第13話 泥棒、鳴る警報
夜営業を始めて10日目、午前3時45分。
閉店まで、あと15分だった。
店内に残っているお客様は、杖を手元へ寄せ、温かい茶を飲む年配の男性1人だけ。
私は会計台で、今夜の売上を仮集計していた。
「スープは完売。肉まんは2つ残りました」
ミアが棚を確認する。
「販売期限までに売れなければ、賄いへ回しましょう」
「私、1つなら食べられます!」
「午前4時に肉まんを食べて、帰ってから眠れる?」
「食べてみないと分かりません!」
「身体を使って確認しなくていいの!」
ミアの食欲は、夜明け前でもピカピカ元気である。
「今夜も、静かに終わりそうですね」
ミアが入口の札を見ながら言った。
「そういう台詞は、扉を閉めて鍵を掛けたあとになさい」
アンナが空いた棚を拭く。
「大丈夫よ。残り15分で起きることなんて、駆け込みのお客様が肉まんを2つ買ってくださるくらい――」
会計台の警戒石が、赤く光った。
ピッ、ピッ。
短い警告音が2度。
営業中、裏窓へ強い接触があった合図だ。
平和な夜でした、で終わらせてくれないのね!?
「全員、手順どおりに」
私が言い終えるより早く、3度目の衝撃が床から伝わった。
ビィィィィ――ッ!
大音量の警報が、店内と夜の街道へ突き抜ける。
年配客の杯が、カタカタと受け皿を叩いた。
◇◇◇
「ど、泥棒ですか!?」
ミアの顔から血の気が引く。
「まだ分からない。裏窓を確認しに行かないで!」
私自身の声も、思ったより高かった。
訓練では何度も言えた言葉なのに、本番の警報は身体の内側まで震わせる。
それでも、手順は手が覚えていた。
私は会計台下の伝令札を握り、決めていた内容を短く告げる。
「夜明けの星。裏窓へ侵入の疑い。店員3名、客1名。負傷者なし。これから退避します」
数秒後、札が青く光った。
『受信。裏手へ近づくな。5分以内を目標に到着する』
グリム隊長の声だ。
「ミア、お客様を2階の奥へ。アンナは反対側から支えて。裏口は使わない」
「リリアーナ様は?」
「階段近くの伝令札を持って、最後に上がるわ」
「でも、お1人では――」
「すぐ追いつく。今はお客様をお願い!」
年配客は杖を握りしめたまま、椅子から立てずにいた。
ミアは腕を強く引かず、その人の正面へしゃがむ。
「私の顔を見てください。階段まで、一緒に歩けますか? 急がなくて大丈夫です。右足から、ゆっくりでいいです」
「あ、ああ……やってみる」
「アンナさん、左側をお願いします。私は杖の方へ回ります」
ミアの指示でアンナが位置を変え、3人が歩き出す。
怖くて青ざめているのに、訓練で決めた役割を自分の言葉にしている。
胸が熱くなる――余裕はない。裏窓から、ギギッと金属の軋む音がした。
訓練では、オルフ親方が加減を知ったうえで窓を揺らした。
今は、次に何をするか分からない誰かが壁1枚の向こうにいる。
膝が震えた。
もし窓が破られたら。
もし剣を持っていたら。
もし衛兵が別件で遅れたら。
会計台の現金箱が目に入る。
持って逃げたい。
500金貨の返済へ必要な、大切な売上だ。
けれど訓練で、自分から決めたではないか。
硬貨は取り返せても、命は買い直せない。
「くぅぅ……私のお金ぇぇ……!」
ものすごく小さな声で未練を絞り出し、箱から手を離す。
今は商売人の執念より、生存本能を勝たせる場面よ!
