第30話 防犯レベル2
「『防犯レベル2』とは、何です?」
グリムが、私の紙に書いた題を指した。
「今より一段よくする、という仮の名前です」
「一段上げると、何が起きます?」
「警報と連携が強くなって、迷惑行為を早めに――」
「では、レベル3は?」
「もっと強く……」
「レベル10なら絶対安全ですか?」
「うっ」
グリムの質問が、私の格好いい命名を一段ずつ階段から突き落としていく。
『防犯レベル2、響きは強そうでよかったのに! なんだか新装備を手に入れたみたいでワクワクしたのに!』
「その題名、そんなに気に入っていたんですか?」
「少しだけ。いえ、かなり」
「安全は名前の強さでは決まりません」
「正論で私のワクワクを丸裸にしないでください……」
「安全を数字の段で呼ぶと、上の段なら事故が起きないように聞こえます」
「確かにそうね」
私は題の横へ線を引いた。
停電の翌週、店と夜警の記録を見直していた。
窃盗や暴力は減少傾向にある。ただし、店ができたから六分の一になった、とは言えないことは確認済みだ。
それに、安全は大事件の数だけでは測れない。
帰り道が怖いと店へ入った人。酒に酔って声が大きくなった客。暗闇で椅子へ脛をぶつけた旅人。警報が主照明と一緒に止まりかけた夜。
「大きな事件になる前に、どこで止められたかを記録したいんです」
「予防ですね」
「ええ。でも、怪しそうな人を先回りして追い出す、という意味ではありません」
服が汚れている。夜中に一人でいる。店内を何度も見る。
それだけで危険人物と決めれば、疲れた旅人や文字を読めない客ほど排除される。
見るべきなのは人の属性ではなく、出口を塞ぐ、断られた後もつきまとう、物を壊す、大声で脅すといった行動だ。
「なら、設備より先に、人の動きを決めましょう」
グリムは新しい紙へ、『誰が、いつ、何をするか』と書いた。
◇◇◇
その話を聞いたハンスとベルトが、思いがけない提案をした。
「勤務外に、俺たちが私服で店の周りを見よう」
「制服だと客が緊張する。普通の客としていれば、自然だろう?」
二人とも本気だった。
「この店には世話になっている。夜勤の途中に温かい飯があり、休める場所がある。今度は俺たちが返したい」
うれしい。
そう感じたからこそ、すぐ受け入れてはいけないと思った。
「勤務外なら、眠る時間は?」
「交代で取る」
「私服の二人が客を止めたとき、その権限は誰が説明します? 見張られていたと感じた客が苦情を言う先は?」
ハンスが黙った。
「信用していないわけではありません。でも、店への感謝を、無料の警備で返してもらうことはできない」
「俺たちは客でいるだけか」
ベルトの声に、少し寂しさが混じった。
「客でいてくださることが、足りないと思わないで。買ったスープの代金は、もう払っていただいています。温かかった分を、夜の労働で返す借りにはしません」
「でも、俺たちは助けられてばかりだ」
ハンスは器の縁を親指でなぞった。
「夜勤の日、妻を起こさずに飯を食える。寒い巡回の途中で座れる。事件が起きれば店から連絡も来る。何も返さず、ただ客の顔をしているのが、だんだん申し訳なくなったんだ」
「何も返していないなんて言わないでください。ハンスさんは値段が高いと言われた夜も、泥棒が入った夜も来てくれた。新商品が酸っぱすぎたときは、ちゃんと酸っぱいと言ってくれた」
「最後のも恩なのか?」
「大恩です。全員が気を遣って『おいしい』と言ったら、私は酸味の兵器を量産していました」
「それは止めて正解だったな」
「でしょう? だから客としての声を、軽く数えないで」
店が人とのつながりを大切にするほど、好意へ甘える境目は曖昧になる。
グリムが二人へ向き直った。
「安全計画として増員が必要なら、村の勤務として組む。手当を払い、二人一組、巡回時間を記録する。私服ではなく、遠目にも役割が分かる腕章をつける」
「威圧感が出ないか?」
「制服より軽い腕章にする。ただし秘密の見張りにはしない」
