044 新しい日常 - 章&詩帆 -
第二章は回想シーンです。詩帆と章とあゆみ、そして稜太の過去が明らかになります。
「詩帆!ピースはやめて。」
「えーーー…。」
「それから足も閉じて。」
「あぁ?もういーから早く撮って。後ろ並んじゃってるよぉ。」
「ほらほら詩帆ちゃーん、章も!2人とも笑ってぇ!」
"カシャカシャカシャッ"
桜の花びらが舞い散る中、校門に設置された入学式を知らせる立て看板の周りにはたくさんの親子が集まりそして賑わっていた。入園式、そして小学校に続く2回目の入学式も、その記念写真は滝本家と橋本家合同での撮影となった。美帆は小学校の時の入学式の写真が、詩帆が勇ましく仁王立ちしていたことに後から気付き相当凹んだので、今回はそれを無事に阻止することができ、この時点で今日の任務の8割を終えた気分になっていた。
2006年4月、詩帆と章は中学生になった。2人揃って中学受験をし、正確には詩帆が受けると言った学校を章も受験し、これからの6年間を2人はこの学舎で過ごす。そのきっかけは今から約2年前、詩帆と章がまだ小学5年生の頃のことだった。
「あーもぉー宿題終わんない。っていうか分かんない…。っていうかもう行かなきゃじゃんッ!!!」
「えーあゆみちゃん今日も塾なの?せっかく来たのにぃ…。」
慌ただしく荷物をまとめたあゆみは、目の前のオレンジジュースの残りを一気に飲み干した。
「ごめんね、でも私、受験生だから…。じゃ!行ってきますッ!」
それだけ言うと、あゆみはお店の入り口から出ていき一瞬にして姿が見えなくなった。
「もうあと半年の辛抱だよ。」
そう言うと総一郎は、カウンターに座っている詩帆と章にもオレンジジュースを出した。しかし詩帆はそれを口にするよりも先に総一郎に尋ねた。
「受験て何のために必要なの?みんなやらなきゃいけないの?」
「あゆみは中学受験をしなかったからなぁ。そうなると、高校受験は絶対にやらなきゃいけなくなるね。」
「中学受験すると、高校受験はやらなくていいの?」
「まぁ受ける学校にもよるけど、中高一貫に入れれば、高校受験はやらなくて済むなぁ。ちなみに詩帆ちゃんや章君ちの近くにあるあの学校は、中高一貫校だぞ。」
「え!なんて学校!?」
「いやいやあそこは偏差値が高過ぎて、今から準備するんじゃ到底間に合わないよ。」
「偏差値って何!?」
「…。」
永遠に質問が続きそうで、総一郎はアイコンタクトで章にヘルプを求めた。すると章は言った。
「頑張った分だけもらえるポイントみたいなもんだよ。」
(なんじゃそりゃ?!)
総一郎が目を丸くして驚くのとほぼ同時に、詩帆は食いつくように言った。
「何それ面白そう!!!じゃあ私そこ受験する!」
総一郎は余計なことを言ってしまったような、しかしもしこの時教えなかったら後で絶対に責められそうな、だがまさか本当に受験するなんてことにはならないだろうと鷹を括っていたのだが、それからしばらくして2人はパタリと総一郎の喫茶店に来なくなった。本当に受験することにしたのだ。
滝本家は案の定、"いいんじゃない?"の一言で終わり、橋本家はさすがに悩んだようだが、
"あそこに入れれば文句なし。まぁこれも経験だ。"
と、本人のやる気を尊重した。
5年生の夏期講習にギリギリ滑り込む形となって始まった受験生活は、2人で頑張るは頑張るのだが、側から見ているとそれは章がマンツーマンで詩帆をサポートするという不思議な二人三脚で、もう小学校のこと以外は受験に全振りする勢いで取り組んだ。詩帆は、その"頑張った分だけもらえるポイント"の値がどんどん増えていくのが楽しくて嬉しくて仕方がなく、それは負けず嫌いの性格がさらに拍車をかけ彼女を後押しした。そしてあゆみは無事志望校の高校に、その一年後に詩帆と章も無事、自宅の最寄駅から一駅隣りにある中高一貫校に合格したのだった。
そしていよいよ新しい学校生活が始まった。しかしそう時間が経たないうちに、ちょっとした問題が起きた。それは詩帆と章が故に招いた事態だった。
詩帆はマイペースの度が過ぎてなかなか友だちが出来なかった。加えて章とクラスが同じになり、章とは彼の諸事情により登下校も一緒だったため、必然的に2人はほとんどの時間を共に過ごすことになった。するとそんな詩帆のことをあまりよく思わない女子が現れ始めたのだ。
(あの2人、いったいどんだけ一緒にいたら気が済むの…?)