退避用の伝令札だけを持ち、階段へ走った。
◇◇◇
2階の奥へ全員が入ったことを確認する。
店内を見下ろせる小さな覗き窓はあるが、裏窓へ直接近づいてはいけない。
私は姿勢を低くし、反対側の高窓へ映る影だけを見た。
黒い外套の人物が、蔦模様の補強柵へ手を掛けている。
細い物を窓枠へ差し込もうとしているが、格子は壁の柱へ固定され、びくともしない。
「1人……だと思います。黒い外套。裏窓に細い道具を使っています」
震える息を抑え、伝令札へ伝える。
『了解。人数を確認したら、もう見なくていい。こちらから接触するな』
「分かりました」
私は覗き窓から離れた。
知りたい。
今何をしているのか、どこへ動くのか、店が壊されていないか、全部見たい。
でも、見続けて相手と目が合えば、こちらの居場所を知らせてしまう。
ミアは年配客の隣へ座り、震える両手を包んでいた。
「警報に合わせず、私と息をしてください。吸って……ゆっくり吐きます」
「あの音では、落ち着けんよ」
「私もです。だから、一緒にやってください」
強がらない言葉だった。
怖がっているのは自分だけではないと知り、男性の肩が少し下がる。
「あと、どれくらいですか?」
アンナが尋ねた。
「分からない。5分以内を目標とおっしゃっただけだから」
「3分は過ぎました」
「ええ。でも、必ず3分とは約束されていない。私たちは最低5分を耐える訓練をした」
秒を数えるほど、時間は粘つくように遅くなる。
それでも、できない約束を信じていたら、3分を過ぎた瞬間に心が折れていたかもしれない。
やがて遠くから、ダダダッと複数の足音が近づいた。
「衛兵隊だ! 窓から離れろ!」
グリムの声。
影が身を翻し、街道とは反対側へ走る。
「ハンス、東へ! ベルトは裏道を塞げ! 残りは西側と店内確認!」
怒鳴る声と足音が、夜の裏手で交差する。
「止まれ!」
「逃がすな!」
ガタン!
何かが倒れる音に、全員の肩が跳ねた。
そのあと、警報の向こうからハンスの声が届く。
「隊長、1名確保! ほかに仲間がいないか確認します!」
伝令札を握ったまま、力が抜けそうになった。
まだ終わりではない。
安全確認が出るまで降りない。それも訓練の手順だ。
通報から、約5分だった。
◇◇◇
先に入った衛兵が、店内、裏口、階段の順に確認した。
「安全です。皆さん、降りて大丈夫です」
その声を聞いて、ようやく階下へ移る。
年配客の脚はまだ震えていた。
「お怪我はありませんか? 耳は痛くないですか?」
「怪我はない。だが、寿命が3年くらい縮んだ気がする」
「3年!? 警報音の賠償が重すぎるわ!」
思わず声が裏返ると、男性が小さく笑った。
「冗談を言えるくらいには戻った、ということだ。あんたたちも無事でよかった」
「家まで衛兵にお送りいただきます。今夜はもう営業を再開しません」
店の裏では、30代ほどの男が衛兵に腕を取られていた。
黒い外套は泥にまみれ、窓枠へ差し込もうとした細い鉄具が、証拠として布の上へ置かれている。
「まだ何も盗っていない」
男は青ざめた顔で言った。
「何をしようとしたのかは、詰所で確認する」
グリムは外見だけで泥棒と決めつけず、鉄具と窓の状態を記録した。
窓は開いていない。
蔦模様の補強柵には小さな擦り傷だけ。
商品、現金、魔道具にも被害はなかった。
「侵入なし。盗難なし。物的被害もありません」
アンナの確認を聞き、私は壁へ手をついた。
「やった……」
ガッツポーズをするつもりだった。
ところが腕が上がらない。
嬉しいより先に、腰から力が抜けてヘナヘナとしゃがみ込んだ。
「リリアーナ様!」
「大丈夫。元王女の脚が、いま遅れて恐怖を受信しているだけ……」
「受信を止められますか?」
「残念ながら、私には停止札がないわ」
訓練どおり動けた。
それでも、怖かった。
訓練とは恐怖を消すものではなく、怖いまま次の動作を選べるようにするものなのだ。
