第12話 常連という宝
夜営業を開始してから1週間が経過した。
私は朝の時間を使って、これまでの売上データを整理していた。
「データ分析は経営の基本よね」
前世のコンビニでも、売上データの分析は日課だった。
どの商品がいつ売れるのか、どの客層がどんなパターンで利用するのか...
『パターンが見えてきたわ』
一週間のデータを眺めていると、明確な傾向が読み取れる。
「アンナ、ミアちゃん、ちょっと来て」
二人を呼んで、分析結果を共有することにした。
◇◇◇
「これを見て」
私は手作りのグラフを見せた。
「時間帯別の売上と、商品別の販売数よ」
「すごく詳しく記録してるんですね」アンナが感心している。
「午前0時〜1時がピーク、午前2時〜3時が第二のピーク...」
ミアちゃんが数字を読み上げる。
「そう。お客さんの来店パターンがはっきりしてるの」
前世の経験では、深夜の客足にはリズムがある。
「それから」私は別の資料を見せた。
「顧客別の購入パターンも見えてきたわ」
「顧客別?」
「常連さんの好みよ。ハンスさんは必ずスープとおにぎり2個。ベルトさんはそれに甘いお菓子をプラス」
「確かに!」ミアちゃんが目を輝かせる。
「冒険者のディランさんは肉まんとお茶、マーカスさんは大盛りセット」
「みんな決まったパターンがあるのね」
『これが常連の価値よ』
予測可能な需要ほど、経営にとって安心できるものはない。
◇◇◇
夜の営業時間。
いつものように0時の鐘と共に開店すると、すぐに馴染みの顔が現れた。
「今日もよろしく!」
衛兵のハンスが元気よく入ってきた。
「ハンスさん、お疲れ様です」
ミアちゃんが笑顔で迎える。
「いつものスープとおにぎり2つですね」
「そうそう、分かってるじゃないか」
ハンスが嬉しそうに笑う。
『「いつもの」が通じる関係』
これこそが、店と客の理想的な関係だ。
続いてベルトが入ってくる。
「ベルトさんもいつもの?」
「ああ、頼むよ。今夜は特に甘いものが欲しい気分だ」
「それでしたら、新しく入荷した蜂蜜飴はいかがですか?」
ミアちゃんが提案すると、ベルトの目が輝いた。
「おお、それは良さそうだ」
『常連の好みを把握した上での提案』
これぞプロの接客だ。
◇◇◇
午前1時頃、冒険者のディランがやってきた。
二十代前半の若い冒険者で、週に3回は必ず来店する常連だ。
「よう、今夜も開いてるな」
「いらっしゃいませ、ディランさん」
ミアちゃんが親しげに挨拶する。
「俺はいつもの肉まんセット」
「かしこまりました。肉まん2個とお茶ですね」
「そうそう。君たち、俺の好みを完璧に覚えてくれてるな」
ディランが満足そうに頷く。
「お客様の好みを覚えるのも、私たちの大切な仕事ですから」
私が説明すると、ディランが感心したような表情を見せた。
「他の店じゃ、こんなサービスはないぞ」
『差別化の要素の一つね』
商品だけでなく、接客でも差をつけている。
「そういえば」ディランが続ける。
「明日から一週間の遠征に出るんだ」
「そうなんですか。気をつけて行ってくださいね」
「ありがとう。帰ってきたら、また『いつもの』を頼むよ」
常連客にとって、店は帰ってくる場所でもあるのだ。
◇◇◇
午前1時30分頃、別の常連客マーカスが現れた。
三十代の冒険者で、食べ盛りらしく毎回大量購入する客だ。
「マーカスさん、いらっしゃい」
「よう、今夜も腹が減ってるんだ」
「いつもの大盛りセットですか?」ミアちゃんが確認する。
「そうだな...でも今夜はもう少し多めに」
「明日からの依頼が長期になりそうでね」
マーカスが説明してくれる。
「でしたら、保存用のおにぎりも追加されますか?」
