第22話 商品開発2:肉まん、さらなる進化への道
「売り切れた商品を、なぜ改良するんすか?」
ロウは心底分からない、という顔で空の蒸し器と私を見比べた。
「売り切れですよ? 全部ですよ? 棚がスッカラカンになるほど売れたんすよ? 普通ここは『やったー!』って踊るところじゃないんすか?」
「私だって踊りたいわよ。できることなら売上帳を抱えて広場を三周したいわ!」
「やめてくださいませ。翌朝には『元王女、帳簿を抱いて奇行』という噂が隣村まで届きます」
「アンナ、想像が具体的すぎない?」
閉店後の厨房で、ロウがもっともな質問をした。
蒸し器は空だ。肉まんは今夜も予定数を売り切り、帳簿だけを見れば困っていることなど何もない。
「売れたことと、困り事がないことは別だからよ」
私は紙を三枚、作業台へ並べた。
一枚目には『冷めると皮が固い』。
二枚目には『餡の汁が熱く、急いで食べた客が口を驚かせた』。
三枚目には『毎回同じ味なので、別の香りも選びたい』。
どれも、ミアが客との会話から拾い、本人の許可を得て名前を伏せて記録した声だ。
「売り切れたのに、不満もあるんですね」
「好きだからこそ、もっとこうならと言えることもあるわ」
そう答えたものの、私の中には別の声もあった。
おにぎりが成功した。次も成功させなければならない。新しい物を出し続けなければ、皆に飽きられ、せっかく得た居場所を失う。
私は『改良』と大きく書き、その不安を紙の下へ押し込めようとした。
「では、皮をもっと甘くして、白くして、餡の肉汁を増やして、珍しい香辛料も――」
「リリアーナ様」
アンナの声が、私の言葉を止めた。
「三つのご意見を直すために、それらすべてが必要なのでしょうか」
「試してみなければ分からないわ」
「どこまで試せば、終わりですか」
答えられなかった。
胸の奥で、何かがギクリと身を縮める。
『終わり? そんなの、皆が私を必要だと言い続けてくれるまで――』
浮かんだ答えに、自分でゾッとした。
それでは終わりなど来ない。皆の「必要」を確かめるために、新商品を作り、働かせ、疲れさせ、それでもまだ不安だと次を求める。
そんな店主、面倒くさすぎる。いや、面倒で済めばまだいい。立派な暴走機関車だ。
前世の商品は、季節ごとに改良されていた。皮の配合、餡の量、包装。昨日より少しよくすることは正しい。
けれど、終わりのない改善を毎晩の労働へ載せれば、誰かが眠る時間を失う。
「私、止まるのが怖いのかもしれない」
口に出すと、蒸し器から落ちた水滴の音がやけに大きく聞こえた。
「次々に成功しなければ、ここにいる価値がなくなる気がするの」
「肉まんが昨日と同じ味だったら、『もうリリアーナはいらない』って思われるんじゃないかって。そんなわけないと頭では分かっているのに……追放されたときの言葉が、まだしつこく残っているのよ。失敗したらほら見ろと笑われる。止まったら役立たずに戻る。だから、何かしていないと落ち着かないの」
口にしてしまえば、ひどく格好悪い。
私は皆を導く店主でいたいのに、実際は空の蒸し器一つに怯えている。
ミアはすぐ慰めず、三枚の紙を順に見た。
「でも、私は新商品がない日もここで働きたいです。ハンスさんだって、いつものスープを飲みに来ます」
「俺は、今の肉まんも好きっす」
ロウが続ける。
「ただ、急いでかじると本当に熱いっす。冒険中なら吐き出して、地面に落としてたと思います」
「それに、リリアーナ様が新商品を作らない日があっても、私は辞めません」
ミアが少し怒ったように眉を寄せた。
「勝手に私たちの気持ちまで決めないでください。『新しい物がないから、もういらない』なんて、私は一度も言ってません。言ってないことで置いていかれるのは……悔しいです」
「ミア……」
「でも、皮が固いのは直してほしいです。父が冷めた肉まんを食べて、『顎を鍛える料理か』って言っていたので」