◇◇◇
警報を聞いた近隣の家々には灯りがついていた。
事前に説明したとおり、多くの人は外へ飛び出さず、窓から様子を見ている。
それでも数人が街道の端まで出てきたため、ベルトが手を広げて制した。
「侵入未遂の疑いで1名を確保しました。店内に負傷者なし。周囲を確認するまで、ご自宅で戸締まりをお願いします!」
私は扉の前から、分かっている事実だけを伝えた。
「警報と衛兵への連絡は機能しました。ただし取り調べ前なので、動機や仲間の有無は分かりません。今夜は店を閉め、明日、正式な報告を掲示します」
「本当に、もう大丈夫なの?」
「衛兵が周囲を確認中です。怖い方は、今夜だけでなく明日以降も無理に利用しないでください」
安全策が働いたからといって、「これで店の安全が証明されました!」などと宣伝する気にはなれなかった。
警報で起こされた子供。
以前より夜の店が怖くなった人。
備えが役立ったと安心した人。
どの反応も自然だ。
事件を売上へ変えるような真似はしたくない。
閉店時刻は過ぎていた。
ロバートがミアを迎えに来るまで、私たちは2階で温かい茶を飲んだ。
ミアの手は、まだ小刻みに震えている。
「怖かった?」
「はい。逃げたかったです。でも、お客様を置いて逃げる方がもっと怖かった」
「1人で支えようとしなかった。アンナを呼び、2人で案内した。正しい行動よ」
「私、役に立てましたか?」
「あの方が歩けたのは、あなたが一緒に怖がってくれたからよ」
ミアは唇を噛み、泣きそうな顔で頷いた。
◇◇◇
翌朝、私はガレオ村長へ事故報告書を提出した。
発生は午前3時45分。裏窓の警報。店員3名、客1名。通報から到着まで約5分。退避完了。侵入、盗難、負傷、物損なし。近隣への大音量警報。営業終了。
「設備は機能しましたね」
「はい。でも、夜に金を扱う店が狙われる可能性も現実になりました」
「村では、『準備していたから安心だ』という声と、『やはり夜の店は怖い』という声の両方があります」
「両方とも、試験営業の記録へ入れてください」
ガレオは深く頷いた。
「反対が完全になくなったことにしては、試験の意味がありません。安全策が働いた事実と、事件が起きた事実を同時に見ましょう」
昼過ぎ、私はアンナと年配客の家を訪ねた。
耳の痛み、転倒、眠れなかった時間。診療が必要なら費用を負担すると伝える。
「身体は何ともない。ただ、鐘でもないのに大きな音が鳴って、昔の戦を思い出した」
私は返す言葉を失った。
警報の大きさを、届く距離でしか考えていなかった。
音には、人が生きてきた時間まで呼び戻す力がある。
「店内の音を、退避できる範囲で1段下げます。光でも知らせられないか、マーリンさんへ相談します」
「小さくしすぎて、あんたたちが気づかないのも困るぞ」
男性は杖を撫でた。
「それから、ミアへ礼を言っておいてくれ。あの子も怖がっていると分かって、俺は立てた」
「必ず伝えます」
設備の記録には残らない働きが、お客様を守っていた。
その言葉を伝えると、ミアは顔をクシャリと歪めたあと、避難者への声かけを自分の帳面へ書き足した。
◇◇◇
夜勤を終えたハンスとベルトも、店へ戻ってきた。
商品を買うためではなく、昨夜の動線を確かめるためだ。
「俺たちが東と裏道へ分かれたあと、西側が一瞬空いた」
「次は詰所に残る者へ、西側を先に頼む」
「店側は、退避後に窓を見すぎました。人数を確認したあとも目で追ってしまって」
「次は人数だけ伝えたら、姿勢を低くして離れてください」
午後にはオルフ親方が、擦り傷のついた格子を外して調べた。
「曲がっちゃいない。壁側の留め具も無事だ」
「もっと太い鉄へ替えた方がいいでしょうか」
「太くすりゃ重くなる。火事のとき、内側から外すのが遅れるぞ」
「でも次は、もっと大きな道具を持ってくるかもしれない」
「どんな壁も、永遠には耐えねえ」
