第33話 深夜、夏鈴の弱音
その後、花火を終えてベッドに入ったのは十一時過ぎ。
みんなが寝息を立てる中、俺は独り寝付けずに寝がえりを繰り返していた。
別に眠くないわけじゃない。この二日間、海に公園に遊び尽くしたことで心地よい気だるさが全身を包み、むしろ身体は早く寝てくれと訴えている。
それでも眠れないのは、今朝から気になっていることがあったから。
早朝に浜辺を散歩している時、不意に夏鈴が時に見せた顔。
まるでガラスに亀裂が入るような衝撃的な表情。
あの顔が頭から離れずにいた。
「…………」
ふと枕元のスマホに目を向けると時刻は深夜の一時。
まいったな……心の中で呟いた時だった。
「——?」
ベッドから立ち上がる人影に気づく。
視線を向けると、テントから出ていく夏鈴の姿があった。
お手洗いにでも行ったんだろうと思っていたけど、十分以上経っても戻ってこない。その後も戻ってくる気配はなく、さすがに心配になり俺もテントを後にする。
「……どこに行ったんだろう」
穏やかな夜風を浴びながら敷地内を見回す。
すると、燃え尽きたキャンプファイヤーの前で座っている夏鈴を見つけた。
ゆっくり近づくと、難しい表情を浮かべながらスマホを覗き込んでいる。
俺はなるべく驚かせないようにそっと声を掛けた。
「……夏鈴」
「————?」
瞬間、夏鈴は画面を隠すように胸に抱える。
その表情は驚きよりも焦りの色が強く見えた。
「なんだ……りっくんか」
「驚かせて悪い。夏鈴が出ていくのが見えたからさ」
「心配して後を追いかけてきてくれたの?」
「まぁ……そんなところだ」
「ふふっ。ありがと」
ようやく夏鈴の表情に笑顔が戻る。
でも、その笑みがどこか力がなく見えた。
「眠れないのか?」
「花火でテンションが上がりすぎちゃったみたい」
「……本当にそれだけか?」
俺の一言に夏鈴の表情から笑みが消えた。
「……りっくんに嘘は吐けないか」
夏鈴は観念したように呟きながら顔を上げる。
夜空には夏の風物詩である天の川が燦然と輝いていた。
「少し……疲れちゃったんだよねぇ」
しばらく天の川を眺めた後、夏鈴がポツリと零し始めた。
「りっくんも知ってる通り、あたしは子供の頃から勉強ばっかりしてた。お母さんが教育ママで、両親が離婚してからさらに熱が上がっちゃって。小学四年の時に引っ越したのも、お母さんの実家の近くにある私立の女子通学校に通うためだった」
「そう言ってたな……」
「それだけじゃない。勉強するために部活に入るのも反対されて、友達と出掛けるのもダメって言われて……中学の頃の思い出って、勉強してたこと以外ないんだ。あとは勉強の合間に、少しずつ自分を変える努力をしてたことくらい」
ずっと気になっていた夏鈴が劇的に変わった理由。
聞きたい衝動にかられたけど、今は夏鈴の言葉に耳を傾ける。
「でも、それは別に嫌じゃなかった。地元に帰るには花女を受験するしか方法はなかったし、そのための勉強は全然苦じゃなかった。お母さんのおかげで花女に合格できたとも思ってる。だけど……花女に合格したのがいけなかったのかもね」
「どういう意味だ?」
「お母さん……さらに熱が入っちゃって」
なるほどな……。
県内トップクラスの女子高に入れるのは選ばれた者だけ。
自分の娘が花女に合格すれば、親なら誰だって期待して当然。
それが教育に熱心な親ならなおさらだろう。
「中学の頃以上に勉強しなさいってうるさくなって、少し成績が下がるだけで怒られて……お母さんの期待には応えたいと思うけど、ちょっと疲れちゃったんだ」
「そうだよな……」
今の話を聞いて疑問に思うことは多々ある。
夏鈴が自分を変えようと努力をしていた理由や、そんなに厳しい母親なのに猫まみれの再建に参加させてくれている理由。こうして外泊を許可してくれた理由とか。
それ以上に、夏鈴は嘘を吐いてないけど本当のことも言っていない。
そんな印象を受けた。
「聞いてくれてありがと。ちょっと気持ちが楽になったかも」
「俺でよかったらいつでも話を聞くし、できることがあるなら力になるよ」
「うん。ありがとね」
夏鈴は憂いを帯びた表情から一転。
「じゃあ、あたしからも質問」
いつものはにかんだ笑みを浮かべる。
「悠香となにがあったの?」
「えっ——!?」
まさかの問いに思わず疑問の声が漏れる。
狼狽えた時点で肯定しているようなものだった。
「えっとぉ……」
「隠しても無駄だからね。一緒のベッドで寝よって誘った時、いつもなら張り合ってくる悠香が大人しかったし、水着姿を見せた時も妙に余裕があった。透けブラの件もそう。バーベキューで食べさせてあげてた時なんて夫婦みたいだったじゃん!」
「夫婦みたいって……そんなことないだろ」
「そんなことありまくりだよ!」
夏鈴は俺に迫りながら口調を強める。
「あれは友達相手じゃなくて、男と女のそれだったもん」
「うぐ……」
思わず喉の奥から変な声が漏れる。
誤魔化せるとは思えず観念して話すことに。
「……悠香と昔の話をしたんだよ」
「子供の頃、お互いに好きだったのをカミングアウトした感じ?」
「まぁ、そんなところだけど……でも、夏鈴が想像してるような感じじゃない。思い出話に花を咲かせたっていうか、昔の想いの答え合わせをしたっていうか」
「でも、悠香から今でも好きって告白されたでしょ?」
「なんでわかるんだよ」
「そりゃわかるでしょ」
夏鈴は確信に満ちた感じで即答。
本当、女の勘って恐ろしい……。
「悠香と付き合うの?」
「いや……俺が悠香を好きだったのは昔の話。悠香のことは良い子だと思うけど、今も好きかと言えば違う。先のことはわからないけど、今はそのつもりはない」
「そっか……」
そう呟くと夏鈴はそっと夜空を見上げる。
夜の暗がりのせいもあり、どんな顔をしているかは見て取れなかった。
「戻ろっか♪」
「そうだな」
椅子から立ち上がった直後だった。
「えいっ♪」
いつものように夏鈴が俺の腕に抱き着いてきた。
「あれ? いつもなら照れて動揺するのに平気なの?」
「今まで何度も抱き着かれたからな。さすがに慣れたよ」
「りっくんの照れるリアクションが楽しかったのになぁ」
夏鈴はつまらなそうに口を尖らせる。
「だけど、これはこれで受け入れてもらえてる感が恋人っぽいかも♪」
夏鈴は甘えるように俺の肩に頭を載せてくる。
いつもなら『恋人っぽくはないだろ』と突っ込みの一つもするところだけど、今だけは夏鈴の気持ちに寄り添ってあげたいと思った。




