第38話 模倣店の崩壊
「リリアーナ様、レッドクリフ村の模倣店の件なんですが...」
夕方の準備時間、ミアが少し困ったような顔で声をかけてきた。あぁ、あの価格だけで勝負してきた店のことね。そういえば最近、あちらの客が流れてきているという話を聞いていた。
「どうしたの?何か問題でも?」
「えっと...客足がかなり減ってるみたいなんです。うちの常連さんが『向こうの店、最近人がいないね』って話してました」
ふーん、そうなの。正直なところ、予想はしていた。価格競争だけでは長続きしないのが商売の鉄則だからね。でも、人の不幸を喜ぶような真似はしたくない。
「詳しく教えて」
◇◇◇
その日の夜営業中、レッドクリフ村から戻ってきた商人のおじさんが興味深い話を聞かせてくれた。
「いやー、あっちの夜営業店、すっかり客がいなくなっちまった」
「そうなんですか?何があったんでしょう?」
お客さんとして自然に会話を続ける。これも情報収集の一環よね。
「まず衛生管理がひどくてね。店の中が汚いし、食べ物の保存も適当。この前なんか、おにぎりが酸っぱい臭いしてたよ」
うわぁ...それは致命的ね。食品を扱う店で衛生管理ができてないなんて、お客さんの信頼を完全に失うわ。
「それに接客も最悪でさ。愛想ないし、お釣りは間違えるし、『いらっしゃいませ』も言わない。マニュアルなんてあったもんじゃない」
「それは...」
私が言葉を詰まらせていると、おじさんは続けた。
「極めつけは品切れの多発。『これください』って言うと『それは売り切れ』『これも品切れ』の連発。仕入れ計画がまるでなってない」
あー、それは完全にアウトね。お客さんが欲しいものがない店なんて、存在意義がないじゃない。
「でも一番ひどかったのは、店主の態度だったな。『安く売ってやってるんだから文句言うな』みたいな感じでさ」
「え...」
そんな接客する人、本当にいるの?お客さんあってこその商売なのに...。
「結局みんな、『やっぱり元の店がいい』って、こっちに戻ってきてるよ。値段が少し高くても、美味しくて、気持ちよく買い物できる方がいいからね」
商人のおじさんは温かいスープを一口飲んで、満足そうに息を吐いた。
「ここは本当にいい店だよ。また明日も来るからね」
「ありがとうございます!お待ちしてます!」
ミアが笑顔で答える。この自然な笑顔と心からの『ありがとう』が、うちの最大の武器なのよね。
◇◇◇
翌日の午後、意外な来客があった。
「あの...リリアーナ様でいらっしゃいますか?」
店の前に立っていたのは、見覚えのない中年の男性。服装はそれなりに良いものを着ているけれど、表情は疲れ切っているし、肩も落ちている。
「はい、そうですが...どちら様でしょうか?」
「私、レッドクリフ村で...その...夜営業の店をやっている、グレゴリーと申します」
あー、模倣店の店主さんね。わざわざここまで来るなんて、よほどのことがあったのかしら。
「はじめまして。お疲れ様でした。どうぞ、中にお入りください」
「あ、ありがとうございます...」
グレゴリーさんは恐縮そうに店内に入ってきた。どことなく申し訳なさそうな雰囲気を漂わせている。
「お飲み物はいかがですか?温かいお茶でもお出ししましょうか?」
「え...いえ、そんな、お構いなく...」
「遠慮なさらずに。せっかくいらしていただいたのですから」
ミアに目配せして、お茶を準備してもらう。グレゴリーさんは椅子に座ると、深く頭を下げた。
「実は...お願いがあって参りました」
「お願い、ですか?」
「はい...教えてもらえませんか?どうすれば、あなたのような店が作れるのか...」
あー、やっぱりそういうことね。多分、経営が行き詰まって、藁にもすがる思いで来たのでしょう。でも、この人は素直に頭を下げて教えを請う姿勢を見せている。それだけでも立派よ。
「教えてもらえませんか、って...私たちは競合他社ですよね?」
「そ、それは...そうですが...」
グレゴリーさんは困ったような顔をした。そりゃそうよね、ライバル店に経営のコツを教えてくれなんて、普通は言えないもの。
「でも」
私は微笑んで続けた。
「競合だけど、人として助けたいと思います。困っている人を見捨てるなんて、できませんから」
「え...」
グレゴリーさんの目が見開かれた。多分、もっと冷たく扱われると思っていたのでしょう。