オルフは傷の上へ太い指を置いた。
「こいつの役目は城みたいに守り続けることじゃねえ。音を鳴らし、衛兵が来るまで時間を稼ぐことだ。守りを重くしすぎて、中の人間が逃げられなきゃ逆だろ」
「外から入れず、中からも出られない……それでは店ではなく、鍵の掛かった商品箱ね」
「あんた、自分まで商品に数えるなよ」
「元王女1名、在庫価値は――」
「査定不能です」
アンナが、迷いなく答えた。
「それ、価値が高すぎてですか? 低すぎてですか?」
「防犯確認を続けます」
「答えて!」
重くする代わりに、窓枠へ小さな細工でも分かる明るい塗料を足してもらう。
蔦模様の葉が1枚でも途切れれば、朝の点検で気づける印だ。
強くするだけが改善ではない。
気づくこと、逃げること、助けが来るまで持ちこたえること。
その釣り合いが取れて初めて、防犯になる。
夕方には、マーリンが魔法陣を点検した。
「裏窓の感知、2段階警報、持続時間。いずれも設計どおりです。ただ、強い警報が長く続きすぎましたな」
「衛兵の安全確認後も、店内へ戻るまで止められませんでした」
「詰所側から停止できる合図を加えましょう。犯人に止められぬよう、店と詰所、2枚の札を同時に使う仕組みにします」
病人のいる家側は音を1段下げ、詰所方向の音を少し強める。
「ほかの店からも、同じ魔法陣を置けないか問い合わせが来ておりますぞ」
「同じ物をそのまま置かず、出入口や近所の状況を見て設計してください」
「もちろん。魔法陣だけでなく、訓練の方が大きな役目を果たしたとも伝えましょう」
昼に終わった取り調べでは、男は1人旅の途中、明るい店なら金目の物があると思い、機会的に裏窓を狙ったと分かった。
仲間や事前の計画は確認されていない。
灯りは善良なお客様を導く一方で、金を求める人の目にも入る。
明るいから安全なのではない。
こちらが見つけやすくなり、相手からも見つけられやすくなる。その両方を引き受ける必要がある。
◇◇◇
次の営業では、扉へ報告を掲示した。
侵入未遂1件。被害なし。負傷者なし。警報と通報が作動。窓の擦り傷を確認。警報停止手順を改善。点検と訓練を継続。
「怖くて、今日は来ようか迷ったの」
女性客が、蔦模様の補強柵を見ながら言った。
「来てくださってありがとうございます。でも、怖い夜は無理をしないでください。予約品を、ご家族や衛兵の巡回時に渡す方法も考えます」
「絶対安全とは、言わないんだね」
「言えません。だから危険を減らす約束を、毎晩1つずつ守ります」
女性はしばらく迷い、温かい茶を1つ買った。
客数は事件前より増えなかった。
来なかった常連もいる。
それでいい。
怖さを噂で飾り、売上へ変える店にはしたくない。
閉店後、3人で伝令札を触り、退避路をもう一度歩いた。
「防犯システムは、完璧でしたか?」
ミアが尋ねる。
「いいえ」
私は迷わず答えた。
「窓を守ったのは格子。異変を知らせたのは魔法陣。来てくれたのは衛兵。逃げられたのは訓練。そして、お客様を歩かせたのはミアとアンナよ。1つでも欠けたら、結果は違っていた」
夜明けの星を守ったのは、万能の魔法ではない。
怖い夜に、それぞれの役目を果たした人たちだった。
「次は、今日より1秒早く動くわ」
強く言った途端、伝令札を持つ手が震え始めた。
事件の最中は動けたのに、終わってから身体が恐怖を思い出したらしい。
「……怖かった」
「はい」
アンナは何も言わず、私の手ごと温かい布で包んだ。
「でも、次は――」
「今は震えていてください。反省も改善も、身体が落ち着いてからです」
「店主として、もう少し格好よく――」
「リリアーナ様」
ミアが反対側の手を握った。
「私も、すごく怖かったです。一緒に震えてください」
それでは仕方ない。
元王女の威厳は、一時休業である。
私は2人の間で、震える手を隠すのをやめた。
朝の光が差すまで、温かい茶を少しずつ飲んだ。




