第39話 特別な日
「……朝か」
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
枕元の置いてあるスマホを手に取って画面を覗くと七時半過ぎ。
眠い目を擦りながら身体を起こし、寝ぼけたままの頭で部屋を見回す。
「……夏鈴?」
昨夜は夏鈴と一緒にこのベッドで寝たはず。
一瞬夢だったんじゃないかと思ったけど、隣に夏鈴が寝ていたスペースが空いている。そっと手を添えると、わずかに夏鈴の温もりが残っている気がした。
「まさか——」
なにも言わずに帰ったのか?
ベッドからお飛び起きてリビングへ向かう。
ドアを開けると、炊き立てのごはんの香りが漂っていた。
「おはよ。りっくん♪」
「お、おお……おはよう」
キッチンにはエプロンを着けた夏鈴の姿。
まるで何事もなかったかのように鼻歌交じりに上機嫌。
笑みを浮かべながらフライパンを手に料理を作っていた。
「もうすぐ朝食の準備ができるから」
夏鈴の顔を見た直後、安堵と一緒に恥ずかしさが込み上げる。
「悪いな……お客さんなのに朝ご飯まで作ってもらって」
「気にしないで。ていうか、モジモジしてどうしたの?」
「いや、その……昨夜のことを思い出してさ」
「は、恥ずいから思い出させないで……」
「ごめん……」
さすがに夏鈴も恥ずかしいらしい。
「「…………」」
朝からピンク色の空気が二人を包む。
「もうすぐできるから、先に顔を洗ってきたら?」
「ああ。そうさせてもらうよ」
洗面所に向かい顔を洗いながらふと思う。
なんだろう……昨晩のことは色々さておき、朝起きると美少女が朝食を作ってくれているシチュエーション。いつか彼女ができて同棲したらこんな感じなんだろうか?
男子高校生なら誰しも経験のある妄想をしながら身だしなみを整える。
キッチンに戻ると、テーブルに出来立ての朝食が並んでいた。
「おおぉ……」
思わず感嘆の声を上げながら席に着く。
テーブルの上には焼き鮭と厚焼き卵の他、納豆とほうれん草のお浸し。
とても旅行前に消費しきれず冷蔵庫に残っていた食材と、冷凍庫に眠っていた鮭の切り身で作ったとは思えない。いかにも日本の朝食らしいバランスの取れたおかず。
まるで旅館か定食屋の朝食を思わせるような感じだった。
「昨日の朝はトーストだったから、今朝は和食にしてみたの」
「ありがとう。めちゃくちゃ美味しそうだな」
夏鈴はエプロンを外して向かいの席に腰を掛ける。
「じゃあ、食べよっか」
「ああ。そうだな」
「「いただきます」」
二人揃って手を合わせてから箸に手を伸ばす。
まずはお味噌汁を手にし、ゆっくりと口に運ぶ。
「……はああぁ」
一口飲んだ瞬間、思わずほっと息が漏れた。
寝起きの身体に染み渡るような薄めの優しい味。お味噌汁の塩分が全身を巡るような感覚を覚えると同時に、寝ぼけていた頭の中が徐々にクリアになっていく。
こうなると身体が追加で塩分が求めるもの。
続いて焼き鮭を箸でほぐして口に運ぶ。
「……うまぁ」
口から零れたのはなんとも雑な感想。
あまりの美味しさに語彙力を失くしていた。
「ほんと? 美味しい?」
「とても冷凍庫に眠っていた鮭とは思えないな」
お世辞抜きで、ちょっと信じられないくらいに美味すぎる。
身はほろほろだし、魚独特の臭みもないし、皮もカリっと焼き上がっている。俺が焼いて食べた時とはクオリティが違いすぎて同じ食材だとは思えない。
「マジで魔法でも掛けたのかと思うレベルで美味いよ」
「褒めてくれて嬉しいけど、さすがに大袈裟だって」
夏鈴は照れくさそうに笑う。
「前に莉乃さんから教えてもらったの。お魚を焼く時は塩を振ってすぐに焼くんじゃなくて、しばらく時間をおくといいって。そうすると浸透圧で余計な水分が抜けて上手に焼けるし、水分と一緒に生臭さが抜けて美味しくなるからって」
「なるほど……」
美味しさの秘訣は莉乃さん仕込みってわけか。
なんて納得しかけたけど、夏鈴が料理を教わるようになってまだ一ヶ月。教わったことを忠実に再現できるだけでもすごいのに、短期間でこんなに上達するなんて。
夏休みに入ってから毎日教わっているとはいえ成長が著しい。
勉強にもエロにも勤勉な夏鈴は料理も勤勉らしい。
「でも、厚焼き卵の方が自信作なんだ♪」
焼き鮭よりも自身があるとなれば期待も高まる。
さっそく口にした瞬間、言葉の意味を理解して笑いが零れた。
「確かに、これは夏鈴らしい一品だな」
というのも、笑っちゃうくらい激甘だったから。
チョコをはじめ甘い物に見境がなく、おやつ代わりに猫まみれのテーブルに置いてあったホットコーヒー用の角砂糖を食べ尽くす超甘党の夏鈴らしい味付け。
俺が笑っているから不安になったんだろう。
「ちょっとやりすぎたかな……?」
「いや。驚いただけで美味しいよ」
俺も厚焼き卵は甘い方が好きだから大丈夫。
むしろ焼き鮭が塩分強めだから甘すぎるくらいがちょうどいい。
こうして、歓談しながら夏鈴が作ってくれた朝食を味わう俺たち。
だけど、取り繕うような明るさは気まずさの裏返し。次第に会話は落ち着き、口数もすくなくなり、箸が食器に触れる音だけがキッチンに響き渡る。
このまま黙っていても始まらない。
「なぁ、夏鈴——」
核心に触れようとした時だった。
「りっくんの言いたいことはわかってる」
夏鈴が俺の言葉を遮るように言葉を被せた。
箸を置き、懇願するような瞳で俺を見つめながら続ける。
「りっくんには、本当のことを話すつもり。家にもちゃんと帰る。だから、あと一日だけ……明日まででいいから、なにも聞かずに一緒にいさせてほしいの」
「明日まで?」
なんで明日——?
疑問に思うよりも早く理由に気づく。
明日、八二十日は夏鈴にとって特別な日。
「……わかった。でも、お母さんは心配しないかな?」
「大丈夫。もともと二十日の夜に帰るって言ってあるから」
「わかった。じゃあ、そうしよう」
「ありがと……」
こうして俺はなにも聞かず明日まで一緒にいると決めた。




