第39話 2号店の灯
「リリアーナ様、お客様です!」
午後の準備中、ミアが息を切らして店へ戻ってきた。
「リバーサイド村の村長さんです。正式にお話ししたいって」
「封書の方ね。お通しして」
入ってきたのは、五十代後半ほどのがっしりした男性だった。日に焼けた手を胸へ当て、深く頭を下げる。
「リバーサイド村長、フレデリック・マールと申します」
「リリアーナです。遠いところを、ありがとうございます」
「単刀直入に申し上げます。私たちの村にも、夜明けの星を作っていただけませんか」
胸の中で、昨日から待機していた祝砲がドドドン! と鳴った。
二号店ですって! 一軒を守るだけで毎日大騒ぎしてきた私たちが、別の村から「来てほしい」と頼まれた。
『多店舗展開、キター! 看板が二つ! 売上帳も二つ! 仕入れも二つ!』
人手も責任も二倍。失敗すれば、被害が出る場所も二つだ。
レッドクリフ店の酸っぱいおにぎりが、頭をよぎった。
リバーサイド村は川沿いにあり、スノーベルより少し大きい。
護岸工事の夜番、増水期の水門見張り、夜明け前から畑へ出る人がいる。けれど、日没後に食料や日用品を買える場所はないという。
「夜番の人たちから要望書も集めました」
羊皮紙には二十八人分の印があった。
「ありがたいお話です。ただ、今日ここで開店を約束することはできません」
「お任せください!」と胸を叩きたい。でも即答は、調べるべき現実を消してくれない。
「需要が足りませんか?」
「需要だけでは決められません。営業許可、夜警、建物、避難路、働く人、配送費。近隣に住む方や既存の店がどう考えるかも確認したいんです」
フレデリック村長は、一瞬落胆した。
「王都から推薦された店なら、すぐ増やせると思っていました」
「私も、金の封がついたら店が勝手に増えるのでは、と少し思いました」
「増えませんか」
「人も建物も、封からは出てきませんでした。残念です」
村長が小さく笑った。
「では、地道に調べるしかありませんな」
「はい。派手な封印ほど、現場では一銅貨にも崩せません」
「レッドクリフ村で、営業時間と商品だけを真似た店が危険な状態になりました。同じ看板を私たちが掲げるなら、もっと慎重でなければなりません」
「では、調査を受けていただけるのですね」
「はい。村の方と一緒に、必要な店の形を調べましょう」
断られたのではないと分かり、村長の肩が少し下がった。
まず二週間、夜間の通行人数と仕事の時刻を匿名で数える。候補地の周囲へ説明会を開き、騒音、照明、川の増水時の避難を確認する。既存商店にも、夜営業や共同仕入れへ参加する意思があるか尋ねる。
「二号店は、私の店を置きに行くのではありません。リバーサイドの人が使い続けられる店にします」
「その言葉を、村へ持ち帰ります」
◇◇◇
問題は、店を任せる人だった。
「あの……候補にしてほしい人がいます」
フレデリック村長を見送った後、ミアが恐る恐る手を挙げた。
「従兄のマルクです。今年二十歳で、今は叔父さんの農業を手伝っています。責任感があって、人と話すのも好きで。私の仕事の話を聞いて、働いてみたいと言っていて……」
「ミアの従兄なら安心ね」と言いかけ、止めた。
今、私は親族紹介という、柔らかくて座り心地のよい罠へ両足から飛び込むところだった。
ミアは信頼している。だから従兄も信頼できる。
そんな理屈なら、王族の娘だった私は、審査なしで立派な人間だったはずだ。
血縁は、人柄の保証書ではない。
親しい人の家族だから信じる。それは温かいようで、本人を一度も見ていない判断だ。
「会ってみましょう。ただし、親族であることは選考する人へ伝え、ほかの希望者と同じ課題を受けてもらいます」
「私が推したせいで、不利になりませんか?」
「有利にも不利にもしないためよ。ミアは推薦理由を話せる。でも、採用を決める席からは外れてもらうわ」
ミアは寂しそうに見えたが、やがて頷いた。
「もし落ちても、私のせいだと思わなくていいですか」
「むしろ、落ちたら私を恨まない? ミアが変な店へ紹介したせいだ、って」
「マルクは、そんな人じゃありません」
「そう言い切りたくなるのが、推薦者の気持ちなのよね」
ミアはハッとして、膝の上で手を握った。
「私、選ばれなかったら、リリアーナ様に見る目がないって思うかもしれません」
「正直でよろしい。私も、落とした後にミアと目が合わないのは嫌だわ」
「じゃあ、どうすれば……」
「誰が何を見て決めたか、記録を残しましょう。従兄ではなく、マルク本人の行動で選ばれたと説明できるように」