いつしかそんな影口が普通に耳に入ってくるのが日常となっていた。しかし詩帆はそれを全く気にしていなかった。だがそれらがいよいよ個から組織なるものへと変化しそうになった時、章はそんな輩を瞬殺した。事態は事なきを得た。しかしそれは詩帆に限りの話だったわけで、2人はいよいよクラスでも居心地が悪くなり、いつしか詩帆と章は休み時間などは教室を抜け出し、いつもほとんど使われていない旧校舎の音楽室で過ごすのが新しい日常となった。
年が明けた1月、2人は13歳になっていた。その日の昼休みもいつものように、2人は音楽室で過ごしていた。その頃章は、詩帆が無造作に弾く即興から得たインスピレーションで作詞作曲をするのが趣味で、それを詩帆にヒィードバックし歌を歌ってもらうのが一つの楽しみになっていた。しかし詩帆はそれを少し鬱陶しく感じていた。
「んもぉーしつこいなぁ。ピアノを弾くならいいんだけど、歌うのは嫌ッ!」
「…、詩帆の声綺麗じゃん。」
「褒められたところで嫌なものは嫌。」
最近は毎日このやり取りばかりで詩帆はいい加減うんざりし始めていた。
しかしそんな矢先、その新しい日常に一つの変化が起きた。2人のところに突然1人の男子生徒が現れたのだ。この音楽室に誰かが訪ねてくるなんてことはもうここ久しくなかったため、2人は驚いた。その男子生徒はドアの辺りに立ったまま、こちらの様子を申し訳なさそうに伺いながら言った。
「あの…、いつもここからピアノの音が聞こえて来てずっと気になってたんだ。でもどれも聞いたことがない曲ばかりだからもしかして2人で作ってるのかなって…。」
男子生徒は、そのセリフを何度も練習していたかのような、少し早口で棒読みに言い切った。そしてそう言い終わると、次に出てくる詩帆や章の反応を、若干おどおどした様子で伺っていた。すると詩帆は言った。
「ねぇ!あなた歌える??」
「え…?」
自分が質問した立場なのにそれは完全にスルーで、反対に唐突な質問を返され男子生徒は少し困ってしまった。すると詩帆はさらに畳み掛けるように続けた。
「音楽は、得意?楽譜って読めるかな??」
「え…、えぇっと、読めるは読めると思うけど…。」
「じゃあこれ歌ってみて!!」
「えぇ…。」
男子生徒は、その強引な詩帆にかなり引いていた。するとその様子を見ていた章は、彼の方を見ながら目を細めてゆっくりと首を横に振った。
(分かる、分かるよ。君の気持ちは痛いほど…。でももう君は逃れられない。)
章のその眼差しに、その男子生徒は何かを悟った。そして彼はとりあえず章から楽譜を受け取ってみることにした。しかしそれを手にした彼は、その楽譜を見て驚いた。それは鉛筆で殴り書きとも言える筆跡で書かれていて、自分が想像していたものよりも遥かに本格的だったからだ。彼は今までこんな楽譜を見たことがなかった。そして彼は思った。
(これは…、自分も真剣に歌わなければ。)
楽譜がその男子生徒の手に渡ったことを見届けると詩帆は言った。
「音程が分からなかったら私が弾くから。それを真似てみて。」
「…うん、分かった。」
その男子生徒はそう答えたが、詩帆はその返事も聞かずに思いの丈ピアノを弾き始めた。するとピアノの音が、その部屋いっぱいに響き渡った。
(えっ?!ピアノの音って、こんなに大きかったっけ…?!)
