第3話 廃屋、理想の箱
スノーベル村での三日目の朝。
私は早起きして、今度は物件探しに乗り出すことにした。
「今日は店舗の候補地を探すわよ」
「店舗ですか?」アンナが首をかしげる。
「そう。コンビニを開くなら、まず場所を確保しないと」
前世の経験では、立地こそが商売の成否を決める最重要要素だった。どんなに良い商品があっても、場所が悪ければ客は来ない。
「でも、村にそんな物件があるでしょうか?」
「探してみないとわからないわ。歩いてみましょう」
朝食を済ませて、村の探索に出発した。
◇◇◇
昨日は村の中心部ばかり見て回ったが、今日は外周部を中心に歩いてみることにした。
「立地の条件を整理しましょうか」
私は歩きながらアンナに説明した。
「まず、メインターゲットの衛兵詰所と宿屋からのアクセスが良いこと」
「はい」
「次に、街道に面していて冒険者や商隊からも見つけやすいこと」
「なるほど」
「そして、夜営業するから治安が良い場所。できれば衛兵詰所から見える範囲がいいわね」
前世でも深夜営業のコンビニは防犯対策が重要だった。この世界なら尚更だろう。
「最後に、改装しやすい建物構造であること」
『レイアウトは頭の中にあるから、それに合わせて改装できる物件がいい』
村の中心部から少し外れた通りを歩いていると、気になる建物が目に入った。
「あれは...」
街道沿いに建つ、二階建ての建物。看板は外されているが、元商店だったような雰囲気がある。
「廃業した店のようですね」アンナが呟く。
「ちょっと見てみましょう」
近づいてみると、確かに空き家になっている。窓には板が打ち付けられているが、建物自体はしっかりしている。
「おぉ、これは...立地的にアリかも?」
私は興奮し始めた。
位置的には街道に面していて、衛兵詰所からも宿屋からも徒歩2分程度。しかも角地で視認性も抜群だ。
『これは理想的な立地じゃない!』
「でも、中がどうなっているか...」
アンナが心配そうに呟く。
「大家さんを探して、見学させてもらいましょう」
◇◇◇
近所の人に聞いて回ったところ、この建物の持ち主は村長のガレオさんだということがわかった。
「ガレオ村長、お忙しいところすみません」
村長宅を訪れて事情を説明すると、ガレオさんは快く案内してくれることになった。
「ああ、あの建物ですか。元々は雑貨屋だったんですが、店主が王都に引っ越してしまいまして」
「いつ頃から空いているんですか?」
「もう半年になりますね。借り手を探していたところです」
『半年空き家...家賃交渉もできそう』
現地に到着して、ガレオさんが鍵を開けてくれた。
「さあ、どうぞ」
扉を開けた瞬間、ほこりっぽい匂いが鼻についた。でも建物の損傷は思ったほどひどくない。
「まずは一階から見てみましょう」
足を踏み入れると...
「広さ十分、天井高い、窓も大きい。倉庫もあるじゃない!」
私は思わず声を上げた。
一階の店舗部分は20坪程度。前世のコンビニと比べても遜色ない広さだ。天井も3メートル以上あって開放感がある。
「奥に倉庫スペースもございます」ガレオさんが案内してくれる。
倉庫を見ると、10坪程度の空間があった。
『在庫保管と商品準備スペースとしては十分すぎる』
「二階はどうなっているんですか?」
「住居スペースになっています。店主が住み込みで営業していました」
二階に上がってみると、寝室とリビング、簡単な台所がある。
『店舗併用住宅...これなら夜勤もやりやすい』
私は頭の中で前世のコンビニレイアウトを思い出し始めた。
『入口はここで、レジカウンターはお客さんが入って右手...』
脳内設計が始まる。
『入口にホットスナック、右側に冷蔵、奥に日用品棚...』
前世で毎日見ていた光景が蘇ってくる。商品棚の配置、客動線、レジの位置...すべてが頭の中で組み上がっていく。
「リリアーナ様?」
アンナが心配そうに声をかけてくる。きっと私が一人でブツブツ呟いていたのだろう。
「あ、ごめんなさい。レイアウトを考えていたの」
「レイアウト?」
「お店の中身の配置よ。どこに何を置くかの設計図」
ガレオさんも興味深そうに聞いている。
「商売をされるおつもりですか?」
「ええ、夜営業のお店を考えています」
「夜営業?」ガレオさんが驚く。「珍しいですね」
「衛兵の方や冒険者の方が夜中にお腹を空かせているのを見て、何かお役に立てればと」
『まだ詳しい話は早いけど、反応を見ておこう』
「なるほど...確かに夜勤の方は大変そうですからね」
ガレオさんが頷いてくれた。とりあえず否定的ではないようだ。
「この物件、お借りできるでしょうか?」
「もちろんです。使ってくださる方がいれば、こちらも助かります」
『よし、物件確保!』
◇◇◇
家賃や契約条件を簡単に相談して、ガレオさんには一度持ち帰って検討してもらうことになった。
「それでは、もう少し建物を見学させてください」
「どうぞ、ごゆっくり」
ガレオさんが帰った後、私はもう一度建物をじっくりと観察した。
「アンナ、この建物どう思う?」
「立地は確かに良いですね。街道に面していますし、人通りもありそうです」
「でしょう?それに衛兵詰所からも宿屋からも近い」
私は再び頭の中でレイアウトを組み立て始めた。
『入口を入って正面にレジカウンター。お客さんの導線を考えると...』
前世の記憶がどんどん蘇ってくる。
『左側に雑誌とお菓子。右側に飲み物の冷蔵ケース。奥に日用品とパンのコーナー』
『ホットスナックは入口近くに。いい匂いで客を引きつける』
『おにぎりとお弁当も冷蔵ケース。種類豊富に見せるのがコツ』
アンナが不思議そうに見ている。
「リリアーナ様、またブツブツと...」
「あ、ごめん。つい夢中になっちゃって」
その時、屋根裏の方からかすかな音が聞こえた。
「何かいるのかしら?」
二階に上がって音の方向を探っていると...
