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第29話 冬将軍と停電(的な)

「今夜は、窓まで凍りそうですね」


 午後十時、仕込みを終えたミアが、白く曇る硝子を布で拭いた。


 外では雪が横向きに走り、街道の外灯が一つ先までしか見えない。


「午前零時になったら、ロバートさんに迎えを頼んであるわ。来られなければ、二階で朝まで待ってね」


「歩いて帰るのは駄目ですか?」


「駄目。明るさより、風で道を見失う方が怖いもの」


「でも、父が迎えに来る方が危なくないですか?」


「その場合はロバートさんも二階へ泊めます。荷橇ごと店内へは入れられないけれど」


「そこまで心配しなくても……」


「するわよ! あなたを一人で帰して、朝まで眠れず窓へ張りつくくらいなら、最初から泊まってもらう方が安いもの!」


「心配にも値段があるんですか?」


「私の睡眠時間は、今や希少品よ。かなり高いわ」


 ミアはクスッと笑い、それでも外灯が見えるたび窓へ目を向けていた。


 午前零時、ロバートの荷橇が到着し、ミアは無事に帰った。


 残ったのは、私、アンナ、ロウ。店内にはハンスとベルト、旅人が二人。


 寒さのせいで、おでんと根菜スープがよく出た。ただし、客足が多いことを喜んではいられない。宿へ戻れない人が、灯りを目印に来ている可能性もある。


「外の風、さっきより強くなってるっす」


 午前二時。


 ロウが入口の隙間を確認した、そのときだった。


 低い唸りが途切れた。


 十七の魔道灯が、一斉に消える。


 プツン。


 音は小さかった。


 なのに、世界を丸ごと切り落としたようだった。


「え――」


 誰かの息が止まる。


 私の心臓は、逆にドクン! と大きく跳ねた。


 窓の外の灯りまで吹雪に隠れ、店内が黒く沈んだ。


 誰かが椅子を引く音がした。


「動かないでください!」


 私は声を張った。


「その場で止まって。足元に割れ物や熱い器があるかもしれません。今、予備灯をつけます」


 営業を続けるという言葉は、出さなかった。


 まず、誰も怪我をしないこと。


◇◇◇


 予備の手持ち魔灯は五個。


 以前は倉庫へまとめていたが、防犯訓練後、会計台、厨房入口、二階階段、裏口、待機場所へ一個ずつ分けていた。


 アンナが会計台の灯りをつける。


 私は厨房入口。ロウは二階階段。


 淡い光が三つ灯り、客の輪郭が見えた。


「怪我をした方は?」


 返事を一人ずつ確認する。ハンスの器から汁が少しこぼれたが、膝にはかかっていない。旅人の一人は、暗くなった瞬間に立ちかけ、椅子へ脛を当てていた。腫れや出血はない。


「残り二灯は、すぐ使わないんすか?」


「一つは裏口、一つは待機場所の予備。全部を同じ場所へ集めないで」


 反射板を使えば、限られた光を広げられる。


 ただし、厨房を普段どおり動かせる明るさではない。


「直火の炉は使えます」


 ロウが確認した。


「火を消しましょう。暗い中で鍋を運ばない」


「でも、温かい物を求めて来た人が」


「分かってる! 私だって出したいわ。こんな吹雪の中を来てくださったのよ? せめて温かい一椀くらい、何としても――」


 言葉が勢いよく飛び出し、途中で止まった。


 何としても。


 その「何」に、ロウが暗い厨房で鍋を運ぶ危険を入れようとしていた。


「……ごめんなさい。今のは、店主の意地が先に出た」


「俺も、火が使えるならいけると思いました」


「思うだけなら二人とも同罪ね。だから、決めた手順へ戻る。火を消すわ」


 悔しい。新しい厨房を作ったばかりなのに、十七の灯りが消えた途端、一つも料理を増やせない。


 けれど、悔しさで視界が明るくなるわけではない。


「今ある鍋は蓋をし、安全な場所から動かさない。新しい注文は止める」


 私は客へ説明した。


「照明設備の停止により、調理と新規入店を止めます。包装済みのおにぎり、保存パン、飲み物だけ、明かりのある会計台でお渡しできます。すでに注文済みの温かい料理は代金をいただきません」