私が提案すると、マーカスが頷いた。
「そうだな、それもお願いする」
『常連だからこそできる提案』
お客さんの事情を知っているから、適切なサービスが提供できる。
「全部で銅貨80枚ですね」
「いつも助かってる。ありがとう」
マーカスが支払いを済ませて帰っていく。
『80銅貨...単価の高い優良顧客ね』
◇◇◇
午前2時頃、新しい顔ぶれも数人来店した。
でも客の8割は、既に顔馴染みの常連だ。
「常連さんの比率が高いのは良い傾向ね」
私はミアちゃんに説明した。
「どうしてですか?」
「予測しやすいし、安定しているから。それに...」
ハンスとベルトが楽しそうに会話している様子を見る。
「お客さん同士も仲良くなってる」
「本当ですね。みんな楽しそう」
「店が地域のコミュニティの場になってるのよ」
『これは前世のコンビニにはなかった価値』
単なる買い物の場ではなく、人と人をつなぐ場所。
「お客さんとお話しするの楽しい!」
ミアちゃんが嬉しそうに言う。
「みんなのことを覚えて、喜んでもらえると嬉しくて」
『この子は本当に接客が好きなのね』
◇◇◇
営業終了後、今夜の分析をした。
「今夜の売上は銅貨520枚。先週の平均を10%上回ったわ」
「すごいですね」アンナが驚く。
「常連さんが増えて、単価も上がってる」
データを詳しく見ると、興味深い傾向が見えてくる。
「常連客の購入金額は、新規客の1.8倍」
「そんなに違うんですか?」
「常連さんは安心して追加購入してくれるの。『いつものに、これも』という感じで」
ミアちゃんが頷く。
「確かに、常連さんはよく追加注文されますね」
「それに」私は続ける。
「常連さんは口コミもしてくれる。ディランさんなんか、冒険者仲間をよく連れてきてくれるでしょう?」
「はい!新しいお客さんを紹介してくれます」
『常連客は最高の営業マンでもある』
◇◇◇
翌日、常連客のデータを元に仕入れ計画を見直した。
「時間帯別の売れ筋が見えてきたから、仕入れ量を最適化できるわ」
無駄をなくして利益率向上を図る。
「午前0時〜1時はスープとおにぎりが中心」
「午前1時〜2時は肉まんとお茶の需要が高い」
「午前2時以降は甘いお菓子の比率が上がる」
時間帯によって客の求めるものが変わるのだ。
「これに合わせて、商品の準備タイミングも調整しましょう」
「具体的には?」ミアちゃんが質問する。
「スープは開店直前に完成させて、肉まんは午前1時に追加で蒸し上げる」
「なるほど、常に出来立てを提供できますね」
『効率化と品質向上の両立』
データ分析の威力を実感する。
◇◇◇
その夜、最適化した運営を実践してみた。
「スープ、ちょうど良いタイミングで完成」
開店と同時にハンスが来店。
「いつものをお願いします」
「はい、出来立てのスープです」
「おお、湯気がすごい。ありがたいなぁ」
午前1時、予定通り肉まんの追加分を蒸し上げる。
そこにディランが登場。
「いつもの肉まんセット」
「はい、今蒸し上がったばかりです」
「完璧なタイミングだ」
『データに基づいた運営の効果』
客の満足度も、効率も向上している。
◇◇◇
午前2時過ぎ、ベルトが甘いお菓子を物色している。
「今夜は何にしようかな」
「新しく入荷した果物の砂糖漬けはいかがですか?」
ミアちゃんが提案する。
「おお、それは珍しいな」
「王都から取り寄せた特別な品です」
「それじゃあ、それにしよう」
ベルトが購入してくれた。
『常連だからこそ、新商品も試してもらいやすい』
信頼関係があるから、冒険的な商品にも挑戦してくれる。
「美味しかったら、また買いに来るよ」
「ありがとうございます」
『これが常連関係の醍醐味』
◇◇◇