「にゃーん」
小さな鳴き声が聞こえた。
「猫?」
声の方を見上げると、屋根裏への入口から小さな顔がひょっこりと出ていた。
茶色と白のまだら模様の猫だった。やせっぽちで、野良猫のようだ。
「あら、先住民がいたのね」
私は微笑んで猫に手を差し伸べた。
「こんにちは。ここに住んでいるの?」
「にゃーん」
猫は警戒しながらも、ゆっくりと降りてきた。
「お腹空いてるのかしら?」
猫は確かに痩せている。しばらく満足に食べていないのかもしれない。
「アンナ、何か食べ物ある?」
「えーっと...お昼用のパンが少し」
「それを分けてあげましょう」
パンをちぎって猫の前に置くと、がつがつと食べ始めた。
「よほどお腹が空いていたのね」
食べ終わった猫は、今度は私の足にすり寄ってきた。
「人懐っこい子ね」
頭を撫でてあげると、気持ちよさそうに目を細める。
「君も店員候補?」
冗談で聞いてみると、猫は「にゃーん」と返事をした。
『看板猫...悪くないかも』
前世でも、猫がいるコンビニは客に人気があった。癒し効果というやつだろう。
「よし、君も仲間ね」
猫は満足そうに私の膝の上で丸くなった。
◇◇◇
猫と戯れていると、外から子供たちの声が聞こえてきた。
「あの廃屋に誰かいる」
「王女様じゃない?」
窓から外を覗くと、村の子供たちが建物の前で好奇心いっぱいの表情をしている。
「お疲れ様」私は窓から手を振った。
「王女様、こんにちは!」
子供たちが元気よく挨拶してくれる。
「ここで何してるの?」
一人の男の子が質問してきた。
「お店を開こうと思って、見学してるの」
「お店?」
子供たちの目が輝いた。
「どんなお店?」
「夜でも開いてる、便利なお店よ」
「夜でも?すごーい!」
子供たちが興奮している。純粋な反応が嬉しい。
「お菓子も売るの?」
「もちろん!美味しいお菓子をたくさん置く予定よ」
『子供も大切な客層ね。お小遣いで買えるお菓子は必須』
「いつ開くの?」
「まだ準備中だけど、頑張って早く開けるようにするわ」
子供たちとの会話で、地域に受け入れられる手応えを感じた。
『村の人たちも興味を持ってくれてる』
◇◇◇
午後になって、改めて建物の隅々まで調べてみた。
構造的な問題は特にない。水道も通っているし、電気...じゃなくて、この世界では魔道具での照明になるが、それも配線できそうだ。
「改装すれば十分使えるわね」
私は最終的な判断を下した。
「この物件に決めましょう」
「本当によろしいんですか?」アンナが確認してくる。
「ええ。立地、広さ、構造、すべて理想的よ」
私は建物の中央に立って、改めて全体を見渡した。
頭の中では既に完成形が見えている。
明るい照明に照らされた店内。整然と並んだ商品棚。レジカウンターで笑顔で接客する自分。
そして何より、夜中にやってきた衛兵や冒険者が、温かい食べ物を手にして満足そうに帰っていく光景。
『よし、ここに決めた!世界初のコンビニ、開店よ!』
私は心の中で宣言した。
膝の上の猫も「にゃーん」と賛同してくれたような気がする。
「君も一緒に頑張ろうね」
猫の頭を撫でながら、私は未来への期待に胸を躍らせた。
◇◇◇
夕方、家に戻ってから具体的な計画を立て始めた。
「まず、ガレオ村長と正式に契約を結んで」
私は紙にメモを取りながら整理していく。
「次に改装業者を探して、内装工事を依頼」
「それと並行して、商品の仕入れルートを確保」
「スタッフの募集と研修」
「営業許可の申請」
やることがたくさんある。でも一つ一つクリアしていけば、必ず実現できる。
「アンナ、明日からさらに忙しくなるわよ」
「はい!私も頑張ります」
アンナの目にも決意が宿っている。
「それにしても」私は窓の外を見た。「あの猫、大丈夫かしら?」
廃屋に一匹で住んでいる猫のことが気になっていた。
「明日、また食べ物を持っていきましょう」
「そうですね。可愛らしい猫でしたし」
『看板猫として正式に雇用するかも』
私は微笑んだ。
王女時代には考えられなかった、自由で創造的な日々。
確かに追放は屈辱的だったけれど、今は心から感謝している。
あのまま王宮にいたら、こんな充実した毎日は送れなかっただろう。
『ローラン殿下、本当にありがとう』
皮肉ではなく、心からそう思った。
そして同時に、見返してやりたい気持ちも燃え上がる。
『「中途半端で役立たず」だった王女が、世界を変える店を作ってみせる』
私は拳を握りしめた。
『便利という名の革命を、この手で起こしてやる!』
明日からは本格的な準備が始まる。
夢への第一歩を踏み出すための、大切な一日になるだろう。
追放された王女は、理想の物件を見つけて確信を深めていた。
そして小さな野良猫が、この大きな挑戦の最初の仲間になったのだった。
『にゃーん』
遠くから猫の鳴き声が聞こえたような気がして、私は窓の方を振り返った。
きっと明日も、あの子は廃屋で待っている。
私たちの帰りを。