涙ぐみそうだった心へ、父親の顎が突入してきた。
ズルい。この子は時々、本人も意図せず最高の着地をする。
「それは改善した方がいいわね」
「はい。でも、世界一うまくするためじゃなく、落とさず食べられるようにするためっす」
ロウの言葉は、不器用なほどまっすぐだった。
私は新しい紙を一枚出した。
「目的を決めましょう。冷めても固くなりにくい皮。肉汁は残すけれど、安全に食べられる量と温度。香りは、好みで選べる二種類。試作は五日間。判断できなければ、今の肉まんを残す」
「それなら、勤務表も組めます」
アンナが頷いた。
改善は、焦りに名前をつけて走り続けることではない。
何をよくしたいか決め、終える場所も皆で選ぶことだ。
◇◇◇
最初は皮から試した。
蜂蜜を増やした生地は、蒸し上がる前から表面がべたついた。甘い香りはよいが、紙へ張りつき、割ると中が詰まっている。
「甘いパンとしては、ありかもしれません」
ミアは正直に評価した。
「肉まんの皮としては?」
「餡より皮の味が勝っています」
「俺は好きっす」
ロウが二個目へ手を伸ばす。
「ロウの『好き』と、商品としての『採用』は分けましょう」
「でも、甘くて、もちっとして、腹にたまるっす。三拍子そろってます」
「紙から剥がれなくて、お客様が包みごとかじる四拍子目もそろっているわ」
「それは困るっすね」
「今、やっと気づいたの!?」
アンナに止められ、ロウは名残惜しそうに手を引いた。
次に、水の一部を牛乳へ替えた。
蒸し上がりは、前よりやわらかい。白くするためではない。黄色みのある村の小麦はそのままだが、口に含むと、かすかな甘みとしっとりした感触が残る。
「冷めてからが本番ね」
一時間後、二時間後に同じ厚さへ切り、指で弾力を比べる。全量を牛乳にすると重く、半量ではやわらかさが残った。
ただし、アンナは原価表を差し出した。
「牛乳は毎日同じ量を買えるとは限りません。仔牛へ回す分と、村の家庭向けが先です」
酪農家へ相談すると、夕方に余る量は季節で変わり、冬は減るという。
「店が高値を出すからと、家庭分までこちらへ回さないでください」
「では、毎日十六個分までなら確約できます。それ以上は前日に相談を」
「十分です」
牛乳入りをすべての肉まんへ広げず、まず一日十六個。乳成分を使っていることを値札と包みへ書く。乳を口にすると腹の具合を悪くする客には、従来の水だけで練った皮も少数残す。
「二種類の皮を仕込むと、手間が増えます」
アンナの指摘に、私は工程を測った。
水練りは、牛乳が届かない日にも使える基本生地として一回分をまとめる。牛乳入りは限定数だけ。作業台と器を分け、取り違えないよう白と青の札を置く。
よくするための工夫が、厨房を混乱させてはいけない。
◇◇◇
餡の改良には、肉屋が分けてくれた骨と皮を使った。
「これを長く煮て、冷やすと固まる汁を作ります」
「煮こごりですね」
ミアが言った。
「知っているの?」
「父が冬に骨付き肉を煮た翌朝、鍋の底で固まっています。温めるとまた汁になるんです」
また一つ、前世だけの発明だと思いかけていた。
「そう。その煮こごりを小さく切って餡へ混ぜれば、蒸したときに汁へ戻る」
骨と皮は、血や汚れを洗い、十分に沸かした湯で下処理する。新しい水で何時間も煮て、濾した後は浅い金属容器へ移す。湯気が落ち着いたら冷却板の上で速やかに冷まし、冷却箱へ入れた。
「大鍋のまま放置すると、中心がぬるい時間が長くなります」
アンナが時刻を記す。
固まった煮こごりを角切りにし、餡へ混ぜる。
一回目は欲張りすぎた。
蒸している途中で皮の綴じ目が開き、肉汁が蒸し器の底へ流れた。
「香りは最高っす」
「商品は空っぽだけれどね」
蒸し器の底には、肉汁の池がキラキラ輝いている。
『わあ、きれい――じゃない! 私たちの利益と旨味が仲良く流出してる!』
「これ、すくって飲んだら駄目っすか?」
