063 運命を変える夏
7月に入った。学校はすでに2学期を終え、夏休みに入っていた。
章たちの学校は、高校の1年間を終えた時点ですでに本来の高校3年生までの学習カリキュラムを終え、2年生からは学校でありながら大学受験に備えた独自のカリキュラムに移行する。それは6年制の進学校ならではの特権だった。普通科はまず文系理系でクラス編成が行われ、1年間はそのまま過ごすことになる。しかし特進科は各学期毎の総合順位によって新学期のクラス編成が決まるため、毎回の定期テストに皆受験さながらの闘志を燃やしていた。その闘志の原動力は自身の夢を掴むためであることが大半でありそれが当然と思われがちだが、一部の生徒には稜太のように受動的な生徒もいて、そういった者たちは気持ちが充分に及ばないこともありどうしても結果に結びつけることが困難になり始めていた。
章はあゆみを悲しませない(怒らせない)ために、そして詩帆もこれまでと同じくThree Booksの活動の足を引っ張らないために、2人は再び二人三脚で何とか二桁台の順位を保っていた。しかし稜太は逆にこれまで一桁を維持し続けてきた順位を一気に落としてしまい、それはとても上位と言えるものではなかった。章も詩帆も追い込まれる状況で1学期を終えた稜太のことをとても心配していた。
8月、そんな彼らに思いがけない話が飛び込んだ。それは章へのカズさんからの電話で知らされた。
「もしもし。」
"おぉ、章。今電話大丈夫かぁ?"
「カズさん、どうも。はい、大丈夫ですよ。」
"あんなぁ、章。今月またそっちで歌わせてもらうことになったでぇ。"
「え?そっちって?」
"東京や。んでもって今回は渋谷。"
「渋谷?!」
"おぉ。多分おまえの楽曲提供の影響やな。"
「俺の?」
"おぉ。あれからじわじわとやけどなぁ、客層の幅が広がってきてん。今回もあっちからオファーがあったくらいで、正直わてらも驚きやぁ。"
「へぇ…。」
寝耳に水とはまさにこのことかと、章は想像もしていなかった展開に未だ頭が追いついていなかった。
"ま、そゆことやから、今回のライブは規模もデカいし、おまえさんの楽曲ぎょうさん盛り込むつもりやけど、えぇかなぁ思ぉて一応聞いてみたわけや。"
「え、うん、いいと…、思う。」
"なんやおまえもっとハッキリせんかい!!いやダメぇ言われたところで使わせてもらうわッ!"
「なんなんそれ…。」
"ハッハッハッ!ぬるいッ!!あの小娘くらいもっとがぁ!!っと来いや!」
「…。」
「っんとにもぉ、おまえは感性は若々しいのに反応はおっさんよりもおっさんやな…。ま、そういうことや。ほなまた詳しいことは追々メールするわ。"
伝えたいことを言うだけ言うと電話は切れた。カズさんとの電話が終わると、いつもその後はより一層の静寂に包まれる。章はまだ少し頭がぼぉっとしていた。しかしやがてじわじわと湧いてくるこの高揚感を1人では抑え切れなくなり、章はすぐさまThree Booksのメンバーにも知らせようと思った。しかし今の稜太の状況を思うとそれは憚られ、結局章はその内容を、オイスターズが今月渋谷でライブをすることになったことだけに留めた。
渋谷でのライブはさすがに単独ではなかった。とあるライブハウスで行われるイベントに、オイスターズは第一部のスペシャルゲストとして出演することになっていた。そして8月最後の日曜日、その日はあっという間にやって来た。
「こんちはー。」
稜太の第一声と共にla jetの入り口の開き戸が開き、その後章と詩帆が続いて入って来た。
「おぉ、稜太君、2人も…。いらっしゃい。」
「みんな、いらっしゃーーい。ちょうどこっちも今できたところよ。」
オイスターズの出演する第一部は16時開演のため、Three Booksは昼過ぎに一旦la jetに集合した。そしてそこであゆみと総一郎も共にお昼を済ませ、そこから一緒にライブハウスまで行くことになっていた。早速彼らは2人の手料理でまずは腹を満たすことにした。
