064 新たな領域
「どぉもー!!オイスターズですぅーー!!」
カズさんの元気な掛け声に、観客たちは皆歓声や拍手など各々の形でウェルカムの反応を示した。
「今これ聞いて広島出身と思ぉたヤツ!ちゃうでー。わてらは普段神戸を拠点に活動しよるんやけど、ご縁あってたまにこうやってね、東京でも歌わせてもらってますー。最近はね、わてらのこと「おっちゃんズ」とか言いよる小娘がおんねんけどもな、まぁわてらは結成当時から、"老いてもスター!!"これをモットーにやってきおったさかい、まぁあれからかれこれ35年ちょっとやな、当たらずとも廃れず?!、何とか細々とやってますぅ。そやけども、まぁここまで続けてこれたんは、やっぱ歌が好きだから、そして音楽が好きだから、それに尽きるなぁ。でもあれやで、それもこれも、続けられる環境と仲間がおったからで、それにはほんま感謝しとりますぅ。」
観客からは小さな拍手が沸いた。カズさんは続けた。
「なぁんかさっきかんなぁ、あっちの方からつまらんお喋りはもぉええから早よ歌え!!っちゅう視線をビシビシ感じるさかい、おっちゃんトークはもうこのへんにしときますぅ。」
「もぉ待ちくたびれたでおっちゃーーーんッ!!!」
詩帆がカズさんに応えるように遠くから精一杯のエールを送った。カズさんも片手を上げそれに応えた。
オイスターズはやはりベテランだった。観客の気持ちの運び方がうまかった。オイスターズにとってはほぼアウェイで間違いないはずで、加えてその日ステージに顔を連ねる他のバンドたちとは明らかに世代が異なったが、決してふんぞり返ることもなく、物怖じすることもなく、皆互いをリスペクトしていた。やがて前半のステージを歌い終えると、クールダウンも兼ね再びカズさんのトークタイムが始まった。
「いやーみなめっちゃノリええな。
めちゃ気持ちぃーーー!!!」
するとオーディエンスもカズさんに続いて皆各々に歓声を上げ答えた。
"フォーーーッ!!"
「渋谷最高ぉーーーッ!!!」
"フォーーーッ!!!"
ボルテージはMAXに達したかのように思えた。しかし今日のオイスターズのステージはまだまだこれからだった。
「実はな、わてら東京にはちょいちょいご縁があってだな。最近はなんと、わてらに楽曲を提供してくれるマブダチができてな!いや、違うか。元々のマブダチが、わてらに楽曲提供してくれるようになったんか。」
「どっちでもえぇわ。」
トシさんが後ろからぼそっと突っ込んだ。
「せやな。んでもってそのマブダチっつーのがまだまだオシメがようやく外れたくらいのガキなんやけども、今夜がなんと、そいつの楽曲の東京初お披露目記念日となりますぅーーッ。」
それを聞いたオーディエンスの中には"なんだ?それ"と少し戸惑う表情をする者もいたが、大半が温かく拍手や歓声で答えた。
「んでな、今夜はさらに特別や。そのマブダチが愛してやまない歌声の持ち主を紹介するッ!」
"はッ?!"
それはつまり稜太のことだと、箱の隅っこで聞いていた章たちは一斉に稜太の方を見た。
「え?俺?!」
「いや、おまえしかいねぇよ。」
「え、でも俺なんも聞いてないけど…!」
そんなやり取りをしている背後では、カズさんがどんどん聴衆を煽り再びボルテージを上げていた。
「いやいやいや、ちょっと待って。俺ほんとマジで…。」
しかし曲はすでに流れ始め、カズさんのラップのような曲紹介が始まっていた。その曲はデモに稜太の声を入れて収録していたので、稜太も当然歌詞を知っていた。しかし稜太はまだ状況が飲み込めず、困惑した面持ちが全身を包み込んでいた。しかしカズさんの、ステージからマイクを通さない生の叫び声が耳に届くと、稜太の時間はその瞬間にピタッと止まった。
「来いッ!!稜太ッ!!!
おまえはこっち側の人間やッ!!!!」
それを聞き、稜太は1人静寂に包まれた。それは何とも言えない不思議な感覚だった。周りの騒音は全て消え、景色はスローモーションのように見えた。まるで自分だけが別の世界にいるようだった。そしてこれまでの章たちと過ごしてきた出来事が次々とフラッシュバックのように思い起こされ、次第に頭にある思いがよぎった。
(もし…、もしこれで…、俺のこの一歩で、また新たに世界が変わったとしたら…。)
すると、次の瞬間稜太にスイッチが入った。そしてその顔からは、もう迷いは消えていた。瞳には章とは違う別の色の光りがハッキリと宿っていた。稜太は自身の右腕にしがみついている詩帆からするりと抜けると、背中に垂れたフードに手を伸ばし今一度ふわっと深く被った。そしてゆっくりと、ゆっくりとステージの方に向かって歩き出した。
(稜太…?)