「あの...本当にいいんですか?私は、あなたの商売の邪魔をしようとして...」
「過去のことは気にしていません。それより、今後どうするかの方が大切です」
ミアが温かいお茶を持ってきてくれた。グレゴリーさんは恐縮しながら受け取り、一口飲んで少しホッとした表情を見せる。
「それで、具体的にはどんなことでお困りなんですか?」
「実は...もう、何もかもがうまくいかなくて...」
グレゴリーさんはゆっくりと現状を話し始めた。
「最初は安く売れば客が来ると思っていました。でも、安く売るために品質を落として、掃除も手抜きして...気がついたら、誰も来なくなっていました」
そりゃそうよね。価格だけで勝負しようとすると、必ずどこかにしわ寄せが来る。
「接客も、マニュアルなんて作らずに、適当にやっていたら、お客さんに『感じが悪い』と言われて...」
「なるほど...」
「仕入れも、適当に『これくらいでいいだろう』と思ってやっていたら、品切ればかりで...」
完全に基本ができていないのね。でも、この人は素直に自分の問題を認めているから、改善の余地はある。
「分かりました。基本的なことからお話ししましょうか」
「はい!お願いします!」
グレゴリーさんは身を乗り出した。
「まず第一に、衛生と笑顔が基本です」
「衛生と笑顔...」
「食べ物を扱う以上、清潔は絶対条件。お客さんが安心して購入できる環境を作らなければなりません。そして笑顔。『いらっしゃいませ』『ありがとうございます』を心を込めて言う。これだけで印象はガラリと変わります」
「そんな...基本的なことで?」
「基本的なことだからこそ、大切なんです。基礎がしっかりしていないと、どんなに良い商品を置いても意味がありません」
ミアが隣でうんうんと頷いている。この子も最初は基本の『き』から教えたものね。
「それから、お客さんの立場に立って考えること。『自分がお客さんだったら、どんな店で買い物したいか』を常に考えてください」
「お客さんの立場に...」
「例えば、欲しい商品がない店では買い物したくないですよね?だから仕入れ計画をしっかり立てる。需要を予測して、適切な量を仕入れる」
「でも、どうやって需要を予測すれば...」
「最初は分からなくて当然です。でも、毎日の売上を記録して、パターンを見つけていけば、だんだん分かるようになります」
グレゴリーさんは必死にメモを取っている。その姿勢は好感が持てるわ。
「あと、大切なのは...」
私は少し考えてから続けた。
「市場全体を育てることが大切だということです」
「市場全体を?」
「そうです。私たちがライバル関係にあっても、お互いが良い店になれば、夜営業という新しい文化全体が発展します。そうすれば、最終的にはみんなが得をするんです」
「あぁ...」
グレゴリーさんの表情が明るくなった。競争相手として敵視するのではなく、共に市場を作り上げるパートナーとして見る視点。これも大切な考え方よね。
「具体的には、どんなことから始めればいいでしょうか?」
「まずは店内の大掃除から始めてください。徹底的に綺麗にして、清潔を保つ仕組みを作る。それから接客の練習。鏡の前で笑顔の練習をして、『いらっしゃいませ』を心を込めて言えるようになるまで繰り返す」
「はい...」
「仕入れについては、最初は少なめに。売り切れるくらいの量から始めて、徐々に増やしていけばいいんです。品切れよりも、新鮮な商品を確実に提供する方が大切です」
グレゴリーさんは真剣にメモを取り続けている。この真摯な姿勢があれば、きっと立て直せるはず。
「それから、お客さんとの会話を大切にしてください。『今日は寒いですね』『お疲れ様です』といった何気ない会話が、お客さんとの関係を築いていきます」
「会話...そういえば、お客さんと話したことがありませんでした」
「接客は技術じゃなくて、心です。お客さんに喜んでもらいたいという気持ちがあれば、自然と良いサービスができるようになります」
私の隣で、ミアが「そうですそうです!」と元気よく頷いている。この子は本当に接客の才能があるのよね。
「リリアーナ様...なぜ、そこまで親切に教えてくださるんですか?私は、あなたの商売の邪魔をしようとしていたのに...」
グレゴリーさんの声には困惑が混じっている。確かに不思議に思うのも無理はないわね。
