第2話 夜の村は真っ暗
スノーベル村での二日目の朝。
私は早起きして、改めて村の様子を観察することにした。
「おはようございます、リリアーナ様」
家事を終えたアンナが挨拶してくれる。
「おはよう、アンナ。今日は村を探検してみるわ」
「探検ですか?」
「ええ。商売を始めるなら、まずは立地調査よ」
前世のマーケティング知識が蘇る。立地こそ商売の生命線。どんなに良い商品があっても、場所が悪ければ成功しない。
「アンナも一緒に来る?」
「はい、喜んで!」
◇◇◇
朝の村は昨夜とは全く違う顔を見せていた。
農民たちが畑仕事を始めている。宿屋からは薪を割る音が聞こえる。パン屋からは香ばしい匂いが漂ってきた。
「活気があるじゃない」
私は感心した。小さな村だけれど、皆さんしっかりと生活している。
「おはようございます」
農作業をしていた中年の男性が声をかけてくれた。日焼けした顔に温かい笑顔を浮かべている。
「おはようございます。昨日越してきたリリアーナです」
「ああ、元王女様ですね。私はミア・クラウスの父、ロバートと申します」
「ミア・クラウス?」
「村の娘です。今度お時間があるときにでも、ご挨拶に伺わせていただければと」
『村の娘...もしかしてアルバイト候補?』
私は内心でメモした。人材確保も重要な課題だ。
「ぜひ、お待ちしております」
ロバートさんと別れて、さらに村を歩き回った。
雑貨屋、肉屋、パン屋、鍛冶屋、宿屋...小さいながら生活に必要な店は一通り揃っている。
「でも、どの店も小さいわね」
前世の感覚で言えば、個人商店ばかり。品揃えも決して豊富とは言えない。
『これなら、コンビニの総合的な品揃えは確実に差別化になる』
商品構成も頭の中で組み立てていく。
食品:おにぎり、お弁当、パン、お菓子
飲み物:お茶、ジュース、お酒
日用品:石鹸、歯ブラシ、タオル
文房具:ペン、紙、インク
『あとは薬品も少し置けたら完璧ね』
「リリアーナ様」アンナが声をかけた。「あちらに衛兵詰所がございます」
見ると、街道沿いに小さな建物があった。王国の紋章が掲げられている。
「行ってみましょう」
詰所に近づくと、中から話し声が聞こえてきた。
「ハンス、今夜の見回り頼むな」
「はいはい、またベルトさんは昼勤で楽して」
「何言ってんだ、昼間だって大変なんだぞ」
『ハンスとベルト...覚えておこう』
私は潜在的な顧客の名前をメモリー。マーケティングの基本は、ターゲット顧客を具体的にイメージすることだ。
「すみません」私は詰所の扉をノックした。
「はい?」
扉が開くと、筋肉質な男性が顔を出した。三十代前半くらいだろうか。
「昨日越してきたリリアーナです。ご挨拶を」
「おお、元王女様!私は衛兵隊のベルトです。こちらはハンス」
奥からもう一人、やや痩せ型の男性が現れた。
「よろしくお願いします」ハンスが丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ。お疲れ様です」
「いえいえ、お気遣いなく。でも、こんな辺境まで...大変でしたでしょう」
ベルトが同情的な表情を見せる。
「いえ、静かで良い所ですね。ところで、夜のお仕事は大変でしょう?」
『さりげなく市場調査開始』
「ああ、夜勤ですか」ハンスが答える。「まあ、慣れてますが...夜中にお腹が空いても、食べるものがないのが辛いですね」
『キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』
心の中でガッツポーズ。これは確実にニーズだ。
「どのようなものを食べていらっしゃるんですか?」
「干し肉と固いパンですね。それと水筒の水」
ベルトが苦笑いする。
「たまには温かいものが食べたいんですが...でも夜は店がやってませんから」
『温かいもの!これはおでんと肉まんの出番ね!』
私は前世の記憶を頼りに、深夜の衛兵さんたちに喜ばれそうなメニューを思い浮かべた。
「確かに不便ですね」
「まあ、仕方ありませんよ。昔からそういうものですから」
ハンスが諦めたような口調で言う。
『諦めちゃダメよ!私が便利にしてあげるから!』
