第4話 村長を口説く
店にする建物は決まった。
鍵も、昨日のうちに借りた。
では本日から、夢の夜営業を――とは、もちろんいかない。
建物を借りられることと、真夜中に明かりを煌々とつけて商売をしてよいことは、まったくの別問題である。
「今日はガレオ村長を口説くわ」
朝食の席で高らかに宣言すると、アンナがブフォッとむせた。
「リ、リリアーナ様! 朝から何をおっしゃっているのですか!」
「何って、夜間営業の許可をいただくのよ。嫌だと言う相手に、心から『それなら試してみよう』と思っていただく。つまり口説くの」
「でしたら、せめて『説得する』とおっしゃってください。奥様に聞かれたら、村で店を開く前に別の騒ぎが始まります」
「まあ。色気は欠片も持っていかないわよ。装備は企画書と誠意、あと数字を少々」
「数字は少々ですか?」
アンナが、机の上に積まれた紙束を見た。
ドサッ。
夜に働く人の数。宿泊客の動き。必要とされそうな商品。営業時間。売上予想。防犯、防火、騒音対策。
「……少々よ」
「この厚みで殴れば、説得ではなく物理攻撃になります」
失礼な。
前世なら企画書と呼んだものだが、上等な紙も印刷機もない。炭筆の文字はところどころ擦れ、表の線も板切れを定規代わりにして引いただけ。
見栄えは素朴。中身は本気。
思いつき一つで「コンビニを作ります!」と叫んだ昨日の私より、今日はちょっとだけ商売人らしい。たぶん。そう信じたい。
「反対されるでしょうか」
アンナが紙を紐で束ねながら尋ねた。
「されると思う。だって前例がないもの」
「ずいぶん落ち着いておられますね」
「落ち着いているように見せているだけよ。お腹の中では、小さな私が『嫌だぁぁ、断られたくないぃぃ!』って床を転がっているわ」
「随分と元気な内面で安心いたしました」
「でも、反対には理由があるでしょう? 理由を聞かなければ、対策も立てられないわ」
王宮にいた頃の私は、反対意見を聞くのが嫌いだった。
ローランに認めてほしくて、役に立つ王女だと思ってほしくて。だから慎重な意見を向けられるたび、自分を否定されたように感じていた。
今なら少しだけ分かる。
責任を持つ人ほど、簡単には頷けない。
「行きましょう、アンナ。説明は私がするけれど、抜けがあったら後で容赦なく教えて」
「かしこまりました。骨まで響くほど容赦なく」
「加減は覚えて?」
アンナは、たいへん良い笑顔だった。
◇◇◇
午前10時。
私たちは、ガレオ村長の家を訪ねた。
昨日は廃屋を借りる相談だったが、今日は村全体の暮らしに関わる正式な話だ。私は居間の一角にある仕事机へ通され、アンナは廊下の長椅子で待つことになった。
ガレオの奥様が置いてくれたお茶から、ほわりと湯気が上る。
「それで、重要な相談とは?」
「昨日見せていただいた建物で、夜間営業の店を開かせてください」
「夜間営業……具体的には、何時から何時まででしょう」
「午後8時から、翌朝6時までを考えています」
「村中の店が閉じた後から、皆が起き始める頃まで。ほぼ一晩中ですね」
「はい。夜に働く方と、早朝に発つ方が使える店にしたいんです」
ガレオは腕を組んだ。
昨日までの柔らかな表情が消え、村長の顔になる。
「申し訳ありませんが、その許可は出せません」
スン。
胸の奥で、昨日まで膨らませていた夢が一瞬で萎んだ。
覚悟していた。反対されるとも口にした。それなのに、実際に「駄目」と言われると、悔しいものは悔しい。
また追い出されるの?
また私の居場所は、始まる前に終わるの?