「駄目。火の通りが確認できない肉汁よ」
「見つめるだけにします」
「そんな捨てられた子犬みたいな目で見ても駄目なものは駄目!」
二回目は量を半分にした。皮は保ったが、ロウが熱いうちにかじると、汁が指へ垂れた。
「熱っ」
ロウがビクン! と肩を跳ねさせ、肉まんを取り落としかけた。
「水! アンナ、水を!」
「ここにございます。ロウ、口をすすいで。指はこちらへ」
「だ、大丈夫っす。ちょっと驚いただけで――」
「驚いただけ、で済ませない! 私が食べてと言った試作品でしょう!」
胸がドクドク鳴る。
おいしさを増やすことに夢中で、そのおいしさが誰かを傷つける可能性を、私は一瞬忘れていた。
すぐ水で冷やし、赤みがないことを確認する。
「ごめんなさい。試食だからって、提供直後の温度を決めていなかった」
「俺も急いで食べました。でも、お客さんも同じことをするっす」
肉汁をさらに減らす案に、ミアが首を振った。
「少なくするだけでなく、蒸した後に少し待ってから売るのはどうですか?」
蒸し上がり直後、三分後、五分後で温度と皮の状態を確かめる。五分置けば湯気は保ちつつ、かじった瞬間に汁が飛ぶ危険は減った。
蒸し器には上段と下段があり、火の通り方も違う。各段から一個ずつ割り、中心まで火が通る標準時間を決める。時刻札を置き、途中で生の餡を追加しない。
「売るときは『中の汁が熱いので、まず半分に割るか、小さくかじってください』と伝えましょう」
紙包みにも、湯気の印を描く。
肉汁は多いほど豪華なのではない。
皮の中に留まり、食べる人が安全に味わえる量が、ちょうどよい量だ。
◇◇◇
三つ目は香りだった。
ゼルドが少量ずつ用意したのは、桂皮に似た甘い樹皮、山椒に似て舌へ刺激を残す実、爽やかな香りの種、乾燥した花蕾。
「全部入れれば、異国らしくなるかしら」
「異国のどこでしょう」
アンナに聞かれ、私は粉を持つ手を止めた。
前世で覚えた香りへ近づけたいだけで、この世界のどの国の味かは知らない。知らない文化を、便利な飾りとして『異国』と呼ぶのは雑だった。
「名前の分からない異国風、とは売らない。使った物を、そのまま書きましょう」
四種を等量入れた一回目は、口へ運ぶ前から香りが強かった。
「肉の味が行方不明っす」
「舌が少し痺れます」
ミアは水を飲んだ。
「これは不採用」
二回目は甘い樹皮と爽やかな種だけ。食べやすいが、香りが皮にも移り、普通の肉まんを望む客には強い。
三回目は、山椒に似た実をほんの少し加えた。
「私は二回目が好きです」
「俺は三回目っす。後から少し舌が熱くなるのがいい」
「私は、どちらも毎日は要りません」
アンナの評価に、全員が笑った。
香り肉まんは一種類へ固定せず、週ごとに小さく変える限定品とする。ただし使う原料は札へすべて書き、刺激が苦手な人や子どもには基本のまろやか肉まんを勧める。
珍しさは、説明を省いてよい理由にはならない。
◇◇◇
五日目の夜、試験販売を始めた。
基本のまろやか肉まんは牛乳入りの皮と、決めた量の煮こごり餡。香り肉まんはその半数だけ。従来の水練り皮も、乳成分を避ける人向けに四個用意した。
材料と工程が増えたため、基本と香り入りは従来より二銅貨高い。水練りは価格を据え置く。
「値上げしたのか」
ディランが値札を見た。
「牛乳と煮こごりの仕込み、香辛料の分です。以前の皮がよい方には、こちらも残しています」
「全部、高い方へ替えなかったんだな」
「新しい方が全員にとって上とは限りませんから」
ディランは基本を一つ買い、包みの湯気印を見た。
「中が熱いので、最初は小さくかじってください」
「冒険者に食べ方まで教えるのか?」
「冒険者でも口の中は火に弱いでしょう」
笑いながら一口食べ、今度は急がず噛む。
「皮がやわらかい。餡の汁も前より残ってる。でも、服へ垂れるほどじゃない」
「冷めた後も試していただけますか?」