「それは簡単です。敵を憎んでも、何も生まれないからです」
「敵を憎まない...」
「競争は大切ですが、憎しみ合う必要はありません。お互いが切磋琢磨して、より良いサービスを提供できるようになれば、最終的にはお客さんが喜びます。それが一番大切なことです」
私は立ち上がって、店内を見渡した。
「この店も、最初はうまくいかないことばかりでした。でも、ミアやロウ、村の皆さんが支えてくれたから、ここまで来ることができました」
「はい...」
「一人ではできないことも、みんなで協力すれば実現できます。私たちも、必要な時はお手伝いしますから、頑張ってください」
グレゴリーさんの目に涙が浮かんでいる。
「ありがとうございます...本当に、ありがとうございます...」
「いえいえ。同じ夜営業をする仲間として、成功してもらいたいですから」
◇◇◇
グレゴリーさんが帰った後、ミアが感心したような顔で話しかけてきた。
「リリアーナ様って、本当にすごいです」
「え?何が?」
「だって、ライバルの人にあんなに親切に教えて...普通だったら、教えないと思います」
そうかなぁ。私としては当然のことをしただけなんだけど。
「ミア、商売って何のためにするものだと思う?」
「えーっと...お金を稼ぐため?」
「それも間違いじゃないけど、もっと大切なことがあるのよ」
私は夜空を見上げた。星がきれいに見える。
「人を幸せにするためよ。お客さんが喜んでくれて、スタッフが成長して、地域が良くなって...そうやって、みんなが幸せになることが、商売の本当の目的なの」
「みんなが幸せに...」
「だから、競合他社であっても、同じ志を持つ人は仲間なのよ。お互いが成長することで、業界全体が発展して、最終的にはお客さんのためになる」
ミアは目をキラキラさせて聞いている。
「それに、人に親切にすると、不思議と自分にも良いことが返ってくるものよ。グレゴリーさんの店が良くなれば、夜営業という文化がもっと広がって、結果的に私たちにもプラスになる」
「なるほど...勉強になります!」
その時、ロウが荷物整理から戻ってきた。
「お疲れ様です!今の話、僕も聞いてました。リリアーナさんって、本当に器が大きいんですね」
「そんなことないわよ。ただ、長い目で見れば、みんなで協力した方が得だと思っているだけ」
実際、短期的には競合他社を潰した方が売上は上がるかもしれない。でも、それでは持続可能な成長は望めない。業界全体が発展してこそ、本当の成功と言えるのよ。
「でも、グレゴリーさん、本当に立て直せるでしょうか?」
ロウの心配ももっともね。基本ができていない状態から、良い店に変わるのは簡単じゃない。
「大丈夫よ。あの人には『学ぼう』という気持ちがある。それがあれば、必ず良くなるわ」
「そうですね。最初はみんな初心者ですもんね」
そう、私だって最初は何も分からなかった。前世の記憶があるとはいえ、この世界での商売は手探り状態だったもの。
「それに、競争相手がいることで、私たちも成長できるのよ。常に『負けてられない』という気持ちで頑張れるからね」
◇◇◇
それから1週間後、驚くべき報告がロウから上がってきた。
「リリアーナさん!レッドクリフ村の模倣店の件です!」
「どうしたの?まさか、もう閉店したとか?」
「いえ、その逆です!すごく綺麗になってて、お客さんも戻ってきてるみたいです!」
「え、本当に?」
「はい!配達で通りかかったんですが、店の前に数人並んでました。店内も明るくて清潔で、全然違う店みたいでした」
おお、グレゴリーさん、頑張ったのね。あの真剣な表情を見て、『やってくれるだろう』とは思っていたけど、こんなに早く結果が出るとは。
「店主のグレゴリーさんも、すごく感じ良く接客してました。『いらっしゃいませ』も笑顔で言ってたし、お客さんとの会話も弾んでました」
「それは良かった!」
「それで...お客さんの一人が『ここの店、急に良くなったよね』って話してたんです。『スノーベル村の夜営業店に相談に行ったらしいよ』って」
あらら、そんな話が広まってるのね。まぁ、別に隠すことでもないけど。
「『あっちの店は本当にいい店だから、きっと良いアドバイスをもらったんだろう』って、褒められちゃいました」
え、私たちの店のことを褒めてくれたの?それも、競合店のお客さんが?