「今日は朝から休みにしてたんですか?」
「いや、一応さっきまでは営業してたんだ。でも悪いが今日はもう俺も楽しませてもらうよ。」
「え、たまにはいいんじゃないっすか。なぁ?」
稜太は章たちにそう促すと、2人はうんうんと頷いた。
「マスターも昔はよくライブハウスとか行ってたんですか?」
「まあね。」
「だってそれがそもそもお父さんとお母さんの出会いのきっかけだし。」
「え、そうなんですか?!」
「まぁまぁその話はまた今度。さ、あまりゆっくりもしてられないから、ささっと食べちゃおう。」
「はーい。」
稜太は会話が途切れないよう積極的に話題を振っていた。しかし章たちにはそれが何だか空回りしているように思えて仕方がなかった。そして先月からパタリとla jetに来なくなっていた稜太と今日久々に再会した総一郎は、稜太がまた以前にも増してヤツれているように見え、それがとても気掛かりだった。
その後も雑談で盛り上がるも、5人は本来の目的のためにいそいそと食べ終えると、そのまますぐ電車に乗り渋谷に向かった。
「稜太、ごめんね…。わざわざこっちまで来てもらっちゃって…。」
詩帆も稜太とはお盆に章とあゆみの4人で花火を観に行くくらいしかこの夏は会えていなかった。そのため詩帆もやはり稜太の見た目の変化に少し戸惑っていた。
「いやぁいいんだよ。俺もここからみんなと一緒に行きたかったし。」
稜太は混み合う電車の中ちゃんと詩帆に聞こえるように、耳元で優しくそう告げた。詩帆は稜太のいつもはっちゃけたガキんちょの合間にちらっと見せるちょっとした大人っぽい雰囲気の稜太が好きだった。
渋谷が近づくにつれ、車内はさらに混み合っていくように感じた。そして電車が渋谷に着くと人々は一斉に降りていき、詩帆たちも流されるようにその流れに身を委ねた。そんな中、稜太は真夏にも関わらず着ていたパーカーのフードを思い切り深く被ったので詩帆はそれに少し違和感を覚えながらも、視界が悪くなり自分を見失わないようにと稜太の右腕をぐいっと自分に引き寄せ、ピタリとくっついて歩いた。そしてそのまま3人の後に続いた。
改札を出ると街はやはりごった返していた。4人は総一郎を先頭に団子のように続き歩いた。スクランブル交差点を渡り、そしてそのまましばらく歩き続け、5人はようやく無事目的のライブハウスに到着した。その建物の外観は至ってシンプルだった。もっとギラギラしたブロードウェイのようなものを想像し気負っていた詩帆にとっては思い描いていたイメージとはほど遠く、そのギャップに思わず肩透かしを食らってしまうほどだった。
「さあ、行こう。」
そしてこれまた総一郎のまるでこれから美術館にでも行くような優しい声でそう言うので詩帆は若干混乱しかけたが、扉の向こう側に進むとやがて異世界の空間に来たことを実感した。
ホールへと続く暗くて狭い通路を進んでいくにつれてじわじわと、防音対策を施しながらもそれでは抑え切れない低音からなる独特の振動が、壁や空気を伝って身体に直接訴えかけて来ていた。そしていよいよホールへと足を運ぶとそこは構造こそla jetのミニスタジオと変わりはないのだが広さはその何倍もあり、天井も高く、それはそれは大きな"箱"だった。壁はすべて真っ黒で奥には立派なステージがあった。すでにだいぶ人も入っていて、爆音とまでは行かないまでもそこそこの音量でBGMも流れており、詩帆たちは互いの顔を近付けないと何を話しているのか聞こえないほどだった。稜太はもうフードを外していた。周りのオーディエンスたちはすでに準備完了といった雰囲気で、これから始まるライブを今か今かと待ち望んでいる様子だった。
章も詩帆も稜太もライブハウスに来たのは初めてだが、周りから見ても彼らが新参者であることは一目瞭然だった。しかしライブが始まりだんだんとその雰囲気に馴染んでいき、気付けばオイスターズのライブが次に迫っていた。




