第21話 商品開発1:おにぎり革命
「おにぎりを、もう一度作り直しましょう」
私がそう宣言した翌日の午後。
会計台の前には、売れ残りではなく、失敗した包みが並んでいた。
一つは、具が端へ寄って割れたもの。一つは、米を固く握りすぎたもの。もう一つは、包み紙の内側へ米粒が張りつき、開いた瞬間に形が崩れたものだ。
「食べ物を粗末にしているみたいで、少し悲しいですね」
ミアが割れたおにぎりを見つめる。
「全部、私たちのまかないにするわ。失敗の理由も、食べれば分かる」
「つまり、失敗すればするほど、まかないが増えるんすね」
「ロウ。今、ものすごく悪い顔をしたわね?」
「してないっす。商品開発への情熱に満ちた顔っす」
「その情熱、どうしてお腹の辺りから湧いているのかしら」
ロウはサッと視線をそらした。分かりやすい。あまりにも分かりやすい。
『試食係という天職を見つけた顔ね。採用面接のときより目が輝いてるじゃない!』
ロウは早速、崩れた一つを手に取った。
「味はうまいっす」
「二口目までに、袖へ具が落ちなければね」
「あ」
肉そぼろが一かけ、ロウの手首へ落ちた。
午前四時前の客は急いでいる。
夜勤を終えた人は眠る前に腹を満たしたい。早立ちの荷運び人は、馬車を待たせている。温かいスープを飲む時間がない人にも、片手で持ち、歩きながらではなく休憩場所で素早く食べられる物が必要だった。
今のおにぎりも売れている。
だからこそ、「売れているから完成」と思わない方がいい。
「まず、理想を聞かせて。ロウにとって、よいおにぎりとは?」
ロウは腕を組み、珍しく長く考えた。
「大きくて、腹にたまる。荷袋の中で潰れない。あと、冷めても味がぼやけない物っす」
「冒険中に困ったことがあるの?」
「あります。急いで握った飯を布に包んだら、昼には盾みたいに平たくなってました」
「形が変わっても食べられたでしょう」
「汁気のある具が、替えの靴下まで染みてました」
ミアが吹き出した。
「それは嫌ですね」
「すごく嫌だったっす」
私は紙へ『汁漏れ』『押されても崩れない』『量』と書く。
「ミアは?」
「私は、お祭りの日みたいな、少し特別な味が好きです」
「毎朝食べる物なのに?」
「毎朝だからです。仕事へ行く前に一つ楽しみがあったら、今日は頑張ろうって思えるでしょう?」
ミアは少し照れたように笑う。
「父も、畑へ出る朝は黙っていることが多いんです。疲れている日は特に。でも、お祭りの残りを朝に出すと、『今日は少し得したな』って笑うんですよ。たった一口でも、そういう朝になったらいいなって」
手軽さと栄養ばかり考えていた筆が止まる。
売上を伸ばしたい。成功したい。私を捨てた王都へ、見たかと叫びたい。
その気持ちは、まだ胸の中でメラメラ燃えている。
けれど、数字だけを追いかけていたら、ミアが今話してくれた『父親の朝』を、私は簡単に見落とす。
『危ない危ない。店主の目が銅貨の形になるところだったわ』
早く食べられるだけでは、便利な保存食にすぎない。
忙しい日にこそ、小さな楽しみがいる。
「なるほど。では、朝を少し特別にする味も探しましょう」
「リリアーナ様は、どんな味がよいと思います?」
前世の棚が脳裏に浮かんだ。
梅、鮭、肉味噌。色とりどりの包みが、通勤前の人々へ短い選択の時間を渡していた。
「酸味のある塩漬け、燻した魚、甘辛く煮た肉」
「もう三つも出たっす」
「でも、この土地で作れなければ絵空事よ。市場で相談しましょう」
◇◇◇
市場の果物屋で見せてもらったのは、親指の先ほどの赤い実だった。
「ルビーベリーだよ。生では口が曲がるほど酸っぱい」
店主が一粒を割ると、青い香りが立った。
「塩漬けにできますか?」
「昔からするよ。冬前に余った実を樽へ入れる。ただ、種は砕くと苦い。浅漬けは水が出やすいから、売り物にするなら分けて扱った方がいい」
私は危うく、前世の梅干しと同じ手順を説明するところだった。
似ていても、同じ植物ではない。
「教えていただけますか。代金もお支払いします」
「王女様に田舎の保存食を教えるのかい?」