「私が決めなくていいんですね」
「推薦は入口まで。そこから歩くのはマルクよ」
ミアの肩から力が抜けた。
「合否は、選考した側の責任です。働き始めた後の失敗まで、紹介者へ背負わせません」
三日後、マルクが店へ来た。
農作業で日に焼けた青年で、明るい目元はミアと少し似ている。
「ミアから、夜に困っている人の役に立てる仕事だと聞きました」
「夜勤の大変さは、何と聞いていますか?」
「生活時間が変わること。酔った人や急病の人が来ること。品を売るだけではない、と」
「急病の人が来たら、どうします?」
「薬を……いえ、店員が選んではいけないんですよね。医師へ連絡します」
知識はある。けれど、聞いた話を覚えているだけで、判断できるとは限らない。
応募者はマルクを含め三人。全員に、一週間の有給適性研修を受けてもらう。夜勤へ入る前に生活時間と健康を確認し、途中で辞退しても不利益はない。
「店長候補だから、最初から長く働いてもらいますか?」
アンナの問いへ、マルクは首を横に振った。
「できることが分からないのに、長さで熱意を見せるのは違うと思います」
「正直に言います。僕は夜通し働いた経験がありません。眠くなった時、どこまで判断できるかも分かりません」
「店長候補なのに、できないことを先に言うのは不安では?」
「不安です。ミアの従兄だから口だけだと思われたくない。でも、できるふりで事故を起こしたら、もっと縁故だと言われます」
格好よい自信より、この悔しさを隠さず口にできる方が、夜の店では頼もしい。
その答えを、選考記録へ残した。
◇◇◇
研修の手引き作りは、一日では終わらなかった。
最初の会議で、私は「全部書けば二日でいけるわ」と宣言した。
三時間後。
机には、開店前の項目だけで紙が山になった。
「多い! 私たち、毎日こんなに確認していたの?」
「書いていなかった判断が多いのでございます」
「おでん一つでも、時刻、温度、残数、器、柄杓……文字になると急に重い!」
「リリアーナ様、『お客様第一』だけで一章を終えようとしましたよね」
ミアが赤線だらけの原稿を持ち上げる。
「理念が伝われば、細かい判断は自然についてくるかな、と」
「ついてきません。理念は、停電でどの灯りを先につけるか教えてくれないっす」
ロウの一撃で第一稿は撃沈した。くっ。標語なら一頁、現場へ渡すなら手間は十倍である。
アンナは契約、会計、苦情。ミアは接客と商品説明。ロウは荷受け、宅配、安全な距離。ゼルドは配送と在庫。エルウィン先生とグリムには、医療連絡と防犯の部分を確認してもらった。
題は『夜営業店舗運営手引き 第1版』。
理念の次には、開店前点検、食品の温度と時刻、現金照合、販売拒否、医療判断の禁止、停電、避難、警報、勤務交代、苦情記録が続く。
「全部覚えれば、店長になれますか?」
マルクが厚い束を持ち上げた。
「いいえ。迷った時に、どこを読み、誰へ助けを求めるかが分かるための物よ」
「試験で満点を取ればいいわけではない?」
「手引きにないことへ自信満々に答える人は怖いわ。分からない、確認します、交代してください。この三つを言えるかも見ます」
「店長なのに、交代を頼むんですか」
「店長だから頼むのよ。店長の意地で客と店員を巻き込まないために」
原稿の最初には、『手引きにない時は、客と店員の安全を優先し、一人で決めない』と書いた。
実地研修の三日目、マルクはミアの会計を見学した。
「ハンスさん、今夜はいつものおでんとおにぎり二つですか?」
「おにぎりは一つで頼む」
次に来た客が「何かおすすめを」と聞くと、ミアは空腹の程度と苦手な材料を確認し、二品を案内した。
客が一品だけ選んでも、追加を促さない。
「売る技術より、選べる説明なんですね」
マルクが気づいた。
「ええ。断りやすいところまでが接客です」
五日目、マルクが初めて会計台へ立った。
相手はベルトだった。
「いつものを頼む」
マルクは手引きをめくり、甘い焼き菓子へ手を伸ばしかけた。
その手が止まる。
「申し訳ありません。私は、ベルトさんの『いつもの』をまだ知りません。今日は何になさいますか?」
「知らないのか?」
「はい。分かったふりをして、違う物を出したくありません」
「ミアの従兄なら、俺の好みくらい聞いてると思ったぞ」
「聞いていません。ミアがお客様の買い物を家で話していたら、その方が問題です」
青い顔のマルクへ、ベルトが眉を上げた。
「……なるほど。そりゃそうだ。じゃあ改めて教える。甘い菓子と麦茶。ただし今日は菓子を二つだ」
