第39話 2号店の灯
「リリアーナ様!大変です!」
ミアが息を切らして店に駆け込んできた。午後の準備時間だというのに、どうしたのかしら?
「どうしたの?そんなに慌てて」
「あの、隣のリバーサイド村の村長さんが来てるんです!うちの店に来たいって!」
え?隣村の村長さんが?何の用事かしら。まさか苦情でも来たの?最近、隣村から流れてくるお客さんが増えてるから、それで何か問題が...
「分かったわ。すぐに対応するから、お通しして」
「はい!」
ミアが慌てて戻っていく。隣村の村長さんかぁ。確か、リバーサイド村って川沿いの農業が盛んな村よね。うちより少し大きくて、人口は300人くらいだったかしら。
◇◇◇
「はじめまして、リリアーナ様。リバーサイド村の村長、フレデリック・マールと申します」
現れたのは50代後半くらいの、がっしりした体格の男性。農村の村長らしい、実直そうな雰囲気を漂わせている。
「はじめまして。お忙しい中、わざわざお越しいただき恐縮です」
「いえいえ、こちらこそ。実は、お願いがあって参りました」
お願い?まさか...
「私たちの村にも、夜営業の店を作っていただけませんでしょうか?」
やっぱり!そういう話だったのね。最近こういう相談が増えてきたのよ。でも隣村の村長さんが直接来るなんて、相当本気なのかしら。
「夜営業の店、ですか。もう少し詳しくお聞かせください」
「はい。実は、うちの村にも夜勤の方々がいらっしゃいまして。川の護岸工事の夜番や、夜間の畑の見回りなど...でも、夜に開いている店がないので、皆さん大変困っておられるんです」
なるほど、確かに需要はありそうね。川沿いの村なら夜間作業も多いでしょうし。
「それで、こちらの店の評判を聞いて、ぜひうちの村にもと思いまして」
「ありがたいお話ですが...」
正直言って、悩ましい問題よね。需要があるのは分かるし、事業拡大のチャンスでもある。でも、1人で2つの店を運営するのは現実的じゃない。
「多店舗展開、ですか...」
思わずつぶやいてしまった。そうよね、いよいよチェーン化を考える時期が来たのかもしれない。
「チェーン化とは?」
フレデリック村長が首をかしげる。あ、この世界にはまだチェーン店という概念がないのね。
「えっと、複数の店舗で同じサービスを提供するシステムのことです。つまり、リバーサイド村に作る店も、こちらと同じ品質の商品とサービスを提供できるようにするということです」
「それは素晴らしい!ぜひお願いします!」
村長さんの目がキラキラしている。でも、問題は人材よね。店長として任せられる人がいないと...
「ただ、一つ問題がありまして」
「何でしょうか?」
「店長として任せられる人材の確保です。夜営業は特殊ですし、うちの理念を理解して、お客様に満足していただけるサービスを提供できる人でないと...」
その時、ミアが恐る恐る手を挙げた。
「あの...もしよろしければ、私の従兄はいかがでしょうか?」
「ミアの従兄?」
「はい。マルクといいまして、今年20歳になります。真面目で責任感が強くて、人当たりも良いんです。それに...」
ミアは少し照れながら続けた。
「私の話を聞いて、『夜営業の店で働いてみたい』って言ってました」
おお、それは興味深いわね。ミアの親戚なら、人柄は保証されているようなものよ。それに、ミアから話を聞いてるなら、ある程度の予備知識もあるでしょうし。
「その方は、今何をされているんですか?」
「農業の手伝いをしています。でも、『もっと色々なことに挑戦してみたい』って言ってて」
なるほど、向上心もあるのね。でも、農業と夜営業では全然違うからなぁ...