「今は店主です。知らないことを教わらずに作る方が、よほど恥ずかしいわ」
店主は目を細め、塩の量と漬ける日数を紙へ書いてくれた。
魚屋には、川魚の燻製を相談した。
「おにぎりの中へ入れるなら、小骨を残すなよ」
「もちろんです」
「燻しただけで長持ちすると思うな。身の厚さで水分が違う。作った日を札に書き、冷やして運ぶんだ」
魚屋は、脂の多い魚と少ない魚を一本ずつ見せた。
脂の多い方は香りが豊かだが、冷めると重い。少ない方はほぐしやすいが、乾きやすい。試作には両方必要だった。
肉屋では、イノシシの挽肉を味噌と煮る案を話す。
「汁を飛ばせば包みやすい。でも、やりすぎれば固くなるぞ」
「蜂蜜を少し入れたいの」
「毎日同じ量は用意できない。狩りの成果次第だ」
「なら、数量限定にします。無理に仕入れを増やしません」
商品を思いつくのは一瞬だ。
同じ味を安全に、続けられる量で作るには、多くの人の技術がいる。
私は三人の名と、教わったことを試作表の一番上へ書いた。
◇◇◇
三日後、最初の試食会を開いた。
ルビーベリーの塩漬けは、実を丸ごと入れると一口目が酸っぱく、反対側は白い米だけになった。刻んで混ぜると全体が赤く染まり、今度はどこを食べても酸っぱすぎる。
「目が覚める味っす!」
ロウは涙目で言った。
「おいしいとは言っていないわね」
「嘘はよくないって教わったんで」
「その誠実さ、今だけ少し腹立たしいわね……!」
私も一口食べた。
「すッッッぱ!」
頬の内側が一斉に縮み、目が勝手に閉じる。酸味が舌から頭のてっぺんまで、ズギュン! と駆け上がった。
「リリアーナ様、すごい顔です」
「どんな顔?」
「王宮の肖像画には、絶対に残らない顔っす」
「そこまで!?」
悔しいので、ロウにも二口目を渡した。
塩漬けを細かく叩き、種を除き、一個分の中心へ薄く広げる。三回目で、米の甘みを消さない量が見つかった。
川魚は、脂の多い身を大きく入れると、冷めたときの香りが強すぎた。脂の少ない魚を細かくほぐし、少量の香草と合わせた方が食べやすい。
ただし、ミアは首をかしげた。
「私は、最初の方が魚を食べた感じがして好きです」
「僕は二つ目っす」
「好みが分かれるのね」
正解を一つに決めず、初回は二種類を少数ずつ客へ試してもらうことにした。
肉味噌は、味より先に形で失敗した。
蜂蜜を増やした餡が、温かい米の隙間から染み出し、包み紙を茶色く濡らしたのだ。
「俺の靴下と同じっす」
「商品開発の基準に、靴下を使わないで」
「でも、あの惨事を知ってる俺には分かるんす。これは荷袋の中で絶対にやらかす味噌っす」
「味噌がやらかすのではなく、水分を残した私たちがやらかしたのよ」
「責任感のある言い方をしても、茶色い染みは消えませんね」
ミアの冷静な一撃が刺さった。
『ぐぬぬ。商品開発、楽しいだけじゃない。失敗が見た目で全力の自己主張をしてくる!』
アンナが鍋を見て言う。
「味を足すより、水分を量るべきではございませんか」
火にかける時間と、冷ました後の重さを記録する。肉を細かくしすぎず、汁が流れないところまで煮詰める。蜂蜜は香りを感じる最低限にした。
四回目の餡は、米の中央に留まった。
ロウが半分に割る。
「肉っす。ちゃんと肉を食べてる感じがする」
「お祭りの串焼きみたいです」
ミアの言葉に、私は笑った。
「朝を少し特別にする味、見つかったわね」
◇◇◇
味が決まっても、まだ完成ではなかった。
内陸のスノーベル村では、前世のおにぎりを包んでいた海藻は簡単に手に入らない。
「紙を厚くしますか?」
「押されたときの補強にはなる。でも食べるとき、米が紙へ張りつくのよね」
ミアが少し考え、戸棚から緑色の葉を一枚出した。
「収穫祭で、蒸した穀物を包む香草葉はどうでしょう」
手のひらより大きく、縁がぎざぎざしている。
「どこで採れるの?」
「奥山です。父なら生える場所を知っています」
「すぐ採りに行きましょう」
言った途端、アンナが咳払いをした。
「名前も分からない野草を、店の商品へ使われるおつもりですか」
「……まず、分かる人に確認しましょう」