「一個を目の前に置いて待てって? 難しい依頼だな」
結局、二個目を買って持ち帰ってくれた。
ベルトは香り肉まんを選んだが、一口目で眉を寄せた。
「俺は普通の方が好きだ。甘い香りが、肉の邪魔に感じる」
「うっ……」
分かっている。好みは分かれると、自分で決めたではないか。
それでも五日かけた品を一口で「普通の方」と言われると、心の中の小さな私が床へ突っ伏した。
『限定品よ!? 珍しい香辛料よ!? もう一口くらい悩んでくれてもよくない!?』
しかし、顔へ出したら客が気を遣う。
「次は基本をお勧めします。無理に褒めなくて大丈夫です」
「怒ったか?」
「正直に言えば、少し悔しいです。でも、合わない味を売り続ける方がもっと悔しいので、教えていただけて助かります」
「そうか。じゃあ正直ついでに言うと、皮はこっちの方が好きだ。中身だけ普通にできないか?」
「できます! その意見、いただきます!」
突っ伏していた心の中の私が、ガバッと起き上がった。
一方、旅の薬売りは香り肉まんを気に入り、使った樹皮の産地まで尋ねた。
好みはきれいに分かれた。
午前四時、基本は残り一個、香り入りは二個、水練りは一個。どれも売り切れではない。
「失敗ですか?」
ロウが棚を見る。
「販売期限内で、明日の仕込み数を直せる程度の残りよ。客の感想も取れた。試験としては成功」
残った商品は時刻を確認し、まかないへ回す物と廃棄する物を分けた。
一週間後、基本は一晩十二個、香り入りは四個、水練りは予約を中心にする数へ落ち着いた。値上げで販売数は少し減ったが、材料費と追加作業を払った後の利益は守れている。
冷めた皮への不満は減り、熱い汁への注意も、注文時に店員から一言伝えることで事故なく続いた。
もう一つ、勤務表も比べた。煮こごりを作る日は作業が増えるため、肉屋の下処理済み骨を使い、週二回まとめて仕込む。香り入りを四個に絞ったことで、器具を洗い分けても休憩時間は以前と同じだけ確保できた。
「おいしくなっても、誰かの休みが消えたら成功ではないものね」
私が言うと、アンナはようやく集計表へ丸をつけた。
「改良、大成功ですね!」
集計したミアが言う。
「ええ。ただし、『今の目的には』成功よ」
「またすぐ改良するんすか?」
ロウが身構えた。
「期限は決めたでしょう。少なくとも次の一か月は、今の配合を守って記録します」
三人が、そろって安堵した顔をした。
「そんなに不安だったの?」
「リリアーナ様、思いつくと夜明けまで止まりませんから」
ミアに言われ、反省するしかなかった。
◇◇◇
片づけの途中、煮こごりを取った後の骨と、形を整えた野菜の端が目に留まった。
骨から取った汁は餡へ使ったが、香味野菜と合わせれば、もっと澄んだ味も作れそうだ。
窓の外では、最初の雪が細く舞っている。
「寒くなりましたね」
アンナが入口の隙間風を確かめた。
「肉まんは手を温める。でも、食べ終えたらすぐ冷めるっす」
ロウの言葉に、大鍋の景色が浮かんだ。
根菜、卵、魚の団子。温かい汁の中から、好きな物を選ぶ料理。
「長い夜の途中で、ゆっくり体を温められる物が必要ね」
「また思いついた顔をしてます」
ミアが笑う。
「今度は、先に目的を決めるわ。寒い夜に、温かさが長く残る一椀」
私は試作表を開き、最初の行へ書いた。
大鍋で、いろいろな具を、だしと一緒に煮る。
肉まんの改良で残った骨の香りが、次の料理への入口になった。
「大鍋なら、根菜も卵も魚団子も――」
「目的は?」
アンナがすかさず尋ねる。
「寒い夜に、長く温まること」
「試作期限は?」
ミアが続ける。
「三日。いえ、安全確認を含めて五日」
「原価の上限は?」
ロウまで参加した。
「ちょっと待って。皆、改善会議が上手くなりすぎてない?」
「リリアーナ様が鍛えました」
逃げ道なし。実に頼もしい。
グツグツ煮える未来の鍋を思いながら、私はまず原価欄から書き始めた。