喉まで出かかった弱音を、熱いお茶と一緒に飲み込む。ここで「元王女の私が頼んでいるのに」などと言ったら、それこそ全部おしまいだ。
「……理由を、最後まで聞かせていただけますか」
「聞いてどうなさるのです」
「直せる心配なら直します。直せないほど危険なら、私も考え直します。ただ『嫌です、でもやらせてください』では、村長も納得できないでしょう?」
ガレオはしばらく私を見た後、一本目の指を立てた。
「第一に治安です。夜に灯りをつけ、金を扱う場所ができれば、善良な客だけが来るとは限らない。盗みや喧嘩が起きれば、近所の者まで巻き込まれます」
二本目の指が立つ。
「第二に風紀。若者が夜更かしし、酔客が店先で騒げば、眠っている家々の暮らしを壊す。便利だからといって、何をしてもよいわけではありません」
そして三本目。
「第三に、前例がない。あなたが失敗して店を畳んでも、私はこの村に残ります。『なぜ許可した』『誰が責任を取る』と問われるのは私です」
その声に、意地悪さはなかった。
むしろ、怖いのだ。
自分の判断一つで、長く守ってきた村の暮らしに傷をつけることが。
「ご心配は、もっともです」
「……反論なさらないのですか」
「正直、反論したい気持ちはあります。『そこを何とか! 私の夢が懸かっているんですぅぅ!』と机へ縋りつきたいくらいです」
「机は縋られても困るでしょうな」
「ええ。ですから、机ではなく調べた事実と対策に縋ります」
私は鞄から紙束を取り出した。
ドンッ。
ガレオの眉が、ほんの少し上がった。
「……かなり調べたようですね」
「はい。ですが、数字で心配を黙らせるつもりはありません。足りないところがあれば、遠慮なく突いてください」
◇◇◇
最初の紙には、夜に働く人と、夜まで起きている人の数を書いた。
「毎晩、確実に夜勤をしているのは、衛兵詰所の2名と、宿屋『銀の狼』の夜番1名です」
「まず3名」
「はい。加えて、宿には日によって3名から5名ほど、夜まで装備を整えたり、翌日の情報を確かめたりする冒険者や商人がいます。合わせて毎夜6名から8名ほどが、主なお客さんになると考えました」
「『考えました』ということは、確かな数ではない?」
「確かではありません。店がまだない以上、予想です。6名全員が毎晩買う保証も、当然ありません」
言い切ると、ガレオが意外そうに目を細めた。
「もっと景気のよい話を聞かされると思っていました。毎晩何十人も来る、と」
「言いたいですよ。『開店初日から大繁盛! 棚が空っぽ! ウハウハです!』って」
「ウハウハ……」
「ですが、大きく見せた数字で許可をいただけば、3か月後に困るのは私たちです。売れなかった事実より、嘘をついた記憶の方が長く残りますから」
前世でも、売上予想をよく見せるために過剰発注された商品が、期限切れで大量に捨てられる光景を見た。
今回は麺や弁当を捨てるだけでは済まない。
村の信頼まで、ゴミ箱行きだ。
「衛兵のお二人は、10時間の勤務を固いパンと干し肉で過ごしています。温かいスープや軽食があれば、寒い夜の見回りでも集中を保ちやすい」
「冒険者や商人には?」
「夜のうちに保存食、飲み水、包帯などを揃えられます。朝、店が開くまで足止めされずに出発できる。便利なだけでなく、旅の安全にもつながります」
次の紙には、商品の流れを矢印で描いてある。
「パンは村のパン屋から、野菜は村の農家から。できるだけ村の中で仕入れます。昼の店と同じ時間に正面から競うのではなく、閉店後に売る。売れ残りを夜向けに回せる仕組みが作れれば、廃棄も減らせます」
「既存の商店から、『客を奪われた』と反対が出たらどうします?」
「勝手に同じ商品を並べません。扱う品と時間を相談します。それでも反対が出たら、理由を月の報告へ書き、必要なら品目を変えます。私一人だけ儲かればよい店にはしたくありません」
「雇用を作る、ともありますね」
「私とアンナだけで毎晩続けるのは無理です。たぶん1週間で目の下が真っ黒になり、2週間で接客中に立ったまま眠ります」
「それは客が怖がりますな」
「ですから、いずれ村の方を雇い、きちんと賃金を払います。売上が出れば、決められた税も納めます」
客が6名なら、一人が軽食と飲み物を一つずつ。
8名なら、旅人が保存食をまとめて買う日もある。
価格は仕入れ前なので仮だ。一晩の売上、ひと月の売上、材料費と賃金。それぞれ、うまくいった場合と半分しか売れなかった場合を示した。