翌日、ロバートと、祭りの料理を長年担当してきた女性に同行してもらった。
よく似た葉が二種類ある。一方は食用だが、もう一方は煮ても舌が痺れるという。葉裏の白い毛と、茎の香りで見分けるのだと教わった。
「子どもの頃から知っていますけど、店で使うなら私一人の記憶では足りませんね」
ミアが真剣な顔で採取場所を地図へ記す。
「ミアの案がなければ、ここへは来なかった。でも、よい案を安全な商品にするには確認がいる。その両方が大事ね」
採り尽くさないよう、育った葉の三分の一だけを摘む。生のまま使わず、井戸水で一枚ずつ洗い、短く蒸し、薄い塩水へ通す。水気を切った後は冷却箱へ入れ、仕込み日を記した。
処理の違う葉で包んだおにぎりを二時間ごとに確認する。
生葉は香りが強すぎ、米に苦みが移った。長く蒸すと破れやすい。短く蒸して塩水へ通した葉は、ほどよい香りを残し、米粒も張りつきにくい。
「海藻の代わりではなく、この村のおにぎりの味ね」
私が言うと、ミアは嬉しそうに葉を撫でた。
「私、この葉は田舎っぽいと思っていました」
「どうして?」
「王都から来たリリアーナ様なら、もっと立派な包みを知っているでしょう。だから言っても笑われるかもしれないって」
ミアは笑おうとしたが、指先は葉の縁を何度もなぞっていた。
「採用されなかったら、それは仕方ないです。でも、『そんな田舎の葉っぱ』って言われたら……ちょっと、悔しいなって」
胸が痛んだ。
追放されてから、私は『辺境だから』『田舎だから』と見下す言葉へ腹を立ててきた。
なのに、自分の知識を正解らしく掲げることで、ミアへ同じ怖さを味わわせていたのかもしれない。
私は前世の形に近づけることばかり考え、ミアの目には、王都から答えを持ってきた人に見えていたのだ。
「私の知っている形は、出発点の一つよ。ここで暮らしてきたミアの知識がなければ、スノーベルの答えにはならない」
「本当に、田舎っぽいって笑いませんか?」
「笑わないわ。むしろ悔しい。私は昨日まで、この便利な葉を知らなかったもの。王都の知識だけで何でもできると思ったら、大間違いだった」
「リリアーナ様でも、悔しいんですね」
「悔しいわよ! でも、知らなかったと認めた方が、知ったふりをしておにぎりをベチャベチャにするより格好いいでしょう?」
「はい。ベチャベチャより、ずっと」
比較対象が少々ひどいが、ミアはようやく声を立てて笑った。
「じゃあ、この葉を提案したこと、商品札へ書いてもいいですか?」
「もちろん。採り方を教えてくれた二人の名もね」
ミアの笑顔は、試作品が成功したときより誇らしげだった。
◇◇◇
次は、持ち運びと保存の試験だった。
ロウが布袋へ試作品を入れ、木片、空の水筒、丸めた外套と一緒に背負う。
「冒険者の荷物としては軽いっす」
店の周囲を歩き、早足になり、階段を上り下りする。戻って包みを開くと、一個は三角の先が崩れていた。
「見た目は悪くなりました。でも、具は漏れてないっす」
「持ち歩くなら、角にこだわらなくていいかもしれない」
少し平たい丸形にし、二か所を軽く押さえる。握り固めるのではなく、米粒の間を残しながら外側だけ形を保つ。葉で包み、その外へ細い紙帯を巻いた。
紙帯の端には大きな星印をつける。手袋をしていても、その端を引けば開けられる。
「片手で開きました!」
ミアが試す。
「ただし、歩きながら食べることを勧める表示にはしないわ。急いでいても、馬や荷車を扱いながら食べれば危ないもの」
保存試験は、食べて限界を探す方法をやめた。
炊いた米も、肉も、魚も、見た目や匂いだけで安全とは決められない。調理器具を熱湯で洗い、素手で握らず清潔な薄手袋を使う。完成時刻を記録し、販売中は冷却箱の決めた区画で保管する。
味と形は、作ってから二時間、四時間で確認した。四時間を越えた試作品は客へ出さず、厨房で廃棄記録を取る。
「もったいないっす」
ロウが言う。
「だから、最初から作りすぎない。長旅のお客様には、燻製肉や乾パンなど、保存用に作られた品を勧める。おにぎりを無理に万能にしないの」