「一度お会いしてみたいですね。お呼びできますか?」
「はい!すぐに呼んできます!」
ミアが嬉しそうに飛び出していく。フレデリック村長も期待に満ちた表情だ。
「もしマルクさんが適任でしたら、リバーサイド村での出店を前向きに検討させていただきます」
「ありがとうございます!村の皆も喜びます!」
◇◇◇
30分後、ミアが一人の青年を連れて戻ってきた。
「リリアーナ様、従兄のマルクです」
「はじめまして、マルクと申します。ミアからお話は聞いております」
現れたのは、確かに真面目そうな青年だった。ミアと似たような明るい雰囲気だけど、どことなく落ち着きがある。農業で鍛えられたのか、体格もしっかりしている。
「マルクさん、夜営業の店で働くことに興味があると聞きましたが」
「はい。ミアから話を聞いて、とても素晴らしい仕事だと思いました。人の役に立てて、新しいことに挑戦できて...ぜひやらせていただきたいです」
目がきちんとこちらを見ているし、言葉遣いも丁寧。第一印象は悪くないわね。
「夜営業は大変ですよ。昼夜逆転の生活になりますし、酔っ払いの相手をすることもあります」
「覚悟はできています。ミアが毎日楽しそうに働いているのを見て、僕もこの仕事がしたいと思いました」
お、この答えは良いわね。ミアの働きぶりを見て憧れを抱いたということは、仕事への理解もある程度あるはず。
「では、まず1週間、こちらで研修を受けてもらいましょう。その様子を見て、正式に店長をお願いするかどうか決めさせていただきます」
「はい!よろしくお願いします!」
マルクは深々と頭を下げた。やる気は十分ね。後は実際の適性を見極めるだけ。
フレデリック村長も満足そうに頷いている。
「それでは、マルクさんの研修が終わり次第、具体的な準備に入らせていただきます」
「ありがとうございます!楽しみにしております!」
◇◇◇
翌日から、マルクの研修が始まった。でも、その前にやらなければならないことがある。
「ロウ、ミア、緊急会議よ」
「はい!」「何ですか?」
「2号店の件で、研修カリキュラムとマニュアルを作らなければならないの」
今まではその場その場で教えてきたけれど、他の人に店長を任せるとなると、体系的な教育プログラムが必要よね。
「研修カリキュラム?」
ミアが首をかしげる。
「そう。誰が教えても同じ品質のサービスができるように、教え方を標準化するの。それから、店の運営方法をまとめたマニュアルも必要」
前世の記憶では、チェーン店には必ずマニュアルがあった。『誰でも同じサービスを提供できる』ようにするためのノウハウ集ね。
「でも、どうやって作るんですか?」
ロウが疑問顔。確かに、ゼロから作るのは大変よね。
「まず、私たちが普段やっていることを全部書き出しましょう。開店準備から閉店まで、やることを時系列で整理するの」
「はい!」
「それから、接客の基本、商品知識、緊急時の対応...全部マニュアル化していくわ」
3人で丸1日かけて、膨大なマニュアルを作成した。
**『夜営業店舗運営マニュアル 第1版』**
**第1章:基本理念**
- お客様第一主義
- 笑顔と清潔感
- 夜に働く人々への感謝
**第2章:開店準備**
- 店内清掃チェックリスト
- 商品陳列の基準
- 設備点検項目
**第3章:接客の基本**
- 基本的な挨拶
- 商品説明の方法
- お釣りの渡し方
- クレーム対応
**第4章:商品知識**
- 全商品の特徴と価格
- おすすめの組み合わせ
- 保存方法と賞味期限
**第5章:緊急時対応**
- 停電時の対処法
- 体調不良のお客様への対応
- 防犯対策
書き上げてみると、結構なボリュームになった。でも、これがあれば誰でも一定水準のサービスができるはず。
「すごいですね!こんなに詳しく書いてあるなんて」
ミアが感心している。
「これで、どの店でも同じサービスができるわね」
「でも、これを全部覚えるのは大変そうです...」
ロウが心配そうに言う。確かに、量が多いからなぁ。
「大丈夫よ。最初は基本だけ覚えてもらって、徐々にレベルアップしていけばいいの。マルクの研修で実際に使ってみて、改良していきましょう」
◇◇◇
「マルク、今日から実地研修を始めるわよ」
研修開始から3日目、基本的な座学を終えたマルクに、実際の接客を体験してもらうことにした。
「はい!よろしくお願いします!」
マルクの目は真剣そのもの。この3日間で、マニュアルの基本部分は完璧に覚えてくれた。理解力も高いし、何より熱心。
「最初は見学から。ミアの接客をよく観察して」
「分かりました!」