「悪い方まで用意したのですか」
「悪い方で続けられないなら、良い方だけ信じても店は守れません。夢は大きく持ちます。でも計算まで夢見心地では困りますから」
ガレオの口元が、わずかに緩んだ。
◇◇◇
「需要があるかもしれないことは分かりました」
ガレオは紙を揃えた。
「ですが、売れることと安全であることは別です。売上があれば、近所の者は眠れなくても我慢しろ、と?」
「いいえ。むしろ逆です」
私は3枚目を開く。
「あの建物は、衛兵詰所から見える角地です。入口と街道が詰所から見えるように窓板を外し、外にも魔道灯を置きます」
「明るければ、騒ぎも外から見える」
「緊急時には伝令札で衛兵へ知らせます。開店前にベルトさんたちと手順を決め、合図も統一する。何でもかんでも呼びつけて、見回りを邪魔することはしません」
火を扱う場所と売り場の間には壁を設ける。
安全性を確認した魔道具を使い、水と砂を常備する。
会計台は入口と店内の両方を見渡せる位置へ置き、大金は店へ残さない。
「酔って騒ぐ方、武器を抜く方、他のお客さんへ迷惑をかける方には販売しません。従わなければ衛兵へ連絡し、繰り返す方は出入りをお断りします」
「元王女であるあなたが、荒っぽい冒険者へ『帰れ』と言えるのですか」
痛いところを突かれた。
ここで「もちろんです」と胸を張れれば格好いい。けれど、暗い村を歩くだけで膝が震えた私が、屈強な酔客を前に急に勇者へ進化するはずもない。
「怖いです。ものすごく。内心では『ひぃぃ、こっち来ないでぇぇ!』と叫ぶと思います」
「では、どうするのです」
「一人で対処しません。怖くない店主を演じるのではなく、怖くても助けを呼べる仕組みを作ります。私が強いから安全なのではなく、誰が店番でも同じ手順で守れる店にします」
ガレオは黙った。
私は少し間を置き、続けた。
「店の前には、長居できる椅子を置きません。酒も当面は扱わない。騒音が出た時刻と原因を記録し、近所から苦情が出れば営業時間を短くします」
「それでも問題が起きたら?」
「営業を止めます」
その一言だけは、どうしても声が重くなった。
止めたくない。
始めてもいない店を、失いたくない。
けれど私の夢のために、村の人へ危険を我慢させるわけにはいかない。
「……本当は、絶対に止めたくありません。ようやく見つけた、私が自分で作りたい居場所ですから。だからこそ、問題を隠してしがみつく店にはしたくないんです」
「では、何を求めます?」
「3か月です。3か月だけ、試験営業を認めてください」
私は最後の紙を、ガレオへ向けた。
「毎日の売上、客数、仕入れ先、苦情、事故をすべて記録します。月に1度、村長へ報告する。重大な問題が起きれば、その時点で停止。3か月後、続けてよいかを改めて判断してください」
「許可が取り消された場合、改装した物件は?」
「通常の昼営業へ切り替えるか、契約に従ってお返しします。改装費を失うのは私です。村長だけに危険を背負わせません」
◇◇◇
沈黙が落ちた。
チク、タク――と鳴る時計は、この家にはない。
だから余計に、時間が長い。
窓辺の光だけがじわじわと動き、すっかり冷めたお茶の表面に映っている。
何か言わなければ。
もう一押し。王家の名を出せば、少しは効くかもしれない。元王女とはいえ、完全に無価値な看板ではないはずだ。
――駄目よ。
それで許された店は、私の店ではない。
ここで暮らすリリアーナとして、信じてもらわなければ意味がない。
「リリアーナさん」
「はいっ」
声が裏返った。
威厳。元王女の威厳はどこ。誰か拾ってきて。
「正直に申し上げれば、最初は絶対に許可するつもりがありませんでした」
「……はい」
「今も、夜営業そのものに賛成したわけではありません」
胸がズンと沈む。
やっぱり駄目?
ここまで話しても、届かなかった?
「ですが、あなたが調べもせずに始める人ではないことは分かりました。都合の悪い可能性を隠す人でもない。そして、失敗したときの責任を私一人へ押しつけるつもりもない」
ガレオの手が、紙束の上に置かれた。
「3か月の試験営業を許可します」
「――本当ですか!?」
ガタッ!
勢いよく立ち上がりかけ、膝を机へぶつけた。
「いっ……たく、ありません!」
「痛そうですが」
「許可の喜びが勝っています!」
やった。
やった、やった、やったぁぁぁ!