試験は週二回、混雑する午前零時から二時。通常の勤務時間を越える場合は翌日の勤務を短くし、夜間手当を支払う。
巡回者は店内の会話を聞き集めず、客名簿も見ない。通行を妨げる荷物、灯りの故障、助けを求める声、明確な迷惑行為を確認する。
苦情は店ではなく、村役場と夜警詰所の両方で受ける。
「そこまで決めるなら、やりたい」
ハンスが腕章案を手に取った。
「恩返しではなく、仕事としてな」
「では、客として来る日は本当に休んでください」
「それが一番難しいかもしれん」
ベルトが笑った。
正式巡回の初夜、ハンスとベルトは濃紺の腕章をつけた。
制服ほど目立たないが、銀色の鐘印があり、夜警計画の担当者だと掲示にも書いてある。
「なんだか、客として入りづらいな」
ベルトが入口で腕を見た。
「勤務中ですもの。休憩に入ったら腕章を外し、その時は客として過ごしてください」
「同じ夜に両方やると、境目が分からなくならないか?」
その疑問で、休憩中も担当区域から完全には離れない勤務表になっていたことへ気づいた。
「休憩は、別の衛兵と交代して詰所で取る。店で食事をするなら勤務終了後にしましょう」
グリムが即座に表を書き直した。
最初の巡回を見た旅人が、会計台で尋ねた。
「あの二人は、客が何を買ったかも記録するのか?」
「いいえ。記録するのは、巡回時刻、外灯や道の異常、明確な安全上の出来事です。お名前や購入品は書きません」
「でも、ずっと見られるのは落ち着かない」
私は、安心のために始めたのだから安心してください、とは言わなかった。
「そう感じることも、記録して見直します。腕章の人から話しかけられたくない場合は、助けを求めていないと伝えてください。それだけで呼び止めることはありません」
旅人は頷いたが、完全に安心した顔ではなかった。
巡回を望む人だけが村の住民ではない。
見守られることで息苦しくなる人もいる。その感覚を、犯罪者の後ろめたさだと決めつけてはいけない。
勤務終了後、ハンスは手当の入った小袋を受け取った。
「好きな店の周りを歩いただけで、金をもらうのは妙な気分だ」
「好きでしてくださることにも、時間と責任があります」
「受け取らないと言ったら?」
「次の勤務は頼みません」
「そこまで言うか」
「言います。『好きだから無料で』が当たり前になったら、好きでなくなった日や、疲れた日にも断れなくなるでしょう」
「店を守りたい気持ちまで、契約書へ閉じ込めるのか?」
「閉じ込めるのではなく、逃げ道を作るんです。今日は無理だと言える出口を」
ハンスは小袋を見つめ、それから苦笑した。
「店主になって、ずいぶん頑固になったな」
「元王女の頃から頑固です。使い道が見つかっただけよ」
ハンスは苦笑し、小袋を懐へ入れた。
「厳しい店主だ」
「無償の好意へ頼って、続かなくなる方が怖いんです」
好意を契約へ変えることは、冷たさではない。
明日の疲れまで含めて、大切にする方法だった。
◇◇◇
店員側の訓練は、危険を三段階に分けた。
一段目。声が大きい、列へ割り込む、商品を乱暴に置く。距離を取り、具体的な行動だけを伝え、協力を頼む。
二段目。退店を拒む、他人へつきまとう、繰り返し怒鳴る。成人責任者が対応し、別の店員は出口と他客を確保。夜警へ連絡する。
三段目。武器を抜く、殴る、火を出す、扉を壊す。説得を続けず、客を待機場所または二階へ避難させ、警報を作動する。
「怒っている理由を、まず聞くのでは?」
ミアが尋ねた。
「安全な距離があり、相手が話せる状態なら聞く。でも、理由を理解するまで退店を頼めないわけではないの」
事情があっても、脅してよい理由にはならない。
訓練では、ロウが酔客役になった。
「うぃー、酒を出せー!」
「当店では酒類を扱っておりません」
ミアは会計台から腕一本半の距離を取り、正面ではなく斜めに立った。
「他のお客様が驚かれます。声を小さくしていただけますか」
「酒がない店なんて店じゃねえ!」
ロウは両腕を振り、ふらふらと会計台へ近づく。