「ありがとうございます。今日のご注文は、甘い焼き菓子二つと麦茶ですね」
会計を終えた途端、マルクの膝がカクンと揺れた。
「こ、怖かった……。常連さんへ『知りません』って言うの、思ったより怖いですね」
「よく言えたわ」
「ミアに聞けば早いって、途中で十回くらい思いました」
「私も教えたくて、口がムズムズした」
ミアが頬を押さえる。
「でも、私がいない店でも確認できないと駄目なんですよね」
ベルトは一瞬驚き、それから笑った。
「甘い菓子と麦茶だ。今日は菓子を二つにする」
「ありがとうございます。甘い焼き菓子二つと、麦茶ですね」
後でミアが、教えてあげれば早かったのに、と言った。
「ミアの記憶を、全店の名簿にすることはできないわ」
私は答えた。
「聞けること、分からないと言えることを、同じ品質にしましょう」
適性研修で残った二人のうち、もう一人は店長ではなく、リバーサイド店の交代スタッフを希望した。
マルクは店長候補として、その後一か月の有給研修へ進んだ。
食品確認、現金差異、酔客の役割訓練、停電、川の増水、欠勤時の交代。最後の評価は私だけでなく、アンナ、ミアを除く研修担当者、リバーサイド側の代表が行った。
「店長を、お願いします」
私が告げると、マルクは喜ぶ前に尋ねた。
「ミアの従兄だから、ではありませんか」
「そう聞かれると思って、選考記録を持ってきたわ」
私は束をドンと置いた。
「食品確認で一度、期限札を見落とした。現金差異の訓練では自分の数え間違いを報告した。停電訓練では出口確認が遅れた。でも全部、指摘後にやり直した。こちらが、店長へ選ぶ理由です」
「失敗まで、理由になるんですか」
「隠さず止まれたからよ。失敗ゼロを探したら、私を含めて全員不採用になるわ」
マルクが笑い、目元を少し赤くした。
「選考記録を読めます。あなたが間違えなかったからではなく、分からない時に止まり、報告できたからです」
入口の外で待っていたミアが、そこで初めて両手を叩いた。
◇◇◇
二号店の候補地は、川から一段高い元穀物店になった。
オルフが基本設計を引き、リバーサイドの大工二人と施工する。
「一号店と同じ棚を、同じ場所へ置けばいいんですよね」
マルクの問いに、オルフが床へ水準器を置いた。
「川の村で、同じ床の高さにする馬鹿があるか」
「お、同じ品質にしたくて」
「品質と配置を混ぜるな。川はスノーベルの設計図を読んで避けてくれんぞ」
「川に説明書を渡せたら楽なのですが」
「増水した川が『承知しました』と帰ったら、俺が店をただで建ててやる」
「では、その奇跡は期待せず床を上げましょう」
地元の大工二人が笑った。
一号店と違う形は不安だ。でも、見た目を守って浸水したら本末転倒だ。
過去の増水線より床を高くし、入口には緩い傾斜路を付ける。二方向の避難口、荷受け場、濡れた外套を置く場所も必要だ。
共通にするのは、会計台から出口が見えること、棚が避難を塞がないこと、医療棚と食品を離すこと、予備灯の位置を表示すること。
見た目まで同じにする必要はない。
仕入れも、全部を一号店から運ばなかった。
粉、包材、調味料はゼルドの共同便。野菜と卵はリバーサイドの生産者から、同じ受入基準で買う。
「同じ味でなければ、夜明けの星ではないですか?」
リバーサイド村で採用された成人スタッフ、エマが尋ねた。
「安全と説明は同じにします。でも、川の村には、この村の味があります」
エマは、川魚の出汁と根菜を使った汁物を提案した。
最初の試作は魚の香りが強すぎた。二度目は薄く、三度目に、夜番の人が冷えた体で飲みやすい味になった。
「これを、リバーサイド店の品にしたいです」
マルクが言った。
「本店と同じ物を売るだけなら、エマさんを雇った意味がありません」
エマの顔が明るくなった。
勤務はマルクとエマを中心に、適性研修を受けた交代スタッフ二人で組む。常時二人以上、休憩を交代で取り、誰かが欠ければ営業時間を縮小する。
建物は村から無償でもらわず、公開された相場で五年間借りる契約にした。改修費は夜明けの星が負担し、村が整備するのは店だけでなく周辺住民も使う排水路と街路部分に限る。
「もし店が続かなかったら、建物はどうなりますか?」
フレデリック村長が尋ねた。
「閉店の三か月前までに知らせ、未払い賃金、仕入れ代、ポイント札の交換を先に清算します。取り外せる設備は持ち帰り、床上げなど残る改修は契約どおり村へ引き渡します」
成功を願うことと、失敗した時の出口を決めることは両立する。グレゴリーの店を見た後だからこそ、閉められない借金で働く人を縛る形にはしたくなかった。
