でも、それ以上に意味があるかも。本当の国際交流の拠点として)


「お考えいただけますか?」ガルバードが改めて尋ねた。


「はい。ただし、いくつか条件があります」


「どのような条件でしょう?」


「まず、政治的中立の維持。どちらの国の政治的な道具にもなりません」


「承知いたします」


「次に、全ての客を平等に扱うこと。人間も魔族も、商人も旅人も、同じお客様として」


「それこそが、我々の望むところです」


「最後に、店の理念『便利は正義』を貫くこと。利益や政治的効果より、困っている人を助けることを最優先とします」


エドワードとガルバードが顔を見合わせる。


「完全に同意いたします」エドワードが答える。


「そのような店こそ、両国が求めているものです」ガルバードも頷く。


◇◇◇


「それでは」リリアーナが決断した。「試験的な出店を検討させていただきます」


店内に歓声が上がった。魔族の一行も、エドワードも、そして常連客として成り行きを見守っていた人間の客たちも、皆嬉しそうな表情を見せている。


「ただし」リリアーナが続ける。「まずは小規模な実験店舗から始めたいと思います」


「賢明な判断ですね」ガルバードが同意する。


「期間は半年。その結果を見て、本格的な展開を検討する」


「結構です」エドワードも頷く。


「スタッフについては、こちらから経験者を派遣し、現地で人材を募集して混成チームを作ります」


「両国の雇用にも貢献できますね」


「メニューについては、この店の定番商品に加えて、両国の特色を活かした商品も開発します」


話がどんどん具体的になっていく。


「開店時期はいつ頃を予定されますか?」ガルバードが尋ねる。


「準備期間を考えると、3ヶ月後くらいでしょうか」


「素晴らしい。ちょうど商隊の繁忙期に間に合います」


その時、常連の冒険者ディランが口を挟んだ。


「おい、俺たちも国境の店に行けるのか?」


「もちろんです」リリアーナが笑う。「お客様はお客様です」


「やったぜ!新しい冒険の途中で寄れるじゃないか」


「俺も国境の警備で通ることがあるから、楽しみだ」衛兵のハンスも嬉しそうだ。


常連客たちの反応を見て、エドワードが感心したように呟く。


「これが民間外交の力ですね。政府の会議では決して見られない光景です」


「商売が平和を作る」ガルバードも感慨深そうに言う。「古い言葉ですが、まさにその通りですね」


◇◇◇


その後、具体的な計画が次々と決まっていった。


店舗の規模は、通常店舗の1.5倍。24時間営業で、商隊向けの大口注文にも対応する。


「商隊用の特別メニューも必要ですね」ミアが提案する。


「保存が利いて、栄養価が高く、美味しいもの」ロウも考え込む。


「長距離移動の疲労回復に効果的なメニューも開発しましょう」リリアーナが付け加える。


「それから、緊急時の医療用品も充実させます」


アンナが実務的な提案をする。


「国境地域では、医療施設が少ないですからね」


「通信設備も重要です」エドワードが指摘する。「両国の情報交換拠点としても機能させたい」


「魔族領の特産品も置きたいですね」ヴォルガーが希望を述べる。


「人間領の商品も紹介したい」ガルバードが応じる。


どんどん話が膨らんでいく。


(これはもう、単なるコンビニじゃないわね。国際交流センターみたいになってる)


「一つ心配なことがあります」リリアーナが言った。


「何でしょう?」


「この計画が成功しすぎて、他の場所からも出店要請が来たら...」


エドワードとガルバードが顔を見合わせて笑った。


「それこそ望むところです」エドワードが答える。


「平和的な商業ネットワークが広がれば、両国にとって最高の結果です」ガルバードも同意する。


「つまり、国境の補給線が、やがては国際的なネットワークになる可能性もあるということですか?」


「その通りです」両者が同時に答えた。


◇◇◇


深夜になって、ようやく詳細な協議が終わった。


「それでは、明日から準備を開始いたします」エドワードが立ち上がる。


「我々も、魔族領での調整を進めます」ガルバードも席を立つ。


「本当に、素晴らしい提案をありがとうございました」ヴォルガーが感謝を述べる。


「こちらこそ、貴重な機会をいただいて」


見送りの際、ガルバードがリリアーナに言った。


「あなたの店は、本当に特別です」


「どういう意味でしょう?」


「ここは、すでに国境を越えた場所になっている。種族や国籍に関係なく、全ての人が安心できる場所」


「ありがとうございます」


「国境の店も、きっと同じような場所になるでしょう」


エドワードも付け加える。


「民間の力で、政府ができないことを実現している。これこそが真の外交です」


一行が去った後、店内には静寂が戻った。


「すごいことになりましたね」ミアが興奮冷めやらぬ様子で言う。


「国境に出店なんて、想像もしてませんでした」ロウも驚いている。


「でも、大丈夫でしょうか?」アンナが心配そうに尋ねる。


「大丈夫よ」リリアーナが微笑む。「私たちは、ただ困っている人を助けるだけ。それは、ここでも国境でも同じことよ」


窓の外を見ると、東の空がうっすらと明るくなり始めていた。


「新しい夜明けね」


リリアーナは呟いた。文字通りの夜明けであり、そして国際的な事業展開の夜明けでもあった。


(便利店が国境を越える...こんな日が来るなんて、前世では想像もできなかった)


しかし、不安よりも期待の方が大きかった。食べ物の力で、国境を越えた交流を促進する。それは、きっと世界を良い方向に変えていくはずだ。


「明日から、また新しい挑戦の始まりね」


『夜明けの星』は、ついに国境を越えた光を放ち始めようとしていた。

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