「うぃー! 酒! 酒がなければ肉まんを酒味にしろー!」
「そんな無茶な!」
ミアが思わず素で叫んだ。
「訓練を止めないで。相手が無茶を言うほど、こちらは短く具体的に」
「はい! 肉まんを酒味にはできません!」
「そこへ返事をしなくていいわ!」
「難しいです!」
「現実の酔客は台本を読んでくれないから、難しいまま練習するのよ」
「ご用意できません。アンナさん、お願いします」
ミアは説得を続けず、合図の言葉で成人へ交代した。
アンナは出口を背にせず、ロウとの間へ棚を一つ挟む。
「酒類は販売できません。声を下げられない場合は、今夜の販売をお断りし、夜警へ連絡します」
「温かいお茶を無料で出して、落ち着いてもらうのは?」
ロウが役を解いて尋ねた。
「酔いが強い人へ熱い器を渡せば、こぼして火傷する。水を飲める状態か尋ねることはできるけれど、品物で機嫌を取る形にはしないわ」
「酒場を紹介するのも駄目ですね」
「さらに飲ませる場所へ送ることになるもの。帰れる状態か、同行者か宿が分かるかを夜警と確認する」
ミアの訓練結果には、『一人で解決しようとせず、交代できた』と書いた。
完璧な言葉で相手を鎮めるより、助けを呼べることの方が大切だった。
◇◇◇
実際の酔客が来たのは、その四日後だった。
午前零時を少し過ぎた頃。
今夜のミアは、父の同意と翌朝の休みがある試験勤務で、午前一時まで残っていた。
「酒はないのか!」
男の大声に、入口近くの客が振り返る。
足元は揺れているが、武器へ手は伸びていない。同行者は見当たらない。
「当店では酒類を扱っておりません」
ミアの声は、訓練より少し高かった。
「嘘をつけ。夜の店だろう」
「販売許可がありません。お売りできません」
男が会計台へ一歩近づいた。
ミアは一歩下がり、決めた言葉を出した。
「リリアーナ様、交代をお願いします」
言えた。
私はすぐ「よく言えた」と褒めたくなったが、今はまだ訓練ではない。
「はい。ミアは会計台の奥へ。アンナの指示で、ほかのお客様をご案内して」
「分かりました」
ミアは逃げるようには走らず、けれど迷って残りもしなかった。
その背中が奥へ移ったのを確認してから、私は男へ向き直る。
「はい」
私は男との間へ直接割り込まず、会計台の内側から話した。アンナは他の客へ、奥側の棚を案内する。ロウは警報札に手が届く位置へ立った。
「酒は販売できません。大声を続ける場合、今夜はほかの商品も販売できません」
「仕事で嫌なことがあったんだ。少しくらい――」
「嫌なことがあったのですね。ただ、ほかの方を怖がらせてよい理由にはなりません」
「お前に何が分かる! 上役に失敗を全部押しつけられて、明日から来るなって言われたんだぞ!」
「分かりません。あなたが今日どれほど悔しかったか、私は聞いたばかりです」
追放の日の言葉が、胸の奥でザラリと擦れた。
理不尽に居場所を奪われる悔しさなら、少しは分かる。
だからこそ、その悔しさを別の誰かへぶつけることまで許してはいけない。
「でも、ここにいる方々は、その上役ではありません。ミアも違う。大声を受け止める役にはできません」
共感と許可は違う。
「声を下げ、こちらの椅子で夜警を待つか、今、退店するかを選んでください。一人で帰れる状態か、夜警に確認してもらいます」
男は何か言い返しかけ、店内を見た。
客がこちらを見ている。腕章をつけたハンスは店外巡回中で、男を囲む位置にはいない。
「……水は、もらえるか」
「ご自分で器を持てますか?」
頷きを確認し、常温の水を倒れにくい木椀で出した。無料の特別サービスではなく、安全確保の一部として記録する。
男が椅子へ座ると、私は伝令札で夜警へ連絡した。
数分後、グリムの部下が到着する。宿と同行者を確認し、歩ける状態になるまで詰所で休ませることになった。
「迷惑をかけた」
帰り際、男は小さく言った。
「今夜の販売はお断りします。次に来るときは、酒を飲む前に」
謝罪を受け取ることと、すぐ常連として歓迎することも違う。
◇◇◇