「閉めるのか?」


 ベルトが尋ねる。


「安全が確認できなければ、閉めます。ただ、この吹雪で今すぐ外へ出ていただく方が危険です。夜警と相談するまで、席でお待ちください」


 営業は止めても、人を雪へ追い出さない。


◇◇◇


 設備を一つずつ確認した。


 冷却箱は独立した魔石で動いている。温度札は正常な青。扉を開けず、三十分ごとに外側の札だけを見る。


 加熱炉は直火だが消火済み。換気口は雪で塞がっていない。


 店内警報の感知線は生きているものの、外部へ音を送る増幅器が主照明と同じ系統で停止していた。


 伝令札は小型の独立魔石で動いた。


『主照明一斉停止。店内六名、怪我なし。外は吹雪。原因確認と夜警案内を依頼』


 ガンダルフ商会とグリムへ同じ内容を送る。


 ガンダルフからの返事はすぐ来た。


『屋外配線の低温保護作動の可能性。魔石を火へ近づけないこと。吹雪が弱まるまで技師を向かわせない。主遮断器を切り、予備灯で待機を』


「宿まで走って呼んできます」


 ロウが外套へ手を伸ばした。


「伝令は届いている。外へ出ないで」


「でも、俺なら走れます。道も覚えてるっす」


「覚えている道が雪で消えるのが吹雪でしょう!」


「店を早く戻した方が――」


「ロウが戻らなかったら、店どころじゃない!」


 声が裏返った。


 ロウが驚いて、外套を持つ手を止める。


「灯りは直せる。売上も、商品も作り直せる。でも、あなたを予備部品みたいに外へ出すつもりはないわ」


「……分かりました。行きません」


 外套が棚へ戻る音を聞いて、ようやく喉の奥の冷たさが少し引いた。


「でも、早く直さないと」


「店の灯りを直すために、ロウを吹雪へ出すことはしないわ」


 ロウは外套から手を離した。


 以前の私なら、緊急対応も専門家の仕事だと言って、夜中でも来て当然だと思ったかもしれない。


 けれど、店を守るために、別の誰かの安全を軽くしてよいはずがない。


◇◇◇


 グリムからは、巡回を中止し、最寄りの詰所で待機していると返事が来た。


『風が弱まれば二名で向かう。客を単独で帰さないこと』


 店内の温度は、少しずつ下がった。


 直火の調理炉を暖房代わりにはしない。煙と一酸化炭素という言葉はこの世界にないが、換気が不十分な室内で燃やし続ければ人が倒れることは、オルフからも注意されている。


 二階から毛布を運び、客へ一枚ずつ渡した。温かい根菜汁は、停電前に椀へ注いであった二人分だけ、その場で飲んでもらう。大鍋は開けない。


「こんなときまで代金を気にしなくていいぞ」


 ハンスが言った。


「代金より、提供記録が必要なんです。いつ注いだ物を誰が飲んだか、分からなくしないために」


 アンナは暗い会計台で、炭筆を使って時刻を書いた。


 旅人の一人が震えている。


「寒いですか?」


「暗いのが、苦手で」


 私は予備灯を近くへ置きたくなったが、光を動かす前に本人へ尋ねた。


「会計台の灯りを少し向けてもよいですか。出口の明かりは残します」


 頷きを確認し、反射板だけを回す。


「何があっても店は開けると、聞いていました」


 旅人が言う。


 その言葉が、誇らしい約束ではなく重荷に聞こえた。


「ごめんなさい。何があっても通常どおり、とは約束できません」


「嘘だったんですか?」


 責める声ではない。怯えた声だった。


 それでも胸がズキリと痛む。


「そう聞こえる言い方をしていたなら、私の間違いです。私は『どんなときも役に立つ店』でいたかった。でも、役に立つ方法が商品を売ることだけだと思っていました」


「今は違うんですか?」


「今夜は、暗い中で料理を売らないこと、外へ追い出さないこと、助けを呼ぶことが、この店の仕事です」


「それでも、店なんですね」


「ええ。棚が売れなくても、扉と人は残せます」


「閉めるんですか」


「必要なら。でも、閉めるときも、今いる方を安全な場所へつなぐまでは残ります」


 店を続けるとは、商品を売り続けることだけではない。


 売れない夜に、何を残すか決めることでもある。


◇◇◇