「すごいですね!ライバルのお客さんにまで認められるなんて!」
ミアが興奮している。確かに、これは予想外の嬉しい反応ね。
「お客さんって、正直ですからね。本当に良い店は素直に認めてくれるんです」
それに、グレゴリーさんが私たちからのアドバイスを素直に実践してくれたことで、『指導力』も評価されているのかもしれない。
「これで、夜営業の文化がもっと広がりそうですね!」
ロウが嬉しそうに言う。そうね、同じ志を持つ仲間が増えることは、業界全体にとって良いことよ。
「でも、競争はもっと激しくなりますよ?」
「それはそれで楽しみじゃない?お互いに切磋琢磨して、より良いサービスを提供していけば、お客さんはもっと喜んでくれるわ」
実際、適度な競争があることで、私たちも気を抜かずに済む。常に『もっと良くできないか』と考え続けることができるからね。
「リリアーナ様って、本当に器が大きいです」
ミアがしみじみと言う。
「器が大きいっていうか...単純に、みんなが幸せになる方法を考えているだけよ」
短期的な利益を追求するより、長期的にみんなが得をする方法を選ぶ。それが結果的に、最も賢い選択になるのよね。
「これからも、困っている人がいたら助けてあげたいです」
「そうね。でも、何でもかんでも教えるわけじゃないわよ?」
「え?」
「相手の態度を見て判断することも大切。今回のグレゴリーさんは、素直に頭を下げて『教えてください』と言ってきた。でも、中には逆恨みするような人もいるかもしれない」
そこは見極めが必要よね。善意を悪用されるような状況は避けなければならない。
「分かりました。相手の人柄をちゃんと見て判断します」
「そうそう。でも基本的には、困っている人は助ける。それがうちの店の方針よ」
◇◇◇
その夜の営業中、予想もしなかった来客があった。
「こんばんは!」
元気の良い声と共に入ってきたのは、グレゴリーさんと、見知らぬ若い女性。
「グレゴリーさん!お疲れ様です!」
「リリアーナ様、本当にありがとうございました!おかげで店が立ち直りました!」
グレゴリーさんの表情は、一週間前とは別人のように明るい。
「良かったです!頑張られたんですね」
「はい!教えていただいたことを全部実践しました。まず大掃除から始めて、接客の練習もして、仕入れ計画も立て直して...」
「素晴らしい!」
「それで、こちらは私の娘のマリーです。お父さんに商売を教えてくれた人に、ぜひお礼を言いたいと言って」
若い女性が深々と頭を下げた。
「リリアーナ様、父がお世話になりました。おかげで、お店が見違えるように良くなりました」
「いえいえ、頑張ったのはお父様ですから」
「父から聞きました。『商売は人を幸せにするためのものだ』って教えてくださったそうですね」
あら、そんなことまで覚えていてくれたの。
「その通りです。お客さんが喜んでくれることが、一番の報酬ですから」
グレゴリーさんが嬉しそうに続けた。
「実は、お客さんから『急に良い店になった』って褒められるようになったんです。『何があったんだ』って聞かれて、正直に『スノーベル村の店に教えてもらった』って答えたら、『あそこは本当に良い店だから、そりゃあ良いアドバイスをくれるだろう』って」
「まぁ、ありがとうございます」
「それで、今度は他の村の商人からも相談されるようになりました。『どうすれば良い店になれるか』って」
おお、それは嬉しい話ね。良い影響が連鎖していくのは素晴らしいことよ。
「今度は私たちが、困っている人を助ける番だと思っています」
グレゴリーさんの言葉に、心から感動した。教えたことが、ちゃんと次の人に伝わっていく。これこそが、真の成功というものよね。
「それは素晴らしいです。きっと、夜営業の文化がもっと広がっていきますね」
「はい!リリアーナ様のように、器の大きな人間になりたいです」
器の大きさ、か。確かに、最初は「模倣店なんて潰れてしまえ」と思ったこともあったわ。でも、敵を憎むより、仲間を増やす方がずっと建設的よね。
「器の大きさは、意識して育てるものですからね。一朝一夕にはいきませんが、常に『みんなが幸せになる方法』を考え続けることが大切です」
「分かりました!肝に銘じます!」
グレゴリーさん親子は、お土産にと自分の店の名物を持参してくれた。正直、味はまだまだこれからという感じだけれど、心がこもっているのは伝わってくる。
「ありがとうございます。今度、私たちも遊びに行かせていただきますね」
「ぜひぜひ!お待ちしております!」
二人が帰った後、ミアが感慨深そうに言った。
「なんだか、すごく良い話ですね」
「そうね。敵だと思っていた人が仲間になって、さらにその人が他の人を助ける。これが理想的な発展の仕方よ」
「リリアーナ様の器の大きさが、こんな素晴らしい結果を生んだんですね」
器の大きさ、ねぇ。自分ではよく分からないけれど、確かに最初の頃より、物事を俯瞰して見られるようになった気がする。
「器は、使えば使うほど大きくなるものよ。みんなの幸せを考え続けることで、自然と大きくなっていくの」
そして、器が大きくなることで、真の勝者になれるのよね。一時的な売上や利益じゃなくて、長期的にみんなが得をする。それこそが、本当の成功というものよ。
今夜も、うちの店には温かい灯りが灯っている。その光は、きっとこれからも多くの人を照らし続けるのでしょう。