購入後は二時間以内を目安に食べること。すぐ食べない場合は冷却箱のある宿へ。紙帯へ時刻と注意を書いた。
私が前世で見た商品には、長い年月の衛生技術と流通があった。
形だけを思い出しても、その安全まで再現したことにはならない。
◇◇◇
初回販売の夜。
午前零時の棚には、三種類を八個ずつ並べた。
赤い印はルビーベリー。青い印は川魚の燻製。茶色い印は肉味噌。どれも香草葉に包み、紙帯へ作った時刻と食べきる目安を書いてある。
「もっと作らなくていいんすか?」
「売れるかどうかも、どの味が好まれるかも分からないもの。追加は予約と様子を見て決めましょう」
最初に来たハンスは、三つの札を読み比べた。
「酸っぱい実は、疲れに効くのか?」
「薬のような効能はお約束できません。酸味と塩味が好みに合えば、夜勤後でも食べやすい味です」
「正直だな。じゃあ、味で選ぶよ」
ハンスはルビーベリーと川魚を一つずつ買った。
ベルトは肉味噌を選ぶ。
「肉が入ってるなら、これだ」
「甘い物ではなくてよいの?」
「肉味噌に蜂蜜が入ってるんだろ。俺には甘味の仲間だ」
その理屈には、誰も反論できなかった。
午前一時過ぎ、戻ってきたハンスは、開いた紙帯を会計台へ置いた。
「赤い方は目が覚める味だ。うまいが、毎日は強いな。魚は朝でも食べやすかった」
「どちらか一つなら?」
「魚だな。ただ、汗をかいた夜は赤い方を選ぶ」
ベルトは肉味噌を気に入ったが、「もう少し大きい方がいい」と言った。別の客は、肉の匂いが朝には重いと川魚だけを選んだ。
全員が同じ物を褒めないことに、私はむしろ安心した。
三つの味は、勝ち負けを決めるためではない。
その日の腹と気分に合わせ、選べることが価値なのだ。
午前三時半、肉味噌は売り切れ、川魚は残り二つ、ルビーベリーは三つ残った。
「完売ではありませんでしたね」
ミアは今夜、父の同意を得て午前二時まで試験販売に立ち、先に帰っている。代わりに記録を見たアンナが言った。
「ええ。でも、二十四個すべて作って余らせるより、好みが分かった」
残った分は販売時刻を過ぎる前に店頭から下げた。私たちの朝食に回せる条件の物と、試験記録のため処分する物を分ける。
翌日から肉味噌を十個、川魚を八個、ルビーベリーを六個に調整した。三日後には、受け取り予約も始めた。
一週間の朝方売上は、導入前の同じ曜日よりおよそ二倍になった。けれど、もっと嬉しかったのは、包みの破損が一件もなく、廃棄が日ごとに減ったことだ。
「朝の棚が、選べる棚になりましたね」
集計を見たミアが言う。
「ミアの葉が、一番目立っているわ」
「みんなで見つけた葉です」
その言い方が、私は好きだった。
◇◇◇
閉店後、蒸し器から残った肉まんを一つ取り出した。
おにぎりが好調でも、温かい物を求める客は変わらない。肉まんは今夜も売り切れた。
私は半分に割り、冷め始めた皮を指で押す。
少し固い。
餡の肉汁は、温かいうちはおいしいが、急いでかじった客が熱さに驚いたこともある。香りも毎日同じで、食べ慣れた客ほど迷わず買う代わりに、選ぶ楽しさは少ない。
「売り切れたのに、また難しい顔してるっす」
ロウが片づけの手を止めた。
「売れている物ほど、困り事が見えにくいのよ」
「次は肉まんっすか?」
「ええ。皮、餡、香り。それから、熱くても安全に食べられる形」
私は試作表の次の頁を開いた。
新しい商品が一つ成功すれば、店が完成に近づくと思っていた。
今は違う。
完成しないからこそ、皆と考え続けられる。
それは、成功し続けなければ捨てられるという焦りより、ずっと明るい理由だった。
「試食なら任せてください」
ロウが胸を叩き、残った肉まんへ手を伸ばした。
「待って。今のは状態確認用よ」
「半分、残ってます」
「その半分を押して、皮の戻りを見るの」
ロウの指が、肉まんの皮をプニッとへこませる。
戻らない。
三人で、へこんだ肉まんを見つめた。
「……食べていいっすか?」
「いいわ。証拠は十分よ」
おにぎり一個に全力を注いだ次は、肉まん一個を全員で取り囲む。
完成しない店は忙しい。
でも、その忙しさを今の私は笑って楽しめていた。