夜8時、開店と同時に常連のハンスが来店。
「いらっしゃいませ!お疲れ様です!」
ミアの明るい声が店内に響く。
「おお、ミア。今日もよろしく。いつものやつ、頼むよ」
「はい!スープとおにぎり2個ですね!少々お待ちください!」
ミアがテキパキと商品を準備する。マルクはその様子を真剣に見つめている。
「ハンスさん、今日は寒いですね。温かいスープで体を温めてください」
「ありがとう。君たちがいるから、夜勤も頑張れるよ」
「ありがとうございます!」
ハンスが帰った後、マルクが感心したように言った。
「すごいですね。お客さんとの距離感が絶妙です」
「ミアは天才的な接客センスがあるのよ。でも、基本はマニュアル通り。笑顔と丁寧な言葉遣い、そしてお客さんへの感謝の気持ちを忘れないこと」
「はい。勉強になります」
次に来たのは、新規のお客さん。冒険者風の若い男性。
「いらっしゃいませ!初めてお越しいただきありがとうございます!」
ミアが笑顔で迎える。
「あ、はい...何かおすすめはありますか?」
「夜勤でお疲れでしたら、温かいスープがおすすめです。それから、おにぎりも人気ですよ」
「じゃあ、それで」
「ありがとうございます!スープとおにぎりですね。おにぎりはどちらがお好みですか?」
商品説明をしながら、自然に追加注文を促している。これもマニュアルに書いた『アップセル』の技術ね。
お客さんが帰った後、マルクに聞いてみた。
「どうだった?気づいたことはある?」
「はい。ミアさんは、お客さんの状況を見て、適切な商品をおすすめしていました。それに、追加の商品も自然に提案していて...」
「そう。お客さんのニーズを読み取って、最適な商品を提案する。これも大切なスキルよ」
「なるほど...まだまだ学ぶことがたくさんありますね」
謙虚な姿勢も好感が持てる。この調子なら、きっと良い店長になれるわ。
◇◇◇
研修5日目、ついにマルクの実践接客デビュー。
「緊張しますね...」
「大丈夫よ。基本を忘れずに、笑顔で頑張って」
最初のお客さんは、幸運にも常連のベルト。優しい人だから、新人には最適ね。
「いら...いらっしゃいませ!」
少しどもったけれど、マルクが精一杯の笑顔で迎える。
「おや?新しい顔だね」
「はい!研修中のマルクと申します!よろしくお願いします!」
「よろしく。ミアの従兄だって?」
「はい!」
「それなら安心だ。いつものやつ、頼むよ」
「え...いつものやつ?」
マルクが困った顔をする。そりゃそうよね、まだ常連さんの注文パターンは覚えてないもの。
「甘いお菓子とお茶ですよ」
ミアがフォローする。
「あ、そうでした!甘いお菓子とお茶ですね!少々お待ちください!」
マルクが慌てて商品を準備する。少し手間取ったけれど、何とか商品を渡すことができた。
「ありがとうございました!」
「頑張れよ、新人君」
ベルトが優しく声をかけて帰っていく。
「はぁ...緊張しました」
マルクが額の汗を拭う。
「でも、基本はできてたわよ。笑顔も挨拶も、マニュアル通りにできてた」
「本当ですか?」
「ええ。後は慣れの問題ね。常連さんの好みを覚えて、もっとスムーズに対応できるようになれば完璧よ」
実際、マルクの成長は目覚ましかった。最初はぎこちなかった接客も、日を追うごとに自然になっていく。マニュアルがあることで、基本を外すことなく、着実にスキルアップできている。
◇◇◇
研修最終日、驚くべき光景を目にした。
「いらっしゃいませ!お疲れ様です!」
マルクの声に、もう最初の頃の緊張はない。自然な笑顔で、常連の冒険者を迎えている。
「おお、マルク君。だいぶ慣れたね」
「ありがとうございます!おすすめの肉まんはいかがですか?今日は特に美味しく仕上がってます」
「おお、それは良い。じゃあそれで」
商品を渡しながら、マルクが自然に会話を続ける。
「冒険の方はいかがですか?寒くなってきましたから、お体にお気をつけて」
「ありがとう。君みたいに気遣いできる人がいると、夜も心強いよ」
お客さんが帰った後、私は心から感動していた。
「マルク、素晴らしいわ。もう一人前の店員ね」
「本当ですか?」
「ええ。お客さんとの会話も自然だったし、商品知識もちゃんと身についてる。何より、お客さんを大切にする気持ちが伝わってきた」
マルクの顔が嬉しそうに輝く。
「ミアさんとロウさんに教えてもらったおかげです。それに、マニュアルがあったから、基本を間違えずに済みました」
そうね、マニュアルの効果は確実にあった。誰でも一定水準のサービスができるようになる。これなら、2号店でも安心してお客さんをお任せできる。