営業終了後、今夜の成果を振り返った。
「売上、効率、満足度...すべてが向上してるわね」
「常連さんのおかげですね」ミアちゃんが言う。
「そう。常連という宝があるからこそ」
私は改めて常連の価値を実感していた。
「でも」私は続ける。
「常連さんに甘えちゃダメよ。常に期待を上回るサービスを提供しないと」
「はい!」
「今度、ハンスさんが『いつものお願いします』って言ったら...」
「はい?」
「『いつものに、今日はこれもいかがですか?』って新しい提案をしてみて」
「なるほど!常連さんだからこそ、より良いサービスを」
『そういうこと』
満足に安住せず、常に改善を続ける。
それが長期的な関係を維持する秘訣だ。
◇◇◇
翌朝、常連客のベルトが日用品を買いに来た。
「おはようございます」
「おお、昼間もやってるのか」
「細々とですが」
「実は家内が興味を持ってましてね」
「奥様が?」
「夜営業の話をしたら、『そんな便利な店があるなら、昼間も利用したい』と」
『常連の家族にも波及』
「ぜひお越しください。お待ちしております」
「ありがとう。今度連れてきます」
ベルトが石鹸を購入して帰っていく。
『常連の輪が広がってる』
一人の常連が、さらに新しい客を連れてくる。
これが口コミマーケティングの力だ。
◇◇◇
午後、売上データの分析を続けていると、興味深い発見があった。
「常連客の来店頻度が上がってる」
週2回だった客が週3回、週3回だった客が週4回...
「それだけ必要とされてるということね」
アンナが嬉しそうに言う。
「ええ。でも慢心は禁物よ」
私は気を引き締めた。
「常連さんが離れるのは一瞬。でも戻ってきてもらうのは大変」
『常連維持の難しさも知ってる』
前世のコンビニでも、常連客の離反は致命的だった。
「どうすれば常連さんに満足し続けてもらえるでしょう?」
ミアちゃんが質問する。
「変化よ」
「変化?」
「同じサービスを続けてると、慣れて当たり前になっちゃう。だから常に小さな変化を加える」
「新商品、新サービス、新しい提案...」
「飽きさせない工夫が大切なのね」
『そういうこと』
◇◇◇
その夜、早速実践してみた。
ハンスが来店すると...
「いつものスープとおにぎり2つですね。今夜は新しい薬味も試してみませんか?」
「薬味?」
「ネギと胡椒を少し加えると、味が変わって美味しいですよ」
「へぇ、面白そうだ。やってみてくれ」
結果は大好評。
「これは美味い!いつものスープが特別な味になった」
『小さな変化で大きな満足』
ディランには肉まんのタレを提案。
「醤油ベースのタレをつけて食べると、また違った味わいが」
「そんな食べ方があるのか」
これも大成功。
「新しい発見だ。君たちは本当にプロだな」
『常連だからこそ、新しい提案も受け入れてもらえる』
◇◇◇
営業終了後、今夜の手応えを確認した。
「みんな喜んでくれましたね」
「ええ。『いつもの』に『新しさ』をプラス」
「これが常連関係を深める秘訣よ」
ミアちゃんが納得したような表情を見せる。
「常連さんって、本当に宝ですね」
「そう。売上の安定、口コミの拡散、新商品のテスト...」
「すべてを支えてくれる大切な存在」
『これが商売の醍醐味ね』
経営者としての充実感を味わっていた。
数字だけでなく、人との関係が築けている。
それが何より嬉しい。
「明日も常連さんたちが来てくれる」
「『いつものお願いします』って言ってもらえる」
『この関係を大切にしよう』
常連という宝を得た店は、さらに安定的な成長を続けていく。
追放された王女は、商売の本質をまた一つ深く理解したのだった。
そして、人と人とのつながりこそが、最大の財産だということも。