扉が閉まっても、拍手は起きなかった。
客の一人は、「また戻ってこないか」と入口を気にしている。ミアの手は、会計台の下で震えていた。
「怖かった?」
「はい。訓練では、ロウさんが本当に殴るとは思わないから」
「それでも、交代を呼べた」
「自分で落ち着かせられませんでした」
「落ち着かせることが、ミアの責任ではないわ」
「でも、リリアーナ様は話せていました。私は声が高くなって、足も震えて……。もっと堂々とできると思ってたのに、悔しいです」
「私だって怖かったわ。会計台の下で、手のひらが汗でベタベタだった」
「本当ですか?」
「本当。元王女の威厳があれば汗をかかない、なんて便利な身体ではないもの」
私は手を開いて見せた。
「怖くても、交代を呼べた。震えていても、決めた言葉を言えた。それを『何もできなかった』にしないで」
「……はい。でも次は、もっと早く呼びます」
「それでいいの。強くなるって、一人で長く耐えることではないわ」
私は、今夜の対応記録を一緒に書いた。
酒類販売拒否。大声。会計台へ接近。成人へ交代。水を提供。夜警へ連絡。怪我なし。商品破損なし。
改善点もある。
ミアが下がった場所に空箱があり、踵が当たりかけた。会計台の後ろは、いつでも二歩下がれるよう何も置かない。客を奥へ案内するアンナの声が、男の大声で聞こえにくかったため、手信号を追加する。
「私服で店内にいたら、もっと早く止められたかもしれない」
巡回から戻ったハンスが悔しそうに言う。
「あなたが店内にいない状況でも動ける手順が必要なんです。今夜、役割どおり外を見ていたことは失敗ではありません」
安全は、一人の強い人がいつも都合よくいることではない。
いないときにも、残った人が次の人へつなげることだ。
◇◇◇
一か月分の記録を見直した。
一段目の注意が七件。うち五件は一度の声かけで収まった。二段目への移行が二件。夜警連絡は酔客を含め三件。怪我と暴力はゼロ。
これは「トラブル発生率ゼロ」ではない。
小さな問題を記録から消さず、大きくなる前に止められた結果だ。
「苦情も一件あります」
グリムが腕章巡回の記録を出した。
「同じ道で三度声をかけられ、見張られているようで嫌だった、と」
巡回者が善意で道案内を尋ね続けた例だった。
「声をかけるのは、助けを求められたときか、明確な危険があるとき。夜に歩いているだけの人へ、毎回確認しないよう直しましょう」
腕章があれば、行動がすべて正しくなるわけではない。
苦情を出した人には、グリムから謝罪し、記録の削除希望も確認した。
商業ギルドと近隣店から安全研修の相談が来たとき、成功件数だけは渡さなかった。
無償私服警備を考えたこと。未成年へ対応を任せかけたこと。水を出す前に器を持てるか確認したこと。腕章巡回への苦情。
「失敗まで見せるんですか?」
近隣店主が尋ねる。
「判断基準の方が、きれいな完成手順より役に立ちます」
安全な店は、表彰状や最高評価で完成しない。
今夜、誰かが怖かったと口にできること。
止めた判断を責められないこと。
見守る側へも、見守られる側へも、異議を言う場所があること。
私は『防犯レベル2』と書いた最初の紙を裏返し、新しい題を書いた。
『夜の安全は、毎晩つくり直す』
段を一つ上がったのではない。
見落としていた足元を、皆で一つずつ照らせるようになったのだ。
「では最後に、退避の練習をします」
私が声をかけると、ロウがサッと出口を指した。
「リリアーナ様、先にどうぞ!」
「私は客役よ。店員役のあなたが誘導して」
「じゃあ、お客様、走らず急いでください!」
「難しい注文ね!?」
「では、全力でゆっくりお願いします!」
「もっと難しくなったわよ!」
「ロウ、言葉を増やすほど迷わせています」
アンナの冷静な指摘に、店内の笑いがもう一段大きくなった。
笑っていても足は止めない。手順どおり、全員が明るい退避場所へ移動した。
強い店とは、殴り勝つ店ではない。
怖い時にも、次の一歩を身体が覚えている店だ。