「ところで」私は慎重に切り出した。「もし夜中でも何かを買える店があったら、利用されますか?」
「え?」ベルトとハンスが顔を見合わせた。
「夜中に開いてる店なんて、聞いたことありませんが...」
「仮の話ですよ。もしあったらということです」
「そりゃあ、便利でしょうね」ベルトが即答した。「温かい食べ物が買えるなら、喜んで利用します」
「私も!」ハンスも目を輝かせる。「夜勤の辛さが半減しますよ」
『確信に変わった!絶対に成功する!』
◇◇◇
衛兵詰所を後にして、今度は宿屋に向かった。
『銀の狼』という看板が掲げられた、こじんまりとした二階建ての建物だ。
「いらっしゃいませ」
宿屋の主人らしき男性が出迎えてくれた。四十代くらいの、人の良さそうな顔をしている。
「リリアーナと申します。昨日この村に越してきました」
「ああ、元王女様ですね。私は宿屋『銀の狼』の主人、ウォルターです」
「よろしくお願いします。お客様はいらっしゃいますか?」
「ええ、今朝も冒険者の方々が出発していかれました」
『冒険者!これも重要な顧客層ね』
「冒険者の方々は、夜遅くまで起きていらっしゃることが多いんですか?」
「そうですね。出発前の準備や、情報交換で夜更かしすることが多いです」
ウォルターが説明してくれる。
「食事はどうされているんでしょう?」
「宿泊客には夕食をお出ししますが、それ以降は...難しいですね。厨房も片付けてしまいますし」
『やっぱり!夜食の需要はあるけど供給がない!』
これはもう確実にビジネスチャンスだ。
「ウォルターさん」私は提案してみた。「もし夜中でも軽食を買える店があったら、お客様に教えてくれますか?」
「夜中に開いてる店ですか?」ウォルターは首をかしげる。「そんな店があるなら、ぜひ教えたいですが...この辺りにはありませんねぇ」
「そうですか...」
『まだないけど、これから作るのよ!』
私は心の中で叫んだ。
◇◇◇
昼食後、村の外れを散歩していると、立派な荷馬車が街道を通っていくのが見えた。
「あれは商隊ですね」アンナが説明してくれる。
「商隊?」
「王都と地方を結ぶ商人の一団です。物資の運搬をしています」
『物流!これも重要よ!』
商売をするなら、商品の仕入れルートを確保する必要がある。
「どれくらいの頻度で通るの?」
「週に二、三回でしょうか。定期的に通ってくれるので、村の商店はそれで仕入れをしています」
『なるほど、仕入れのタイミングも把握しておかないと』
私は前世の経験を思い出した。コンビニでは毎日配送があったけれど、ここではそうもいかないらしい。
「在庫管理が重要になりそうね」
「在庫管理?」
「ええ、商品をどれくらい仕入れるかの計算よ」
実は前世でも、この在庫管理が一番難しかった。売り切れると機会損失になるし、余ると廃棄ロスになる。
『でも、小さく始めれば調整は利くはず』
◇◇◇
夕方になって、再び村の中心部を歩いてみた。
時刻は午後5時半。まだ明るいのに、既に店じまいの準備を始めている店があった。
「早いわね」
「この時期ですと、6時頃には日が暮れてしまいますから」アンナが説明する。
パン屋の前を通ると、店主が『本日終了』の札を掛けていた。
「お疲れ様でした」私は声をかけてみた。
「おお、新しく来られた方ですね。お疲れ様です」
パン屋の店主は愛想良く答えてくれた。
「もう店じまいですか?」
「ええ、売り切れましたので。明日の分は明朝から焼き始めます」
『完全に昼営業だけね』
肉屋、雑貨屋も同じような状況だった。6時を境に、村の商業活動が完全に停止する。
そして6時半。
「うわぁ、マジで真っ暗になった」
村の商店街(といっても数軒だが)から明かりが一斉に消えた。まるで示し合わせたように。
「本当に早いですね」アンナも驚いている。
家々の窓に明かりは灯っているけれど、商業施設は完全に暗闇だ。
『これは...チャンスしかない』
前世の日本なら、夜の方が賑やかな街もあった。24時間営業のコンビニ、ファミレス、居酒屋...選択肢はいくらでもあった。
でもここでは、夜になると選択肢がゼロになる。
『独占市場じゃない!』
◇◇◇
夜の8時。村は完全に静まり返っていた。
