第11話 初クレーム、価値で黙らせる
夜営業開始から3日目。
連日の大盛況で、私たちの店は村の夜の風景を完全に変えていた。
午後10時。いつものように開店準備を進めていると、ミアちゃんが商品陳列をしながら報告してくれた。
「リリアーナ様、今夜もたくさんのお客さんが来そうですね」
「そうね。昨日も2時間半で完売だったもの」
初日の教訓を活かして商品量を倍にしたのに、それでも売り切れてしまう。
『嬉しい悲鳴よね』
でも内心、少し不安もあった。
これまで3日間、客の反応は絶賛の嵐だったが、そろそろ冷静な声も出てくるかもしれない。
『商売に100%の満足なんてありえない』
前世のコンビニでも、様々なクレームを経験してきた。
「ミアちゃん、もしお客様からご不満の声があったら、必ず私を呼んでね」
「ご不満?」
「値段のことや、商品のことで文句を言われるかもしれないの」
「そんな...みんなすごく喜んでくれてるのに」
ミアちゃんは純粋に驚いている。
「全員が満足するのは難しいのよ。でも、誠意を持って対応すれば必ず理解してもらえるから」
『問題は対応の仕方』
クレーム対応は、逆に信頼を深めるチャンスでもある。
◇◇◇
午後11時30分。
開店30分前に、すでに数人の客が店の前で待っていた。
常連の衛兵ハンスとベルト、冒険者の何人か、そして見覚えのない中年男性。
「今夜も忙しくなりそうですね」アンナが準備を確認している。
「ええ。でも準備は万全よ」
おにぎり40個、スープ20杯分、各種お菓子と飲み物...
今夜こそは完売せずに済むかもしれない。
0時の鐘が鳴って、開店。
「いらっしゃいませ!」
ミアちゃんの元気な声で、いつもの夜営業が始まった。
◇◇◇
最初の30分は、いつも通り順調だった。
常連客たちが次々と来店し、お馴染みの商品を購入していく。
「ハンスさん、いつものスープとおにぎりですね」
「ああ、頼むよ。今夜も寒いからなぁ」
「ベルトさんは甘いお菓子も追加ですか?」
「そうそう、夜勤の後半は甘いものが欲しくなるんだ」
ミアちゃんの接客も板についてきた。
客の好みを覚えて、的確にオススメできるようになっている。
『成長してるわね』
そんな和やかな雰囲気の中、問題の客が入ってきた。
開店前から待っていた見知らぬ中年男性だ。
「いらっしゃいませ」
ミアちゃんが挨拶すると、男性は無愛想に店内を見回した。
「ふん、噂の店がこれか」
明らかに好意的ではない口調だった。
◇◇◇
男性は商品を一つ一つ手に取りながら、値段を確認している。
「おにぎり一個15銅貨...」
「スープ一杯20銅貨...」
「飴玉一個2銅貨...」
そして突然、大声を上げた。
「なんでこんなに高いんだ!」
店内が静まり返った。
他の客たちが振り返る。
「ぼったくりじゃないか!普通の握り飯なら5銅貨もあれば買えるぞ!」
男性の怒声が店内に響く。
『ついに来たわね』
私は心の準備を整えて、男性に近づいた。
「申し訳ありません。理由を説明させてください」
「理由?高いものは高いだろう!」
「はい。でも、その価格には理由があります」
私は冷静に対応した。前世での経験が活きている。
◇◇◇
「まず」私は男性に提案した。
「実際に商品を比較していただけませんか?」
「比較?」
「普通の保存食と、うちの商品を食べ比べてみてください」
私は男性が持参していた干し肉と固いパンを指差した。
「それと、こちらのおにぎりとスープ。まず味を確認してみて」
「味なんてどうでもいい。問題は値段だ」
「でも、お腹を満たすのが目的なら、満足度も重要ですよね?」
男性が渋々頷く。
「試食は無料です。損はさせません」
私はおにぎりを小さく切って差し出した。
「ちっ...」
男性が不機嫌そうに一口食べる。
そして、表情が変わった。
「...うん?」
明らかに困惑している。
「全然違うじゃないか」
◇◇◇
「どこが違いますか?」私は質問した。
「えーっと...」男性が困っている。
「塩加減?」
「ああ、そうだ。塩が丁度いい」
「米の食感は?」
「ふんわりしてる。いつもの握り飯はパサパサだが...」
「満腹感はいかがですか?」
「...確かに、こっちの方が満足感がある」
男性が素直に認めている。
「今度はスープを試してみてください」
温かいスープを差し出すと、男性が恐る恐る飲んだ。
「あったかい...」
思わず呟いた。
「夜勤で体が冷えている時に、温かいものはいかがですか?」
「...正直、ありがたい」
「この温かさと、先ほどの干し肉と水...どちらが仕事の活力になりますか?」
男性が考え込んでいる。
◇◇◇
私は畳み掛けるように説明を続けた。
「価格の違いは、価値の違いです」
「価値?」
「深夜に温かい食事を食べられる価値」
「時間を節約できる価値。握り飯を自分で作る手間を考えてください」
「満足感の価値。美味しいものを食べた時の幸福感」
「そして安全性の価値。清潔な環境で作られた、新鮮な食材の安心感」
男性が真剣に聞いている。
「これらすべてを含めて15銅貨です」
「普通の握り飯との差額10銅貨で、これだけの価値を提供しています」
私は前世のマーケティング知識を総動員して説明した。
「そういうことか...」
男性の表情が和らいできた。
「確かに夜中にこれは助かる」
「ありがとうございます」
◇◇◇
男性はしばらく考え込んでから、おにぎりとスープを購入した。
「一つ聞きたいんだが」
「はい」
「なんでこんなに説明してくれるんだ?普通なら『嫌なら買うな』で終わりだろう」