 午前三時前、風がわずかに弱まった。


 グリムと衛兵が二人一組で到着する。宿へ戻る旅人は衛兵が案内し、ハンスとベルトは詰所まで同じ組で移動した。


「店に残る方が安全なら、二階で朝を待てます」


 一人の旅人はそう選んだ。


 最後の客を送り出したあと、入口へ『設備停止・臨時閉店。助けが必要な方は鐘を鳴らしてください』と大きく掲示した。外の小さな鐘は機械系統に頼らない。


 主遮断器を落とし、私たち三人も交代で休んだ。


 売上は、予定の半分ほど。温度が保てた包装品は翌日の条件を確認し、温かい料理は廃棄した。


「もったいないっす」


 ロウが、おでんの記録へ廃棄数を書く。


「ええ。悔しいわ」


「おでんだけで十二椀分。スープが八杯分。仕込みに使った骨も、野菜も、ロバートさんたちの作物も……全部、売れない」


 廃棄桶へ移す音が、グチャリと嫌に重い。


「安全のためだから仕方ない、で済ませたくない。仕方なく捨てるとしても、痛いものは痛いのよ。作った人にも、食べられなかった人にも、申し訳ない」


「じゃあ、次は減らせるように記録するっす」


「ええ。悔しさまで、数字に残しましょう」


 損失をきれいな成功話へ塗り替えない。


「でも、怪我人は出なかった。それが最初の欄よ」


 営業記録の一番上へ、全員無事、と書いた。


 炭筆を置いた途端、指が震え始めた。


 暗くなった瞬間には動いていた身体が、客を送り出してから怖さを思い出したらしい。


「リリアーナ様」


 アンナが私の手へ毛布を掛けた。彼女の指先も冷たい。


「私、最初に『営業は継続します』と言いそうになったの」


「聞こえませんでした」


「言う前に止めたから。でも、口の中まで出かかっていた」


 店主として頼もしく見せたかった。暗くても動じない自分でいたかった。


 それ以上に、灯りが消えただけで店を閉めれば、皆が失望すると思った。


「俺も、火が使えるなら料理できるって、すぐ言いました」


 ロウが消えた炉を見た。


「役に立たないといけないって思ったっす。暗いのに鍋を運んだら危ないって、考える前に」


「私も、手順を確認するより、リリアーナ様が決めるのを待っていました」


 アンナが静かに言った。


「皆、同じところで止まりかけたのね」


 責める相手はいなかった。


 だからこそ、次も私一人が正しい判断をする前提にはできない。


「次から、誰でも『新規注文停止』を宣言できるようにしましょう」


「店主の許可なしで?」


「暗闇、火、煙、床への液体、警報停止。決めた条件のどれかが起きたら、最初に気づいた人が止める。再開は二人で確認する」


 ロウは少し考えた。


「俺が止めても、怒りませんか」


「売れるはずだった物が残れば、悔しがるかもしれない。でも、止めた人を怒らないと紙に書くわ」


「本当に? リリアーナ様、売り切れ直前の商品を止めると、すごく悲しい顔するっすよ」


「するわ。たぶん『あと三個だったのにー!』って床へ転がりたくなる」


「転がるのは止めません」


「止めてよ! 店主が床でゴロゴロしていたら衛生問題でしょう!」


「では、清潔な二階でお願いいたします」


「アンナ、許可する方向で整えないで!」


 張りつめていたロウの肩から、少し力が抜けた。


「でも、怒られないなら止められます。売上より危ないと思ったら、俺が言います」


「約束よ。私が悔しそうでも、止めた判断を引っ込めないで」


「悔しがるんですね」


「そこまで立派にはなれないもの」


 三人で、小さく笑った。


 笑えたことで、ようやく呼吸が深くなる。


 アンナは新しい紙へ、停止権限、再開条件、判断した人を不利益に扱わないこと、と書いた。


 危機のとき必要なのは、一人の強い店主ではない。


 怖いままでも、誰かが止められる店だった。


 それを、次の灯りにする。


◇◇◇


 夜明け後、吹雪が収まってからガンダルフと二人の技師が来た。


「呼び出し契約の範囲は、今朝からです。昨夜、無理に来いと言わなかったのは正しい」


 ガンダルフは屋外側の魔力配線箱を開けた。