詩帆はこちらを顧みることなく突然歩み出した稜太の後ろ姿を不安げに見つめていた。なぜかとても嫌な予感がした。どんどん自分から離れていく稜太が、もしかしたら、もう二度と自分の元には帰ってこないような、なぜそう思うのかは分からないが、そんな言いようのない不安でいっぱいになった。しかし稜太を引き止めることはできなかった。止めるべきだと、頭の中では警告音がけたたましく鳴り響いているのに、身体が動かなかった。言葉にならない感情がぞわぞわと身体中を支配する中、ただじっと稜太の後ろ姿を見つめていた。
肩と肩がぶつかるくらいにその箱の中は人が溢れていたが、稜太が進もうとするステージまでの道のりは、じわじわと一直線に人がはけていった。今の時点では何者かも分からないその男からは目に見えるほどのオーラがみなぎり、その凄みが次々と進む道を作った。稜太はフードの中から視界のギリギリに映るステージ上のマイクをただ一点に見つめながら歩き続けた。そのすぐ脇では稜太の参戦を促すカズさんのMCが、いよいよクライマックスを迎えていた。
「その名を覚えろッ!!
耳に刻めッッ!!!
『R』『Y』『O』!
RYOーーーッ!!!!!」
そのコールとほぼ同時に稜太は正面からステージに飛び上がり、そのままマイクをかっさらうと次の瞬間稜太の歌声が一斉にその箱の中を染めた。その声はいつもla jetのミニスタジオでスピーカーを介して聞く稜太の声とはまるで格が違った。
稜太はこれまで蓋をし押さえ込んできたものが一気に堰を切ったかのようにものすごいエネルギーとなって爆発していた。完全なる我流ではあるが、詩帆や章がたたき上げた稜太のその歌声を、いったい誰が過去に想像しただろうか。声変わりを終えたその声は、もはや七色の光を放つこれまでに見たこともない宝石のようだった。さらにその宝石には、無自覚に輝き方を操ることができる感性が宿っており、そこから生まれる歌声はまさに変幻自在だった。
稜太は時に喉から血を搾り出すような歌声で、首筋にはくっきりと血管が浮かび上がっていた。それは演技では到底成し得ない、そこに魂が宿っていなければ決して生まれることのない歌声だった。オーディエンスの視線は稜太に釘付けとなり、思わず我を忘れ仁王立ちとなり聞き入る者もいた。それは間違いなく稜太がまた新たな領域に足を踏み入れた瞬間だった。
カズさんと掛け合いながら最後にバラードも歌い上げ、オイスターズと稜太のステージは終わった。するとにわかに箱の中には稜太を称賛するコールが鳴り響いた。
「『R』『Y』『O』ッ!」
「『R』『Y』『O』ッ!!」
「『R』『Y』『O』ッ!!!」
「『R』『Y』『O』ッ!!!!」
稜太はそれに応える余裕などなく、すぐさまステージから飛び降りると、いそいそと先ほど来た道をそのまま章たちの方に向かって歩き始めた。しかし今度はなかなか前に進むことができなかった。彼に心を奪われたオーディエンスたちがこのチャンスを逃すまいと寄ってたかって押し寄せてきたからだ。中にはまだ深く被ったままのフードを剥がそうと後ろから引っ張ろうとする者もいて、箱の中はちょっとしたパニック状態になってしまった。そんな稜太を総一郎と詩帆が助け出し、5人はすぐにライブハウスを後にした。そしてそのまま道玄坂に出るまで足を止めることなく駆け抜けた。詩帆は今確かに稜太が自分のすぐ隣りにいることを実感するために、再び稜太の右腕にしっかりとしがみついていた。そのまま5人はもう一度la jetまで一緒に戻った。
「ほんと…、すごかったね…。」
みんなはもう疲れ果て、詩帆のその言葉に誰も反応しなかった。各々は店内の椅子に座り込みもはや放心状態になっていた。そんな中あゆみだけは忙しなく動き回り、すぐにみんなに飲み物を用意した。
「…ありがとう。」
「…、ありがとうございます。」
「稜太君、大丈夫…?」
「はい…。」
稜太は身体はここにあるのに今目に浮かぶ映像も耳に聞こえる音もまだあのライブハウスの余韻に浸っているようだった。無理もなかった。
「ったくオイスターズのヤツ、とんでもないことをやってくれたな。あれはしばらく出禁になるぞ。」
「え…。」
「そうね、仕方ないわね。」
すると稜太の顔がみるみると不安に陥ったため慌てて総一郎がフォローした。
「稜太君は大丈夫だから気にすることはないよ。それに相当盛り上げてくれたし。オーディエンスたちもいい意味で裏切られて、もう最高のステージだったんじゃないかな。」
「はい…。」
「稜太、ステージの上からの景色はどんなだったんだ?」
ようやく会話らしい会話ができるようになったところで章が尋ねた。
「うん…。」
稜太はつい先ほどの自身の体験を振り返っていた。
「すごく…、気持ち良かったよ。あぁ、俺は確かにここに存在しているんだって、そう思えた…。」
(みんな俺のことを見ていた。俺の声にリアルに反応していた。俺自身に共鳴して、シンクロしていた。)
「章…、俺、」
稜太が何かを言おうとしたその時だった。突然店の入り口の開き戸がけたたましく開き、1人の男が飛び込んで来た。