「お客様に納得していただきたいからです」
「納得?」
「価格に疑問を持たれるのは当然です。でも、理由を知っていただければ、きっと価値を感じてもらえると思って」
男性が感心したような表情を見せた。
「そうか...商売ってのは、押し売りじゃなくて説得なんだな」
「はい。無理に買っていただく必要はありません。価値を感じた時だけ購入していただければ」
「すまなかった、君の言う通りだ」
男性が頭を下げた。
「最初から文句を言って」
「いえいえ、疑問を持たれるのは当然です」
◇◇◇
男性が帰った後、店内の雰囲気が一気に明るくなった。
「すげぇな、あんなに怒ってた人が最後は謝ってた」
ハンスが感心している。
「リリアーナさんの説明、俺たちも勉強になったよ」
ベルトも頷いている。
「確かに、値段の理由がよく分かった」
冒険者の一人が言う。
「俺たちは美味しいから買ってたけど、改めて価値を考えると納得だ」
他の客たちも同意している。
『逆に信頼が深まったかも』
クレーム対応が、かえって客との関係を強化した。
「ミアちゃん、見てた?」
「はい!すごく勉強になりました」
ミアちゃんが興奮している。
「クレーム対応って、お客様に価値を伝える機会でもあるんですね」
「そうよ。怒っているお客様ほど、真剣に話を聞いてくれるものなの」
◇◇◇
翌夜、例の男性が再び来店した。
「こんばんは」
今度は穏やかな表情だ。
「いらっしゃいませ」ミアちゃんが笑顔で迎える。
「昨日はすまなかった」
「いえいえ、こちらこそ」
「実は友達にも話したんだ。『最初は高いと思ったけど、理由を聞いたら納得した』って」
「ありがとうございます」
「それで、今夜は友達も一緒に来たんだ」
男性の後ろから、3人の男性が現れた。
「噂の店はここか」
「本当に夜中に温かいものが食べられるのか?」
「値段の理由も聞かせてもらいたい」
新規客の獲得だ。
『口コミで広がってる』
しかも、価格への理解も含めた口コミ。これは質の高い客になりそうだ。
◇◇◇
その夜の営業終了後、クレーム対応について振り返った。
「今日の対応、どうだった?」
「完璧でした」アンナが答える。
「論理的で、でも相手の気持ちにも配慮していて」
「ミアちゃんはどう思った?」
「最初は怖かったです」ミアちゃんが正直に答える。
「でも、リリアーナ様の対応を見て、クレームって悪いことじゃないんだなって思いました」
「どういうこと?」
「お客様の疑問に答えることで、より深く理解してもらえる。そして、それが信頼に繋がる」
「素晴らしい理解ね」
ミアちゃんが短期間でここまで成長するとは思わなかった。
「これからも、様々なお客様がいらっしゃるでしょう」
「はい」
「でも、誠意を持って対応すれば、必ず理解してもらえる」
「分かりました!」
◇◇◇
翌朝、昨夜のクレーム客が日用品を買いに来た。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
昼間の営業も細々と続けていたのだ。
「実は昨夜、家内にも話したんです」
「そうなんですか?」
「『あの店は値段が高いけど、理由がちゃんとしてる』って」
「ありがとうございます」
「それで家内が『そんな誠実な店なら、日用品も買ってみたい』と」
石鹸とタオルを購入してくれた。
「今度は家内も夜営業を見に行くと言ってます」
「お待ちしております」
クレームが新たな客の開拓に繋がった。
『誠実な対応は、必ず返ってくる』
◇◇◇
午後、ガレオ村長が様子を見に来た。
「調子はいかがですか?」
「おかげさまで順調です」
「そうですか。実は気になることがあって」
「何でしょう?」
「一部で『値段が高い』という声があると聞いたので」
『村長の耳にも入ってるのね』
「はい。昨夜、そのようなご指摘をいただきました」
「どう対応されました?」
「価値について丁寧に説明させていただきました」
昨夜の経緯を詳しく報告した。
「なるほど...素晴らしい対応ですね」
ガレオ村長が感心している。
「実は、その方から話を聞いたんです」
「えっ?」
「『最初は文句を言ったが、説明を聞いて納得した。あの店は信頼できる』と」
村長がにっこりと笑った。
「これからも、そのような誠実な営業を続けてください」
「はい、必ず」
◇◇◇
夜、いつものように営業準備をしていると、ミアちゃんが質問してきた。
「リリアーナ様、クレームってまた来るでしょうか?」
「きっと来るでしょうね」
「怖くないですか?」
「最初は怖かったわ。でも今は違う」
「どうしてですか?」
「クレームは、お客様がもっと良いサービスを求めているサインなの」
「サイン?」
「そう。『もっと良くしてほしい』という期待の表れ」
ミアちゃんが真剣に聞いている。
「だから、クレームは改善のチャンス。お客様との関係を深めるチャンスでもある」
「なるほど...」
「怖がる必要はないの。誠意を持って対応すれば、必ず分かってもらえるから」
「はい!今度クレームが来たら、私も頑張って対応してみます」
『この子なら大丈夫』
ミアちゃんの成長が頼もしい。
価格への理解が深まったことで、客層もより安定してきた。
単に安いものを求める客ではなく、価値を理解して利用してくれる客。
これこそが、持続可能な商売の基盤だ。
『クレームも成長の糧になる』
追放された王女は、商売の本質をまた一つ学んだのだった。
そして、それを支えてくれるスタッフと客との信頼関係も、より深いものになっていく。
世界初のコンビニエンスストアは、今日もまた一歩前進していた。