「冷えで覆いが縮み、接点に霜が入った。異常を感知した保護器が、主照明をまとめて止めたんだ」


「魔石そのものが凍ったのでは?」


「違う。だから火で温めていたら、急な温度差で魔石か接点を割っていた」


 新厨房で設備を増やした際、主配線の負荷は確認した。しかし、この冬の最低温度までは試していなかった。


 屋外箱へ断熱材と湿気を逃がす隙間をつける。主照明を前後二系統に分け、一方が止まっても出口と会計台は残す。伝令札、警報増幅器、非常灯は別の小型魔石へ移す。


 手動遮断器には、大きな形の違う取っ手をつけ、暗闇でも主照明と冷却を取り違えないようにした。


「これで、二度と止まりませんか」


「同じ霜への耐性は上がる。だが、別の故障は起きる」


「そこは『もう安心だ』と言ってくださる場面では?」


「商売のために嘘を言ってほしいのか?」


「言ってほしくはないけれど、少しくらい夢を見せてほしかったです」


「夢なら暖かい布団で見ろ。設備は壊れるものとして備えろ」


「技師の現実、寒波より容赦がない!」


 ガンダルフは笑わず、壊れた覆いをこちらへ見せた。


 その霜を見れば、甘い保証を求める気持ちもスン……と引っ込む。


 ガンダルフは即答した。


「大事なのは、全部が一緒に止まらないことと、止まった場所を早く見つけられることだ」


 私はその言葉を、修理記録の最初へ書いた。


◇◇◇


 営業継続手順は、五段階にした。


 一、命。客とスタッフを止め、怪我、火、煙、避難路を確認する。


 二、連絡。夜警、技師、宿へ、人数と状態を伝える。


 三、食品。冷却、加熱、調理時刻を確認し、分からない物は売らない。


 四、最低限の提供。照明と人員が足りる場合だけ、包装品と必要な案内を行う。


 五、復旧。専門家の許可後に再開し、原因と損失を記録する。


「続ける、が四番目なんですね」


 翌日の訓練に参加したミアが言った。


「ええ。命と連絡と食品の後」


 予備灯は十個へ増やした。ただし、数を増やすだけでは備えにならない。


 五か所へ二個ずつ。毎週一度、点灯と魔石残量を確認する。交換日を札へ書き、担当が休みなら次の人が署名する。


 反射板、毛布、手動の鐘、紙の案内板も同じ場所へまとめる。


 一週間後、照明停止を想定した訓練をした。


 呼びかけから三つの固定灯点灯まで一分半。怪我確認、火の停止、伝令札送信まで四分。最初の訓練では、ロウが裏口灯を会計へ持ってきてしまい、避難路が暗くなった。


「前回うまくできたから、次も完璧ではないのね」


「訓練で間違えてよかったっす」


 位置札を床だけでなく壁にも描いた。


◇◇◇


 近隣三店とも、緊急連絡と予備品の貸し借りを決めた。


 夜明けの星が教える側とは限らない。


 レッドクリフ店には、炉を使わず湯を保つ厚い保温箱がある。別の食堂は、雪で扉が開かないときの裏口除雪手順を持っていた。


「予備灯を十個ずつ買えない店もあります」


 レッドクリフ店主が言う。


「では、共同倉庫へ四個置き、必要な店へゼルドの便で運べるようにしましょう。ただし、吹雪の最中は運ばない」


 設備の一覧、連絡先、貸出条件、返却後の点検を一枚にまとめる。


 寒波は店の結束を深めるために来たのではない。


 怖く、暗く、損失も出た。


 それでも、暗くなったとき誰が何を守るか、私たちは以前より具体的に知っている。


 修理後の夜、灯りを点ける前に、警報増幅器の独立魔石を確認した。


 光が消えても、助けを呼ぶ声まで消えないように。


 次に強くするべき防犯は、警報を大きくすることではなく、人が迷わず動ける仕組みだった。


 主灯を点けると、店内がパッと明るくなる。


 その瞬間、全員がまぶしさに目を細めた。


「明るい……」


 ミアの声が少し震えている。


「ええ。明るいわ」


 失った商品も、怖かった時間も戻らない。


 だから私たちは歓声を上げず、十個の予備灯を一つずつ点けて、次の暗闇に備えた。

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