店長とは、一人で全部を背負う人ではない。
◇◇◇
開店前日、最終訓練をした。
設備確認は通ったが、模擬停電でマルクは売上帳を先に持ち出そうとした。
「人、連絡、食品の順です」
エマが彼の腕を止め、客役を避難口へ案内した。
「すみません。店長だから、帳簿を守らなければと思って」
「店長だからこそ、人を先にしてください」
「売上帳が燃えたら、店の一日が消えると思ったんです」
「人が逃げ遅れたら、その人の明日が消えます」
エマの声は鋭かった。
マルクが俯く。
「……悔しいです。明日店長になるのに、優先順位を間違えました」
「だから、今日もう一度できます」
「エマさん、もう一回お願いします。今度は最初に全員へ声を掛けます」
悔しさを言い訳に変えず、再訓練を頼んだ。
私は口を挟まず一歩下がった。
教えるのは私だけではない。もう二号店の中で、互いを止める関係が始まっている。
マルクは訓練記録へ、自分で失敗を書いた。
「明日なのに、失敗してしまいました」
「明日前に失敗できたのよ」
完璧な動きを見せたかではなく、訂正後に同じ訓練を通せるか確認した。
午後八時、開店式で扉を開いた。
フレデリック村長と近隣住民へ、営業時間、騒音、警報、苦情窓口、増水時の休業を説明する。一般販売は午前零時からだ。
「早く買いたいのに、四時間も待つのか」
村人の一人が笑う。
「今夜だけは、説明を聞いた方へ試食があります」
エマが川魚の汁を小さな器へよそった。
式が終わる頃には、店の前の騒ぎも落ち着いた。
◇◇◇
午前零時。
「いらっしゃいませ。夜明けの星、リバーサイド店へようこそ」
マルクとエマの声で、二号店の営業が始まった。
最初の客はフレデリック村長だった。
「温かいスープをいただけますか」
「本店と同じ野菜汁と、リバーサイドの川魚汁があります」
「では、川魚を」
マルクはエマへ注文を復唱し、器の温度を確かめて渡した。
村長が一口飲む。
「これは、うちの村の味だ」
エマの目が、パァッと輝いた。
私の胸まで熱くなる。
本店と同じ、と褒められるよりうれしかった。
夜明けの星を掲げながら、ここでしか生まれない一杯が最初の客へ届いた。
その言葉に、エマが誰よりうれしそうに笑った。
開店直後は、客が入口へ集中した。会計列が棚を塞ぎかけ、ロウが床の案内紐を移す。おにぎりは予想より早く減り、残数札を出した。
マルクは、売り切れを隠そうとしなかった。
「茸のおにぎりは、あと六個です。なくなった後は、川魚汁とパンをご案内できます」
待ち時間が長くなった客へ、エマが順番と見込みを伝える。
午前四時の閉店までに、会計は六十三件。川魚汁は用意した三十杯を売り切り、野菜汁は七杯残った。釣り銭の差異はなく、軽い火傷や転倒もなかった。
ただし、最初の一時間は待ち時間が想定を超え、入口の外で話す声について近隣から一件申し出があった。
「大成功ですね!」
ミアが言いかけ、記録を見て言い直した。
「……成功の一日目、ですね」
「言い直せたわね」
「はい。でも本音では、今すぐ外へ出て『二号店、大成功ーっ!』って叫びたいです」
「私もよ。川沿いを走って、全戸へ知らせたい」
「近隣から騒音の申し出が来た直後に、それをやるんすか?」
ロウの冷静な一言で、私とミアは揃って黙った。
「……心の中だけにしましょう」
「ですね」
「はい」
マルクは、騒音の申し出を書いた紙を一番上へ置いた。
「明日は開店前掲示を増やし、外で待たせないよう、入場人数を調整します。野菜汁は減らしすぎず、二週間記録してから仕込みを変えたいです」
店長の顔になった、と言うには、まだ早い。
けれど、褒め言葉より改善点を先に見られる人へ、店を任せた判断は間違っていないと思えた。
帰り際、マルクが私へ尋ねた。
「いつか僕も、次の店長を教えられるでしょうか」
「今日の失敗と直し方を、隠さず話せるようになったら」
「では、今日から残します」
二号店の灯りは、一号店の写しではなかった。
同じ安全と敬意を芯にして、川の匂いと、この村の人の声を映す新しい星だった。
店の外へ出ると、川風が火照った頬へフワッと触れた。
「二号店、点灯ね」
「そして明日は、初回監査です」
アンナが予定表を開く。
「もう少し余韻に浸らせてくれてもよくない?」
「余韻は移動中にお願いいたします」
川面には、新しい星形の灯りがユラユラ揺れている。
私はそれを見ながら、一号店とは違う明日の改善表を抱えて帰路についた。