心の中の小さな私は、さっきまで床で泣いていたくせに、今度は両手を振り回して踊っている。忙しい子だ。
「ただし、条件があります」
「はい。何でも――いえ、何でもは危ないですね。伺います」
「月に1度、今話した内容を報告すること。売上と客数だけでなく、苦情や小さな揉め事も隠さないこと」
「承知しました」
「重大な問題が起きた場合は、3か月を待たず即時停止。酒類は、別の許可を得るまで販売しない」
「すべて守ります」
「もう一つ。これは元王女様への特別扱いではありません。村の者に尋ねられたら、調査、安全策、期限付きの試験。この3つがあったから認めたと説明します」
「その方が、ずっと嬉しいです」
王女だから与えられる許可ではない。
私が歩き、聞き、考え、約束したから得られる許可だ。
失った冠よりずっと小さいのに、今の私には、こちらの方がずっと重かった。
◇◇◇
ガレオは奥の部屋へ入り、やがて一枚の木札を持って戻った。
表には『夜間営業許可証』。
その下には『期限・3か月』『スノーベル村』と刻まれている。裏には、月次報告と問題発生時の停止条件。
「本許可は、賃貸契約の成立と、安全設備の確認後に有効とします」
「ありがとうございます」
私は木札を両手で受け取り、深く頭を下げた。
磨かれた木の縁が、手のひらへ食い込む。
王宮で持っていた権利の多くは、生まれた日に用意されていた。
けれどこれは、自分で断られ、自分で悔しがり、それでも話を聞いて、ようやく手にしたものだ。
「期待している、とまではまだ言いませんよ」
ガレオが、ようやく苦笑した。
「3か月後に、期待してよかったと言わせてみせます」
「そこは『努力します』では?」
「商売を始める者には、少しくらい大言壮語も必要です」
「先ほどまで、声が裏返っていましたが」
「それはそれ、これはこれです」
お茶を替えに来ていた奥様が、口元を押さえて笑った。
「あなた。許可証を渡した途端、もう店主の顔ですよ」
「今までは違いましたか?」
「店を始めたくて仕方のない子供の顔でした」
「まあ!」
反論しようとしたが、ガレオまで咳払いをしながら目を逸らした。
満場一致らしい。
元王女の威厳、辺境到着4日目にして完全閉店。
◇◇◇
家の外へ出ると、長椅子からアンナが立ち上がった。
「いかがでした?」
私は答えず、木札を掲げた。
「許可証……!」
「3か月の試験営業よ。毎月報告。問題が起きれば即停止。お酒は扱わない」
「それで、そのお顔なのですね」
「どんな顔よ」
「叫びたいのを必死に我慢して、頬がピクピクしている顔です」
もう我慢しなくていい。
「やったぁぁぁ!」
「おめでとうございます、リリアーナ様!」
私たちは手を取り合い、人目も忘れてその場でぴょんと跳ねた。
それから同時に村長宅の窓を見て、スン、と姿勢を正す。
ガレオ夫妻が、カーテンの隙間から笑っていた。
「……見られました」
「ええ。王女時代の威厳は、もう諦めましょう」
「アンナまで!?」
悔しい。でも、嬉しい。
格好よくなくていい。自分の足で勝ち取った一歩なのだから。
帰宅すると、机へ許可証を置き、次にすべきことを書き出した。
1、建物の正式な賃貸契約。
2、床、壁、棚、会計台、防火区画の改装。
3、照明、冷蔵、加熱、緊急連絡に使う魔道具。
4、野菜、パン、穀物などの仕入れ。
5、一緒に働く人と、安全のための訓練。
「山ほどありますね」
「許可をいただく前より増えてない?」
「夢が仕事になった証拠です。働き手については、ミアという村の娘が仕事を探しているそうですよ」
「それなら、いずれ話を聞いてみましょう。こちらの都合だけで決めず、本人の希望と条件を確かめてからね」
「まずは改装です。村に腕のよい職人がいるか、明日の朝から探しましょう」
「ええ。床を直して、棚を置いて、明るい看板も――」
「今夜はお休みください。許可証を眺めたまま朝を迎えるのは禁止です」
「そんなことしないわよ」
そう答えたのに、寝床へ入る前、私はもう一度だけ木札を手に取った。
窓の向こうの村は、今夜も暗い。
けれど、その暗闇へ灯りを置くことを、初めて誰かが公に認めてくれた。
「よし。第一関門、突破ね」
「いいえ」
寝台を整えていたアンナが、こちらも見ずに訂正する。
「入口へ立つ許可をいただいただけです。改装、仕入れ、雇用、防犯、調理、会計が残っております」
ドサッ、ドサッ、ドサァッ!
アンナが机へ資料を積むたび、私の達成感が目に見えて圧縮されていく。
「ちょっと待って。今夜くらいは『よく頑張りましたね』で終わらせてくれてもよくない?」
「よく頑張りましたね、リリアーナ様」
「そう、それ! 私が欲しかったのは――」
「では、明日から第二関門です」
「余韻が短い!」
アンナの笑顔はまぶしい。ついでに容赦もない。
私は許可証を胸へ抱え、山になった資料へ向き直った。
夢が仕事になったのなら、やることが山ほどあるのは当然だ。
そして困ったことに――私は、さっきよりずっとワクワクしていた。