「それでは、正式に2号店の店長をお願いします」
「はい!頑張ります!」
◇◇◇
2号店の内装工事が始まった。オルフが設計から施工まで全て請け負ってくれる。
「2号店かぁ。いよいよ本格的な事業拡大だな」
「そうですね。でも、基本設計は1号店と同じにしてください。お客さんが迷わないように」
「分かった。照明の配置も、商品棚の高さも、全部同じにしてやる」
統一感は重要よね。どの店に行っても同じサービスが受けられるという安心感を提供したい。
仕入れルートも、ゼルドが調整してくれる。
「配送ルートを拡張して、2号店にも同じ商品を届けられるようにします」
「ありがとう。品質の統一も大切だから、同じ仕入れ先から調達してね」
「もちろんです。商品の品質にばらつきがあったら、チェーン店の意味がありませんから」
さすがゼルド、よく分かってる。
マルクも、2号店の準備に大忙し。
「スタッフはどうしましょう?僕一人では厳しそうです」
「そうね。リバーサイド村で信頼できる人を探してもらいましょう。年齢は問わないから、やる気のある人を」
「分かりました!村長さんに相談してみます」
準備期間中も、マルクは毎日1号店に来て、更なるスキルアップに励んでいる。向上心が素晴らしいわ。
◇◇◇
ついに2号店の開店準備が完了した。
「リリアーナ様、準備完了です!」
マルクが嬉しそうに報告してくれる。この1ヶ月で、彼は見違えるほど成長した。
「内装も完璧ですね」
店内を見回すと、確かに1号店とそっくり。照明の配置、商品棚の配列、レジの位置...全て統一されている。
「スタッフの方も順調ですか?」
「はい!村の若い女性、エマさんが手伝ってくれることになりました。真面目で、接客も上手です」
「それは良かった。研修はきちんと?」
「もちろんです!マニュアルを使って、基本から教えました」
マルクが自信を持って答える。教える側に回ったことで、更に理解が深まったのでしょう。
「商品の準備も?」
「全て完了してます。ゼルドさんが届けてくれた商品は、1号店と全く同じ品質です」
よし、これなら安心ね。
「それでは、明日の開店に向けて、最終確認をしましょう」
マニュアルに沿って、開店準備から閉店まで、全ての工程をチェック。マルクとエマさんの動きは完璧だった。
「素晴らしいわ。研修の成果が出てる」
「ありがとうございます!」
2人とも嬉しそうに答える。
◇◇◇
2号店開店の夜。リバーサイド村には、たくさんの村人が集まっていた。
「ついに夜営業の店ができた!」
「どんな店なんだろう?」
「スノーベル村の店と同じらしいよ」
期待に満ちた声が聞こえてくる。
午後8時、2号店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!『夜明けの星 リバーサイド店』へようこそ!」
マルクとエマさんの元気な声が響く。
最初のお客さんは、フレデリック村長。
「おお、素晴らしい店ですね!」
「ありがとうございます!温かいスープはいかがですか?」
「ぜひお願いします」
マルクの接客は完璧だった。笑顔、言葉遣い、商品の説明...全てマニュアル通りでありながら、心がこもっている。
続々とお客さんが来店し、あっという間に店内は賑やかになった。
「美味しい!」「本当にスノーベル村の店と同じ味だ!」「これで夜勤も楽になる!」
お客さんの反応は上々。マルクも嬉しそうだ。
「リリアーナ様、大成功ですね!」
ミアが興奮して言う。
「そうね。マルクもエマさんも、研修の成果を十分に発揮してくれた」
「これで、チェーン展開の第一歩ですね!」
ロウも嬉しそう。
そう、これが本当の意味でのチェーン展開の始まり。同じ品質、同じサービスを、複数の場所で提供する。これまでの努力が、ついに実を結んだ瞬間よ。
「でも、これはまだ始まりに過ぎないわ」
私は夜空を見上げた。
「きっと、もっとたくさんの村から『うちにも店を』って声がかかるでしょうね」
「その時は、また新しい店長を育てるんですね!」
「ええ。でも今度は、マルクにも指導者として参加してもらいましょう。教えることで、更に成長できるから」
マルクが嬉しそうに頷く。
「頑張ります!リリアーナ様から教わったことを、今度は僕が次の人に伝えたいです」
これよ、これが理想的な発展の形。知識と経験が次の世代に受け継がれていく。そうやって、夜営業の文化がどんどん広がっていくのね。
2号店の明るい灯りが、リバーサイド村の夜を照らしている。この灯りが、やがて大陸中に広がる日が来るかもしれない。
「便利は正義」の理念を掲げて、これからも歩み続けよう。多くの人を幸せにするために。