その男子生徒は今まで抱いていたピアノの音とあまりにも印象がかけ離れていたので、その出だしに思わず面食らってしまった。とても両の手のひら10本の指で奏でているとは思えないような、次から次へと音が重なり合って、まるで見えない空気に押しつぶされてしまいそうな状況だった。詩帆はそんな彼に全くお構いなしで、さらにその中で主旋律をより強調して弾き歌を先導した。彼はその勢いに飲み込まれるかのように歌い始めた。
「えぇ!声が小さい!!もっと!お腹から声を出して!!」
煽る詩帆にその男子生徒はタジタジだった。しかし次第にもう何かが吹っ切れたかのように、おへその下から声を出し、堂々と歌い始めた。しかし詩帆は容赦なかった。
「まだまだッ!」
するとその詩帆にぐいぐいと導かれるように、その男子生徒ももはや羞恥心など脱ぎ捨てて、本気を声に乗せ応えた。それを聞いていた章は、その歌声に他とは違うものを感じた気がした。
1番らしきところを歌い終わると、詩帆はピアノを弾いている手を止め男子生徒のところに駆け寄り、思わず正面から両手を握った。
「あなた、すごくいい声してるね!!歌のレッスンとか受けてるの?え、もしかして大物歌手の息子とか?!」
「詩帆。」
そこまで言うと章が割って入ったため、詩帆はようやく我に返りおさまった。するとちょうどそこで昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「あなた!名前は?」
そう言った詩帆の目はとてもキラキラしていた。
「…稜太。杉本稜太。」
「ねぇ、明日もここに来て!章!歌はこの人にお願いしよ!稜太君、これからどうぞよろしくね!!」
そう言うと、詩帆は楽譜を持って嵐のように音楽室を1人で出て行ってしまった。
脳内処理が追いついていない様子の稜太に、ごめんと言わんばかりに章が苦笑した。
「大丈夫か?」
「…うん。」
すると章は続けた。
「きみって、あの昭和総合病院の息子だよね?」
「…、あぁ。」
章にそう尋ねられると、稜太は少し目を伏せて、そう一言だけ答えた。すると章は言った。
「ここはそういう学校だもんね。」
"そういう学校"とは、この学校はこのエリアでは指折りの進学校であり、難関大学への合格者も毎年そこそこ輩出していた。加えて中等部からすでに普通科の他に特進科もあって、そこには将来医学部を目指す学生たちが今から切磋琢磨していた。
「俺は滝本章。」
握手を求めるような仕草をして章は自己紹介をした。するとその手を見ながら、
「知ってる。」
と答えた稜太は自らも右手を差し出し、ガシッとその手を握った。もう入学してから9ヶ月が過ぎ、そこら辺はもはやお互い様だった。
「ごめん、あいつは本当に分かってないんだ。そういうの、全く興味がなくて…。」
「だろうね。大丈夫、全然気にしてないよ。」
稜太は言った。そして2人も音楽室を後にし、それぞれの教室に向かうため廊下を歩き出した。章は尋ねた。
「明日も来るの?」
すると稜太からは意外な答えが返って来た。
「放課後もまたいるでしょ?だったら今日また来るよ!じゃあな!」
そう言って稜太は走り出し、その場を先に去っていった。一人置いてきぼりになった章は、少し目を見開いたまま彼が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。