私は一人でそっと外に出て、夜の村を探索することにした。
「危険ですから、私もお供を」
アンナが心配してくれたが、今回は一人で行きたかった。市場調査は、当事者に気づかれない方が正確なデータが取れる。
「大丈夫よ。すぐ戻るから」
月明かりだけを頼りに、村の中を歩き回った。
まず衛兵詰所の前を通る。
「...腹減ったなぁ」
「でも店やってないし、また干し肉か」
ハンスとベルトの声が聞こえてくる。
『やっぱり!お腹空いてる!』
私は心の中でメモを取った。需要の確認その1。
次に宿屋の前を通ると、外で冒険者らしき人たちが話をしていた。
「明日の出発前に、もう少し保存食を買いたいんだが...」
「朝まで店が開くのを待つしかないな」
「深夜に補給できる店があれば便利なんだが」
『キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』
需要の確認その2。しかも、出発前の補給という新しいニーズまで発見した。
「冒険者って早朝出発が多いのかな?」
小声で独り言を呟く。
「ああ、涼しいうちに歩きたいからな」
冒険者の一人が答えてくれた。
『え、聞こえてた?』
「あ、すみません。独り言が」
「いえいえ。そうですね、大体夜明けと共に出発することが多いです」
気さくな冒険者だった。
「そうなると、出発前の買い物は...」
「前日の夕方までに済ませるか、朝の開店を待つかですね。でも朝は慌ただしいので、前日に済ませたいところです」
『なるほど!夜営業なら、ゆっくり買い物してもらえる!』
これは重要な発見だった。
「ありがとうございます」私はお礼を言って、その場を離れた。
◇◇◇
家に戻ると、アンナが心配そうに待っていた。
「お帰りなさい、リリアーナ様。どうでしたか?」
「大収穫よ!」私は興奮して報告した。「確実に需要がある!」
衛兵の話、冒険者の話、そして夜中に何も買えない現状について詳しく説明した。
「確かに...不便ですね」
「でしょう?これよ!この隙間市場!」
私は前世のマーケティング知識をフル活用して分析を始めた。
「ターゲット顧客は主に三層よ」
指を折りながら説明する。
「第一層:夜勤の衛兵さん。定期的な需要が見込める」
「第二層:宿泊中の冒険者。出発前の補給需要」
「第三層:夜更かしする村人。たまにあるイレギュラー需要」
アンナが感心したような顔をしている。
「すごいですね、リリアーナ様。そんなに詳しく分析できるなんて」
『前世の経験のおかげよ』
心の中で答えた。
「商品構成も考えたの」
私は頭の中で整理した商品カテゴリーを説明した。
「主力商品:おにぎり、肉まん、温かいスープ」
「これは夜食として確実に需要がある」
「補完商品:パン、お菓子、飲み物」
「これは間食や水分補給」
「差別化商品:冒険者向けの保存食セット」
「これは他店にはないオリジナル商品」
アンナの目が輝いている。
「本当に実現できそうですね!」
「ええ!」私は確信を持って答えた。「絶対に成功するわ!」
心の中で事業計画が組み上がっていく。
『24時間営業...いや、まずは夜だけでも』
営業時間:午後8時~午前6時
立地:街道沿いで衛兵詰所にも宿屋にも近い場所
初期投資:できるだけ抑えて手作りメイン
スタッフ:私とアンナ、それと村の娘さん
『段階的に拡大していけば、いずれは王都にも...』
野望が膨らんでいく。
「アンナ」私は決意を込めて言った。「明日から本格的に準備を始めるわよ」
「はい!私も頑張ります!」
私は窓の外を見た。真っ暗な村の夜景。
でも近いうちに、この静かな夜に明るい灯りが一つ、新しく生まれる。
『世界初のコンビニエンスストア...略してコンビニ!』
私は心の中で宣言した。
『この世界に便利という概念を持ち込んでやる!』
夜勤で働く人たちの救世主になってやる。
そして最終的には...
『ローラン殿下に「やっぱりあなたじゃないとダメでした」って言わせてやるんだから!』
復讐...というより、見返したい気持ちが燃え上がった。
追放された王女は、今夜も世界初のコンビニ開業に向けて、密かに野望を膨らませるのだった。
『便利は正義!夜営業こそ正義よ!』